やっちゃんのあぐだもぐだ
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福島からの視点
 大地震から早や9か月、戸外での運動が極端に少なかった年のように感じます。道端や校庭などの放射線量が高い地域のことが度々報道されたりすると、ついその影響を受け、ただでさえ怠け者の私などは足が止まってしまいます。最近の新聞報道は、またまた新米の基準値オーバーの報道。福島県で最初の放射能汚染米報道は二本松だったのですが、全量検査を実行しているから大丈夫ですが、先日の隣町の汚染米騒動は、主食ゆえに何を信じて食べればいいのか迷ってしまいます。地産地消が売り物の福島県の旅館にとっては急ブレーキがしょっちゅうかかる車に同乗しているみたいです。花木の除染などを完ぺきに進め、来年の夏はおいしい福島ブランドが復活し、千客万来の福島県復活と行きたいものです。
 11月は芸術の秋。岳温泉の近辺でも良く美術展が開かれています。安達太良高原美術館「青」では『福島青年美術の展望展』開かれ、二本松市民ギャラリーでは『安達太良画会』が開かれました。『青』のオープニングでのある著名な画家の一言「今年の出展作品は、昨年に比べて作風が暗い」と…。素人の私には感じられなかったのですが、感覚の鋭い芸術家は違いを敏感に感じるようです。
 安達太良画会にての作品名『見えない恐怖』は放射線の恐怖に怯える子供たちが白い防護服を着て集合写真的な絵、『漁港の憂愁』は瓦礫の積まれた埠頭から遠くの海を眺める漁師の絵。そして、全体が蒼い抽象画の中心付近の黄色く元気な向日葵の花の絵は『希望、鎮魂の肖像』。芸術家の視点で今の福島を表現するとこうなるのでしょうか。
 連日の新聞報道も福島県の2紙(民報と民友)と全国紙の紙面構成の違いにハッとします。出張先で見る地方新聞も放射能記事はほんのわずかです。知らず知らずのうちに我ら福島県人に入ってくる情報が偏ってしまうのは致し方ないのですが、微妙に県民の心に他県とは違った影響がある気がいたします。
 一方、放射能汚染が気になる県でも何か元気になれる方法がないかとも思います。先々週には、パワーウォーキングの手法を理論化した、ドイツのハートヴィッヒ・ガウダー氏が6度目の訪問があり勇気づけられました。チェルノブイリの事故の後、ドイツでもキノコ類や野生動物をとって食べることは長く禁じられていたとのことです。ガウダー氏の健康増進の理論は正しい歩き方が健康増進につながり、それを自ら積極的に取り入れることに言及しています。足の正しい動きで身体の循環機能がうまく働きバランスのとれた健康増進につながります。岳温泉はそのウォーキング理論を地域ぐるみでプログラム化しています。視点を変えて中通り地区では放射線量の低い岳温泉で歩き、積極的に健康増進をはかることもお勧めです。写真はガウダー氏のパワーウォーキング講習会風景。参加した方は健康は自ら積極的に獲得するものであることを座学と実践で悟っていただいたことでしょう。
二本松彫刻めぐり
  文化の日が近づくと、今年はどんな方が受賞されるのだろうかと楽しみになります。今までに文化勲章を授与された大山忠作画伯や高橋信次博士(CTスキャナーの原理発明)が二本松出身であることはふるさとの誇りです。そして今年は彫刻家の橋本堅太郎先生が文化功労賞に選ばれました。橋本先生は現在、伊勢神宮式年遷宮のための神馬(しんめ)を制作中であり平成25年には私たちの目にも触れることになります。
  実は、橋本堅太郎先生の作品は二本松にはたくさんあり、二本松市全体が橋本堅太郎彫刻ギャラリーだといっても言い過ぎではありません。橋本先生のお父様は二本松の大平出身、お母様は旧安達町のご出身で、小学校に入るまではほとんど二本松市で過ごされたました。二本松には先生のふるさと応援団ともいうべき橋本堅太郎後援会があり、毎年先生の作品を見る『日展を見る会』などに参加するこができ、一流の芸術家と気軽にお話しする機会があります。日展の理事長時代には大山忠作会長との二本松コンビで日本最大の芸術家集団をお纏めになり、日展百周年の行事、日展会館建設や国立新美術館への展示会場の変更などに尽力されました。
  先生の作品の主なものを紹介したいと思います。JR二本松駅を降りて正面のところには二本松少年隊士の『霞城の太刀風』、そして安達太良山の見える西側にあるのは高村智恵子の立像『ほんとうの空』、続く大山忠作美術館には『虚』『双樹』『小さな祈り』『希』、二本松歴史資料館には『もえる』『韻』などの木彫が展示されています。二本松市役所の『清冽』、二本松市総合体育館『踊』は迫力のある作品です。旧安達町役場の『潮』、市民会館『渓流』はまた違った作風が伺えます。霞が城の箕輪門前には『二本松少年隊士像』があり、二本松少年隊の歴戦ぶりを偲ぶこともできます。
  自館の宣伝になりますが、当館にも『流木』『森の妖精』『流麗』『弧』『お通の像』などの木彫やブロンズ像があります。橋本先生のお父様の作品『天女』もあり、ご滞在中の皆様に鑑賞していただいております。
  岳温泉神社境内には『甲子大黒天』が鎮座しておられますが、この作品は昭和59年の甲子の年に岳温泉の永遠の繁栄を願い先生に制作していただいきました。同じ境内の『十二支めぐり』は大山忠作画伯と橋本堅太郎先生という両巨匠の合作です。この十二支めぐりの原画と版画の制作をお願いする際に、私が余りにも気軽に両巨匠に合作をお願いしたことを思い出すたび、穴があったら入りたいくらいに冷や汗ものの芸術作品です。でも、こんな合作作品は世界のどこにもありません。是非、版画を摺りながら岳温泉を散歩してください。
  写真は大きな袋を肩にかけた『大黒天』。こちらも是非ご参拝くださるようお勧めいたします。
安達太良トレラン礼賛
今年も安達太良山にてトレイルランニングレースが行われ無事終了。安達太良山では2回目の大会になりますが、当初は3.11の大震災と原発事故で開催が危ぶまれながらも6月に開催が決まり『福島ガンバレ・復興祈願イベント』のサブタイトル付き昨年とほぼ同数の参加者を集め熱い熱気に包まれたレースが展開しました。この山岳耐久レースは、安達太良山、和尚山、船明神山、鉄山、箕輪山、鬼面山の安達太良連峰のほとんどの登山道を上り下りし累積標高差は4000mを超える国内で最もスリリングで過酷なレースと定評があります。今年のコースはロング50kmとショート10kmの2コースが設定されました。通常は5日間かけて登山するロングコース50qは制限時間15時間で踏破するサバイバルレースです。ショートコース10qは安達太良山頂から岳温泉の源泉地付近のくろがね小屋を通る安達太良登山のメインルートです。
さて、岳の湯元の話。現在の岳温泉へはここから8km源泉を引いてきています。岳温泉が町ぐるみで移転する羽目になったのは文政七年(1824年)の山崩れが原因です。くろがね小屋の200mほど上部に在った温泉宿が山崩れで埋没し多数死傷者を出した大事故がありました。陽日温泉と言われたこの温泉場は二本松から会津への近道上にあり噴火口近くには硫黄採掘所があり繁栄していたようです。しかし地形から想像がつきますが17世紀初頭にも山崩れがあり1670年(寛文10)に雲堂和尚が梵字石にて山止めの祈願をし、150年間の山中での歌舞音曲を許したと伝えられているところでもあります。山止め祈願の1670年から154年目が1824年に当たるから雲堂和尚の法力はさすがです。その次の山崩れは平成元年(1989)8月6日に起きました。文政七年岳山変事から165年目だからほぼ雲堂和尚の周期ではないかと思います。
 地球年代的には直後(22年後)の今年の9月5日にまたまた鉄山が崩落し山崩れが発生しました(写真)。雲堂和尚の周期パターンには当てはまりません。今回の山崩れは3.11の地震によって安達太良山でも山全体が大きく揺す振られ鉄山の岩稜に隙間ができ、雪解け水や台風の長雨で一気に山頂の岩が崩れ落ち底雪崩的山崩れとなったのでしょう。今回の鉄山崩落の規模は文政7年の規模以上にも見えますが幸いに人的被害はまったくなく、岳温泉の源泉の20%程度が埋没しましたがすぐに復旧。今の岳温泉では安全にゆったりと温泉に浸かれます。
山の形が変わるほどの大地震直後の安達太良山トレイルレース。安全面の配慮からロングコースは箕輪山、鬼面山コースを除外し制限時間13時間に変更し実施され完走率90%に上がりました。第一原発から一番近い安達太良山から全国に元気を発信できたかと思います。ちなみに山頂付近の放射線量は5月時点で0.08μSvでした。もちろん選手たちは、だれも気にしないくらいの値で熱気だけが伝わってきました。来年も開催いたします。挑戦してみませんか?

セミが鳴かない?蚊が居ない?
  3.11から間もなく5か月。当館も3週間前に何とか再オープンし、一般のお客さまを受け入れられるようになりました。少しばかり地震の爪跡が館内外に残り、余震が来ると修復したところが心配になりますが震度5弱くらいまでは大丈夫のようです。ハード面での破損は修復すれば何とかなりますが、正直のところサービス体制を元通りにすることなどソフト面での修復を急がなければならないと思っています。
  岳温泉地域全体としても安達太良山へのゴンドラも7月16日から毎日運航するなど観光地の様相も何とか元に戻りつつあります。道路などは地震による陥没などがあちこちに見られるので運転には気をつけてください。ちなみにスカイラインなどの山岳有料道路はすべて無料になっていますので、福島の山々を楽しむにはいいチャンスです。
 岳温泉が売り物にしてきたウォーキングを柱としたイベントは4月から従来通りに実施しています。毎月3回の月例ウォーキングは、今年はさらに人気が出て毎回参加者が増えている状況です。また、ノルディックウォーキングとパワーウォーキングの体験コースはインストラクター付きで実施されており、今年は県内の家族連れの皆様の利用が多くなりました。岳温泉の周辺の放射線量が0.2〜0.25μ㏜程度で阿武隈川の流域の6分の1程度だから気分的に安心して歩けるからなのでしょうか。
  さて、周辺部の自然はどうなっているか気になるところです。7月半ばに梅雨が明けても蝉の声が聞かれず、普段の年に比べまったくやぶ蚊が寄ってこないので今年は何か原因が?ひょっとして放射能?と思っていました。同じ頃の7月下旬の早朝テレビで、みのもんた氏曰く『今年の夏はミンミンゼミが鳴かない。どうして…?』と。昆虫園の専門家の解説では春先に気温の低い日が続き、また梅雨明けが早かったせいで蝉がまだ泣かないのだとコメントしていました。福島と新潟県境の豪雨災害があったばかりですが異常気象の影響が大き いのが今年の夏のようです。
  それでも、最近の公式発表とやらは何でも信じることができないので、散歩しながら自分の目で確かるべく岳温泉周辺の自然を、目を皿のようにして観察しております。ここに来てようやく見つけました。イトトンボ、カミサマトンボ、アメンボウ、クロアゲハ、モンシロチョウなどなど。今まで鳴かなかった蝉の声もうるさいぐらいに聞こえます。今年もやぶ蚊に刺されないように気を付けたいと思います。
  写真は鏡が池でのカミサマトンボことオハグロトンボ。いつもの夏が安達太良高原にやってきました。
3.11備忘録
東日本大震災にて被災された皆様に改めて衷心よりお見舞い申し上げます。
3月11日からほとんど思考停止中でしたが、大地震発生時に館内におり、備忘録的に再開『あぐがもぐだ』第一号に岳温泉での大地震を書きしるします。
この日の地震発生時には運よく館内の一客室におりました。それも私の弟と弊社の営業部長、それに年間で一番送客の多い案内所の役員と会議中でした。また、偶然にも東京在住の娘二人が帰省して二本松駅から私の携帯に電話をくれた時に地震が起きたのです。娘が「お客様もお待ちだけど、駅迎えのバスがまだ来ないよ? ワッ…、すごい地震!」と話したと同時に自分たちの居る部屋の畳がとんでもなく大きく揺れ始めました。長い揺れが治まるのを待って客室から飛び出したら廊下は煙幕のように白い粉が舞い視界不良。あちこちで閉まっていた防火扉を開けながら、一番強度が弱いと思われる建物へ走りました。既に会議場に居たお客様もどちらに逃げていいのやら右往左往。すかさず「こちらへ来てください。新館はマグニチュード8.5まで大丈夫ですから…」「ガラス側には近づかないでください」と玄関側の建物へ誘導、地震は何とかおさまり怪我人は一人も出さずに済みました。県内のお客様は帰宅の途に着かれ、首都圏在住のお客様は停電で暖房が効かない中、ロビーの暖炉で暖を取り、炊き出しのおにぎりをわが社の社員と共に食べて過ごしていただき、3日後に東北本線が宇都宮まで開通したのでお送りすることができました。水道が止まっても、幸いに玄関先の井戸があり、幸いにも温泉は無事。ご飯は薪で炊くことができキャンプ生活のようでした。建物はつなぎの部分(エキスパンションジョイント)がほぼ破壊されましたが、一部の宴会場を除いてはほとんど無事ともいえます。配管系統はほとんど破損し全館あちこちで水漏れでした。
停電のためにテレビからの情報が入らず、通常電話も携帯も使えず、ガソリンが買えない不安な日々でした。12日の夜に電気が復活し津波と原発事故の映像に触れ大変なことになったことを実感、岳温泉地域全体の被災状況もようやく掴めるようになったころから放射能汚染が深刻であるとの報道に大変なことになったと強く認識しました。
被災1週間目に浪江町からの被災者が二本松の体育館に避難され入浴ができないとの話、マイクロバスを旅館組合で共同運行させ全避難者に岳温泉の湯を入浴していただけました。旅館を2次避難所とすることが決まり4月5日からは千人以上の人が岳温泉地域に避難しておられます。来月に仮設住宅に移るまでは岳温泉に滞在されています。岳温泉の放射能レベルは中通の他の地区に比べると以外と低く安心して過ごされているようです。一日も早く原発が封じ込められいつもの福島になってほしいと思う日々が続きます。写真は安達太良山開きの安全祈願祭。放射能よ消えてなくなれ!

マップ旅行より冬山体験
私の趣味はマップ旅行。行きたいところに簡単には行けないが好奇心だけは旺盛な為です。地図検索のGoogle Earthが登場してからはマップ旅行もさらにおもしろさが増しています。このところヒマラヤ登山の小説『遥かなる未踏峰』と紀行文『ヒマラヤ初登頂・未踏への挑戦』を立て続けに読んだものだから自分が行ったこともないヒマラヤ山脈にもマップ旅行を企てています。ヨーロッパアルプスのつもりエベレストに行ってみたら余りの高さにビックリし慌てて高度を上げるようなこともしました。インターネットのお陰で自分が行ったことも無いところに瞬時にいけることは素晴らしいことですが、現実にいけないことへの欲求不満の原因にもなりそうです。
また、ツイッターやフェイスブックのお陰で安達太良山や岳温泉の情報が瞬時に世界中に広がるようになっています。岳温泉には青年海外協力隊訓練所があります。ここから派遣される国がアジア、アフリカ諸国でありアラブ諸国のほとんどに訓練生が行ってるので気になるのですが、チュニジアに始まったツィッター革命が、エジプトに飛び火しアラブ諸国が次々と革命のデモに巻き込まれているニュースを聞くにつれインターネットが国を転覆させてしまう現象にも驚きます。
Google Earthのマップ旅行もTwitterやFacebookによる情報伝播は味も素っ気もないサイバーネット世界のなせる業だけど、この便利なシステムを活用しマップ旅行から観光旅行につなげるための仕掛けは何なのでしょうね。観光事業者としてはこの仕掛けが何かが分かれば千客万来間違いなし、誰か仕掛けを教えてもらえませんか?
冒頭のヒマラヤ山脈グーグル旅行のキッカケは前述の著書を読んだことですが、小説の著者であるジェフリー・アーチャーの話の展開に巻き込まれ1924年のエベレストに引き込まれました。紀行文の著者は二本松在住の登山家・尾形好雄氏でありヒマラヤの高峰を17座も踏破し自分のパーティーからは一人の遭難者を出してない方です。2つの著書は見事に私をサイバー世界ですが厳寒のヒマラヤにいざないました。高校時代に読んだヨーロッパアルプスの山岳小説のお陰か、私もアルプスの嶺でスキーを体験した事があります。ヒマラヤ登山家の尾形氏は登山の原点は安達太良山と吾妻山と言い切り、気がついたらヒマラヤを17座も制していたそうです。
写真はツェルマットからのマッターホルン(にみえますか?)=あだたら高原スキー場ゴンドラ山頂駅からの矢筈ヶ森。私にとっては我が心のマッターホルンです。アルプス疑似体験はいかがでしょう!
安達太良雪山賛歌
今年は例年に無く冬型の気圧配置が続いています。三寒四温はどこへ行ってしまったかと思うぐらい晴れ間が見える日が少ないようです。クリスマスの日から快晴の安達太良山の写真が撮れないままでもう4週間目に入っています。やっぱり異常気象なのでしょうか。それとも日本スキー伝来100周年を記念して各地のスキー場に恵を与えてくださっているのでしょうか。
今シーズンのあだたら高原スキー場はお陰さまでコースはベストコンディションで名物の風が余り吹きません。中規模スキー場の割にはコースが変化に富んでおり、どんなスキーヤーやスノーボーダーにも対応でき人気です。また、昨年完成したゴールドラインリフトのお陰で初心者にも大好評で、中間駅で降りれば緩斜面だけの長いコースになり初心者でも恐怖心を抱かずにスキーができるようになっています。
冬になるとどうしても雪のことやら異常気象の事がこの『あぐだもぐだ』の話題に入ってきますが、生まれた時から同じところに住んでいるせいか、雪の降り方の微妙な違いがよく分かります。
私の住んでいるところは標高530mくらいですが、昭和4年に作られた岳スキー場の基部は標高630mくらいです。このスキー場がどんどん上に伸びていき標高970mまでリフトが到達したのが今から54年前の昭和32年でした。さらに昭和39年には現在のあだたら高原スキー場が烏川リフトまで到達(標高1150m)、そして平成2年についに薬師岳山頂駅(標高1350m)にゴンドラがかかりました。地球温暖化に伴って少しずつ雪線が上部に延びていったことが良く分かります。標高970m以下の古いリフト2基は昭和43年に廃止されましたが、もしも今年のような雪の降り方なら標高差720m全長4kmも滑れる大スキー場であったのです。30年ほど前までのパラフィンワックスは温度の適用範囲も狭く、雪の降り方や斜面の陽の当たり方に大きく左右されたのでいつも気温や雪温を気にするクセが付いています。
スキー板もヒッコリー材やイタヤ材に平エッジからメタルスキーとなりモールドエッジ(板に埋め込み式)に変わり、板がチタン合金となり断面が台形化、ついには現在のシャモジ型の短いカービングスキーとなりました。昔に比べるとスキーの操作性も格段に上がっており、さらに安全になっています。
今日の日経新聞には「スキー今度は子連れで…ブームを支えた世代戻る」の記事になり、思わず喜んでしまいました。
あだたら高原スキー場はスキーやスノーボードスクールの指導プログラムも大変充実しています。是非、雪山にお出でください。写真は正月1日の矢筈が森です。山スキーのシュプールが見えますか?多分、相当のベテラン山スキーヤーのシュプールですが、スキー場近辺でも充分に冬の自然を楽しめます。
スキー100年で健康家族
  今シーズンは明治44年(1911)にスキーが日本に伝わってちょうど100周年のシーズンです。新潟県の高田にてオーストリア陸軍のレルヒ少佐の指導による高田連隊の話は有名です。
  東北地方に伝わったのは同じ年の12月である翌シーズン、米沢の五色温泉にて当時横浜在住の外国人商社マンが初滑走であり、奥羽線板屋峠駅まで列車が入れた事で格好の山スキー場になったのがキッカケです。この五色温泉には旧福島藩主板倉家の六華クラブと言う別荘が建ち、スキー創世記には旧華族の方々が集まり賑わいを見せたようです。福島県で最も古いスキークラブである不忘スキークラブ(福島市)が創立されたのが大正12年(1923)ですから福島のスキーも歴史があります。我が岳温泉にスキー場ができたのは昭和4年のこと、同時に岳温泉スキークラブが創設されて現在のあだたら高原スキー場までスキーの歴史が連綿と続いております。
  スキー技術と用具の変遷についても大変におもしろいものがあります。初期の頃の一本杖とイタヤやヒッコリー材のスキー板から、現在のカービングスキーやスノーボードに至るまでスキー部材の変遷もすごく、スキー技術の習得は用具の発達と常にリンクしており最近はスキーやスノーボートの技術が簡単に取得できるようになりました。
  さて、あだたら高原スキー場、今年はスノーマシーンを増強し地球温暖化でも安定して滑れるようにと待っていたシーズンが今シーズンです。しかしながら、12月25日のクリスマス豪雪のお陰で、全コースが一気に滑れるようになっています。正月前にベストコンディションになったのは初めてのことです。
  スキーは長く重たい道具を使うスポーツだから、やろうという気持ちが出るまで意外とハードルが高いスポーツだと思います。それでも各スキースクールの指導要綱も大変整っており簡単に滑れるようになります。
  今年からあだたら高原スキー場では@『初めての方、3回のレッスンで基本を習得』というキャッチフレーズの下、スキーとスノーボート教室を始めました。その他、Aシニアの方だけのレッスン、Bコブ専科、Cポール専科、D朝一番のファーストトラック、E五葉松平のスノーシューツアーなど色んなことを楽しめるウィンターリゾートになっています。また、専用のちびっ子広場にはスノーエスカレーターが新設され(写真)初心者にとっては高いハードルである階段登行や八の字登行を習得せずに、より安全で楽しいスキーを始められるようになりました。 
  冬の日を日常から離れたゾーンで過ごしませんか。免疫力アップの4大法則は、姿勢を良く、汗ばむ程度の運動をし、空腹を感じ、そして寒さを感じることだそうです。家の中で背中を丸めてないで、せっかくのスキー100年の年に、おそろいで新しいスキー場を楽しんでみましょう。ベストコンディションのスキー場で身体もベストコンディションになります。クーリングダウンは『岳の湯』に浸ることです。
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