やっちゃんのあぐだもぐだ
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大河ドラマ考
おおかたの観光地はNHK大河ドラマのテーマ選定に一喜一憂します。今年の『平清盛』は視聴率が余り上がらないとか。それでも平清盛に因みのある西日本の観光地も夏までの入込数は例年の観光客は増えており旅の誘客効果が顕著とのこと、ただし秋に入り視聴率の低調さが遅れて連動するのか、観光地の入込もぱっとせず、平清盛に合わせた土産品なども棚から早々と消えているとか、現金なものです。そういえば父の日のプレゼントに孫から貰った作務衣は平清盛ブランドだったのを思い出しました。
昨年の『竜馬伝』はずーっと人気でした。そのお陰で長崎や高知は今でも竜馬に因んだ旅で活況を呈しているとか。福山雅治は坂本竜馬であると思う人が今ではほとんどなのでしょう。昔の坂本竜馬は北大路欣也だったのに見事に主役が入れ替わってしまいました。龍馬の名前を自分の息子に名づけた人も沢山いるので、龍馬は別格かもしれません。
来年の大河ドラマは『八重の桜』、舞台は京都と会津若松になります。福島県の一観光業者としては、『八重の桜』効果が福島の真の意味での観光復興につながればいいと願うばかりです。同志社大学の創立者である新島襄の奥様が主役の大河ドラマであり、震災後の福島県観光復興の起爆剤になるように視聴率も上がり、観光旅行者の入込が大きくなることに期待をします。
新島八重は会津藩砲術指南の家に生まれ、男勝りの性格で米俵を4回も肩まで担ぎあげたとかの逸話が残っており、戊辰戦争の際には弟が戦死した後に、髪を切り男装し最新式の銃を持って鶴が城の籠城戦で戦い抜いたなどの逸話がドラマ化されるようです。戊辰戦争時はジャンヌ・ダルクであり、戦後は京都に兄を訪ね新島襄と知り合いキリスト教式結婚式を挙げ、ハンサムウーマンであったとの言い伝えなど、会津の女性が180度の転換を見せ、夫の他界後は日露戦争時に篤志看護婦として活躍するなど、スーパーウーマンとしてのドラマが展開されるようです。新島八重のこのようなめまぐるしい人生も戊辰戦争抜きには語れないということで、白河と二本松での戦争の様子などもドラマには登場するようです。11月4日までは、白河と二本松の歴史資料館にて『新島八重と戊辰戦争展』が同時開催されていますので是非ご覧いただくことをお勧めいたします。
写真は二本松の霞が城にある二本松少年隊群像です。戊辰戦争では全国300余藩のうち城を枕に戦ったのは二本松藩と会津藩だけです。来年の大河ドラマの前半戦に登場しますので是非ご覧ください。
千年のいで湯のこと
岳温泉には代々伝わっている色んな行事があり、その一つに岳温泉金剛山講中というのがあります。昔は、新年、八十八夜そして二百十日と年3回あったようですが、30年程前から年2回の代参になり、部落を代表して栃木県の古峯神社まで馳せ参じお札を受けてきます。古峯神社の記録には岳温泉講中の大正13年からの記録が残っていますが、部落の言い伝えでは明治元年から金剛山講中が始まっており、深堀温泉時代の大火災で一旦消滅し大正時代に復活したようです。
  今年の二百十日前の代参に私の当番が回ってきましたので三人道中で行ってきましたが良く続いているなと感心します。30年くらい前までは明治生まれの方が健在で、年2回の講中は昼間から宴会があり酒も飲めて優雅なものだなと解釈していましたが、いざ自分の代になってきて講中に参加すると、地域ぐるみで『火の用心』の意義などを明確にし、講中の参加戸数を増やさなければならないと思うこともあります。
  ちなみに岳温泉は文政7年(1824)の山崩れ、慶応4年(1868)の兵火全焼、そして明治36年(1903)大火と3度の大災害に見舞われ地域ぐるみで移転してきていますので歴史を調べれば調べるほど、ご先祖からの習慣を継承維持していく意義を改めて考えさせられます。3度の大災害に遭いながら地域ぐるみで移転し、温泉を引き湯して復興を遂げた歴史の重さを感じます。金剛山講中は火災予防を始め大事故が無いように願っての講中ですが知らず知らずのうちに自らが火災予防の気概を持つようになると思えます。
  岳温泉神社の春の祭礼には湯前薬師と陽日(ゆい)温泉神が祀られ、秋は熊野神と安達太良明神、甑(こしき)明神が祀られ神仏が合祀されています。春の祭礼は大玉村・相応寺住職が祭祀を務め、湯の恵みと温泉の薬効に感謝の意を捧げます。秋は二本松の貴船神社宮司が祭祀となり観光仮装盆踊りと一緒に8月末に色々な祭礼行事が行われています。
  春の祭礼の祭祀を務めていただく相応寺の開山は大同2年(807)、法相宗・徳一大師が開祖です。相応寺は大同元年開山の会津・恵日寺との関係が密であり恵日寺の15代住職は相応寺出身の僧侶が務め、天正17年(1589)に伊達正宗に焼かれた後に恵日寺を再興させた住職として伝わっています。
  岳温泉の歴史的記述は相応寺開山の時代とほぼ同じ西暦800年代です。貞観5年(863)に小結(こゆい)温泉神として官位を受け、さらに寛平9年(897)に小陽日(こゆい)温泉神としてさらに上位の官位を受けるなど、千年以上前の歴史的記述のある由緒ある温泉が岳温泉であることが判ります。
 現代の温泉分類では酸性泉、pH2.5のレモンと同じ水素イオン濃度です。カルシウムイオンが多く湯上り後がサラッとし、化粧水の成分であるアルミニウムイオンのせいで湯上り後は化粧の乗りがいいとか言われています。江戸時代の温泉効能番付では前頭2枚目として薬効が讃えられており、抗生物質の無い時代は切り傷やおできにはよく効いたのでしょう。徳一大師が湯前薬師如来の夢を見て開山したとなると薬効そのものが岳の湯であったと解釈されますがいかがでしょうか。
  写真は3日前の安達太良山全貌です。ゴンドラ山頂駅の薬師岳山頂からのワンショットです。いい景色を見に「湯さ入りに来てくだっしょ!ナイ!?」
安達太良の自然に触れてみませんか?
今年の夏は暑い日が続ききました。最近の天気予報は観測点が多くなった所為か、集中豪雨の雨雲の配置と動きがインターネット画面ですぐわかります。25日に行われた岳温泉盆踊り大会の初日も19時の開始時間30分前に突然カミナリと集中豪雨に見舞われ危うく中止かなと思った20時30分に雨がピタッと止み、めでたく58回目の盆踊りを実施できました。この時にはインターネットの画面を見て雨雲の状態の濃淡が極端なのに気づき、20時30分頃には止むから盆踊りの中止決断をしないと言ったら見事に当たりました。スキー場ゴンドラを運営している会社でも、山の安全に万全を期すために最近のインターネット天気予報を参考にゴンドラの運行を決めるのだそうです。
最近、真夜中に地震が多いのは何となく気になります。昨年3月の大震災を経験しているので地震規模では比較的小さいものの万が一の準備はしていた方がいいと思っています。昨年9月5日には鉄山の大規模地滑りで温泉源が埋没、すぐに復旧はできたものの、大地震の後で地盤が緩んでいたところに夏の長雨が原因での山崩れでした。実は岳温泉の源泉地は188年前の文政七年8月15日(旧暦9月7日)の長雨のあとに大規模山崩れで温泉街全体(標高1400m地点)が埋没し、その後、温泉場ごとの移転と引き湯を繰り返してきた歴史があり、現在の場所は4度目の移転先で安全な場所なので安眠できる標高(500m〜600mの保護性気候帯)のところにあります。
さてこのような天候と自然条件の中、今年で3回目の開催になる安達太良山トレイルランニングレースが9月22日23日の両日、『安達太良山』のほぼ全山を使って開催されます。正式名称は『OSJ安達太良トレイル10K・50K』。全国から山岳レースの鉄人たちが参加しますが、累積標高差4000mのコースをわずか6時間程度で完全踏破する人もいるくらいのサバイバルレースです。スタート地点のあだたら高原スキー場(標高950m)から一気に安達太良山頂(1700m)を目指し、そこから西尾根を下り和尚山のナイフリッジを上り銚子が滝に下ります。ここから西尾根のブナ林を抜け、船明神山をめざす上りコース。さらに沼の平の硫黄採掘場に下り第一関門。上りは噴火口の北側対岸から胎内岩をくぐり鉄山をめざし、なだらかな尾根を下り笹平から塩沢登山口までの下りで第2関門。最後の登りは湯川渓谷から峰の辻篭山まで、そこから勢至平を下りスキー場のゴールとなります。50qの制限時間は13時間、10qのショートコースもあります。
天変地異の心配は横に置き、是非参加をお勧めします。写真は今年のパンフレット、奇岩奇勝の山岳コースは魅力いっぱいです。亜高山帯の刺激性気候の自然の中に生身の体を投げ出せば、生きている実感を体験できます。レースの後は、悠久の温泉『岳の出湯』が待っています。
少年隊と二本松のこと
 7月29日が近づくと二本松少年隊が蘇ります。この日は落城の日であり戊辰戦争での戦死者が数多く出た日です。前日の28日から顕彰祭行事が行われ市内の小学生による剣舞や居合が披露され幼くして散った少年隊の死を弔います。少年隊と命名されたのは戊辰戦争50回忌の時。生き残りの少年隊士の一人が負け戦であったことと、少年たちを出陣させたことから口を重く閉ざしていましたがこの時、初めて悲劇の戦いのことが公言されるようになったのです。実戦に出た最少年齢は12歳ですから今の小学5年生。数え年13歳が元服の歳として、1歳入れ歳で出陣しています。
 このような少年たちを交えての戦いだったので敵軍の隊長も油断して少年兵の一突きで絶命した方もいます。実戦でほとんど力尽きていたように見え、よれよれと倒れかけた少年兵が傍を通りかかる時に家来が斬ろうとしたのを、かわいそうだからと止め、隊長が少年の突きに刺されたのです。この西軍の隊長は長州藩白井小四郎、市内竹田坂の真行寺に眠ります。西軍隊長を懇ろに二本松藩士が弔ったこのエピソードは長く語り継がれ、本年の大隣寺で墓前祭にも長州藩士の子孫の方が参列してくださっています。
 二本松城には藩政改革と藩士への綱紀粛正の指針が刻まれた大きな花崗岩が藩庁門にあります。     爾俸爾禄 民膏民脂 下民易虐 上天難欺  の四句一六文字の漢詩で戒石銘といいます。1749年(寛延2年)に刻まれたものですが、昭和10年には行政の規範として教育的価値が高いとされ国史跡の指定を受けています。この四句一六文字の漢詩はロッキード事件やリクルート事件などの政官界汚職事件の時には必ず新聞紙上に登場し綱紀粛正のモデルであった二本松を有名にしてくれます。
 最近の二本松は原発事故のお蔭でも有名になっています。コメの全量検査を原発事故直後に決定し、秋の収穫で最初に汚染米報道がされたり、生コンに混入した高濃度の放射線汚染砂利が日本で初めて判明したりで話題豊富になっています。小中学生全員に累積放射線量計をいち早く配布し冬休み前に回収したから生コン汚染が判明しただけです。全部細かく計測しているからかえって安全地帯だと自負いたします。
 さて、福島の原発事故から1年5か月経ちました。国会の原発事故調査レポートの冒頭に黒川委員長が100年前の日露戦争の後、日本の国家のありように警鐘を鳴らす書『日本の禍機』を著した二本松が生んだ偉人・朝河貫一博士のことを喩に引用し原発事故を機に社会構造や日本人の思い込みを抜本的に改革する必要性があると書かれています。
 何だか二本松人であることに誇りを感じるようになりました。いつの世でも愚直なまでに信義を重んずるのが二本松の心かもしれません。
 写真は少年隊を弔う墓前祭にての二本松藩第18代藩士丹羽長聡様のご挨拶の様子です。無断で掲載させていただきます。
 
安達太良学事始め
 このところ地域の固有名詞を関した○○学なる学問が盛んな気がします。東北学や会津学はあるが安達太良学なるものがまだ見当たらないので大雑把なつかみで検証してみようと思います。まずは文化のジャンルから。何といってもこちらは万葉集に詠まれた北限の山が安達太良山であることです。
  陸奥の安達太良真弓 弦(つら)はけて 引かば香人(かひと)の 名を言(こと)なさむ
  安達太良の 嶺(ね)に伏す鹿猪(しし)のありつつも 我(あ)れは至らむ 寝処(ねど)な去りそね
  陸奥の安達太良真弓 はじき置きて 反(せ)らしめきねば 弦(つら)はかめかも
万葉集の世に三首も詠まれたのは驚きであり、後の世に高村光太郎によって詠われた『智恵子抄』に続く文学の山でもあります。
  9月に映画が封切りされる『天地明察』(本屋大賞、著者・沖方丁)に二本松藩算学塾である礒村塾が出てきます。主人公の渋川春海が江戸の会津藩邸を出て、渋谷宮益坂の金王八幡宮にある算学絵馬を奉納に行く下りが礒村塾の名が登場する場面です。そこで出会うのが後に妻となる才女『えん』。碁打ち名門出の渋川春海が得意の算学と暦法の才能を会津藩主保科正之や水戸光圀見込まれ、困難な改暦事業を何度も挫折しながら成し遂げるという歴史小説です。金王八幡宮で春海が写し取った中で一番気になった算学絵馬の問が礒村吉徳出題であったのです。
  この礒村塾の礒村吉徳は、京に生れ鍋島藩家人から二本松藩に召抱えられた和算学者として二本松市根崎の善性寺に眠ります。江戸時代の和算家として多くの弟子を輩出し、兄弟弟子には高名な関孝和がいます。またこの時代の和算書として江戸のベストセラー『算法闕疑抄』があり、礒村吉徳の設計により作られた用水が二合田用水です。あだたら高原スキー場東側の烏川から取水して18km、複雑な地形を経て霞ヶ城に到達し今も流域の田圃を潤しているのがこの用水です。用水取水口から3kmほど下ったところからは酪農地帯でありウォーキングコースに沿って澄んだ水がゆうゆうと流れます。
  和算額の最も多く現存するのは福島県です。その中で和算の歴史を紐解くといかに二本松藩の和算塾が盛んであったことが感じられます。ちなみに岳温泉が今も湯量が豊富なのは源泉からの引き湯によるものです。引き湯の設計は二本松藩校敬学館教授の渡辺東岳(土湯出身)によるものです。安達太良学の1ジャンルに和算学を入れてもいいかもしれません。
  岳温泉は標高500mから600mのところにあります。北側の福島市にある黒森山(740m)から南側にある苗松山(480m)までの南北10km、東西1km幅のなだらかな大地を岳地溝帯といい洪積世以降に形成された特異な地形ということで地質学者の研究の対象にもなっています。このなだらかな地形はウォーキングには大変快適な地形だと自負しています。詳細はいずれ日にか書いてみますが、地学もまた安達太良学の一ジャンルに加わると思います。
  色んなジャンルから安達太良山にこれからも光を当ててみたいと思います。ご意見を下さい。 
ランドマーク考
わが二本松のランドマークである安達太良山、稜線の雪がようやく解けて黒くなり出しました。今年もシンボルの雪形が駒形、鮒形、千鳥形と順に現れるのでしょうか。この冬はエルニーニャの影響とやらで偏西風の蛇行が激しくいつになったら春になるのかと思っていたら、やっぱりゴールデンウィークになると例年通りに桜が咲き出すものです。梅もレンギョウもこぶしもいっせいに咲き出しました。岳温泉の桜坂は咲き始めからたった2日で満開状態。偏西風の蛇行が今度は急に暖かい空気をいっせいに安達太良山に送ってくれたのでしょう。あの3.11から1年と2ヶ月目にしてようやく復興の息吹らしきものを肌で感じています。1年以上待ってやっと春が来た感じです。
福島県内各地でも何となく春の芽吹きが見えてきました。いわき市のランドマークといえばアクアマリンふくしま。津波の被害から立ち直り再開業、水族館横の砂浜で潮干狩りの映像を見ると放射線量も低下したのだと思わず喝采です。
一方、県外でも東京スカイツリーの開業を5月22日に控え盛り上がってきているとのこと、東京のランドマークは東京タワーから完全にシフトすることでしょう。武蔵の国の高さ(634m)に合わせるなどうまいものですね。大阪では728(浪花)のタワー建設が検討されているとか(こちらはタケシの冗談くさいけど)、いずれにしても「人呼んで栄えるまちづくり」をどこもめざしていますね。
ちなみに福島のランドマーク的モニュメントは笹森山の電波塔ですかね。阿武隈山地には日本標準時の電波塔がありますがご存知ですか?東日本の発信基地が田村郡都路村大鷹鳥谷山にあります。ちなみに西日本のそれは佐賀県羽金山にあります。日本標準時の子午線東経135度が通る位置の明石が有名なので電波塔も人寄せにならないものでしょうか。
あの3.11からはドタバタの一年間でしたが、震災直後から岳温泉を2次避難の場所として過ごしていただいた浪江町の皆様からの素晴らしいお申し出を喜んでお受けしました。避難直後に岳温泉の桜の状態を気にして下され、今年の春の桜の咲く前に浪江町商工会の皆様が「自分達は桜が好きだから桜の手入れをしてあげたい…」との申し出、私たち岳温泉観光協会は甘んじて申し出をお受けしました。お蔭で今年の岳温泉の桜は見事に咲きました。この場をお借りして改めて浪江の皆様に御礼を申し上げます。写真は見事に咲いた桜坂。絆の桜トンネル、感謝感激です。(こちらはランドマークではありませんが古くからの桜の名所です)。
さて、我が福島県中通のランドマーク『安達太良山』から、新東京のランドマーク『スカイツリー』は見えるのでしょうか?同じ二本松市岩代の日山、羽山から富士山が見えるとのこと。スカイツリーが見える?北限の山『安達太良』ってなのはいかがでしょう。

I Love You、 Fukushima Japan.
このところ海外からの反応が大いに気になります。
先日はジュニアスキー大会の招待選手引率で日本に初めて来たアメリカ人母親が日本はどこもきれいだとの話に「ヘー、そうなの?!」と変に納得。
同じ時期にパリに出張した娘婿が、パリは汚くて驚いたとの話、昔は『花の都パリ』であったのが、今はそうではないのでしょうか。
この春休みには、南相馬で被災したふくしまっ子がポルトガル在住の日本人から招待を受け渡航しています。引率の『あのねのね』の清水国明氏のfacebook情報ですが、歓迎レセプションにはポルトガル大統領も臨席し、すごい歓迎ぶりのようです。出発前のオリエンテーション合宿を我が宿で行ったのですが、その時に練習した『相馬流山踊り』を披露、満場の喝采を浴びている様子がfacebookに載っております。日本大使公邸ではリスボン市の復興のレクチャーを受けるなど、子供たちは感動的な体験をしているようです。日本とポルトガルとの歴史的に長い関係が、このような出会いの場を作ってもらっているのでしょう。
先週『JICAボランティア同窓会in福島』という催しがあり、青年海外協力隊員だった皆さんが全国から250人も福島復興のために集まっていただきました。パーティーには二本松市長と私もご招待を受け参加。派遣先の国々からの東日本大震災へのお見舞いの報告を聞き、アフリカやアジアの国々での日本人のボランティア活動がすごい評価を受け、地震津波被災国ニッポンへの心温まるすごい支援の報告に思わず目頭が熱くなりました。
JICA理事長を退職される緒方貞子さんが日本人の海外留学が減るなど若者の内向き志向が指摘されていることに関して、JICAの採用応募者数の倍率がここ数年、約100倍だと紹介した上で「最近は科学や技術系学生の応募も増え、社会全体が彼らにもっとチャンスを与えてほしい」と述べ、グローバル人材は減少していないと強調した(3月29日朝日新聞)とのこと、海外での日本人の評判は私たちが考えている以上なのかもしれません。
原発事故被災地の『FUKUSHIMA』は今、世界で一番有名な固有名詞になりました。福島人が原発事故被災県民としての同情を買うことだけから抜け出し、いち早く着実に復興する県にしたいものです。写真はJICA二本松訓練所の退所式のワンショット。岳温泉にお出でになったとき、是非一度お立ち寄りください。世界各地の民族衣装や暮らしぶりなどの展示室もあり、海外協力隊員たちの様子も分かり、すごく啓発されるところです。

東西ネーミング考
『大雪はラニーニャの仕業』との報道に変に納得。ペルー沖の海水面低下がインド洋東部からインドネシア近海の海水温が上昇をもたらし偏西風が蛇行し、寒気が南下し易かったから日本の西でシベリア高気圧が強まって寒気をもたらしたとのこと。『冬将軍』が勢いづくのは『ラニーニャ』の所為なのでしょう。関東地方やわが福島県は浜・中通りに春の大雪をもたらすのが『台湾坊主』というのも何となくわかる気がします。気象に関する現象にはニックネームがつけやすいのでしょうか日本も外国も判りやすい名称がついている気がします。
ラニーニャによる大雪現象はマスコミ報道ではすごい豪雪をもたらしているようですが実際には日本海沿岸地帯の低部だけが豪雪状態。山岳地帯の積雪は例年通りだそうです。ちなみに安達太良山の積雪は例年通りです。
先週行った蔵王山の樹氷は寒さの所為か見事なスノーモンスターでした。山頂付近は日中でもマイナス15℃以下にこの冬は度々なるそうで、冷え込みが強くて降雪量は余り多くないとのこと。そこで聞いた話。蔵王山の鳥兜山とキッツビューエルのハーネンカムの意味が同じ『鶏冠』だそうです。ハーネンカムというのはオーストリアのキッツビューエルにある有名な滑降コースの名称。スタート地点がトサカのように急峻でスキーワールドカップでの最も難コースと言われているコースです。ちなみにこのキッツビューエル出身の一番有名なスキー選手はオリンピック初の三冠王トニーザイラーです。蔵王の鳥兜山から下りるコースにはハーネンカムコースと後に名付けられたようですが、鳥兜山はスキーが渡来する前からの名称で不思議な一致です。
さて安達太良山は別名・乳首山。アイヌ語の辞書にあるtotoの意味が乳房とか母親の意味です。アイヌ語のaは私の意味。atotoが福島の地では北海道よりは暖かく口を大きく開けたからadataになったのでしょうか?同じ意味のオッパイ山がスコットランドにありその名はPaps Mountainだとか。安達太良山は日本酒の名産地、パップスマウンテンはウィスキーの名産地。こちらの名称は酒が取り持つ縁かも知れません。洋の東西を問わず面白いニックネームが付くものですね。
偏西風を蛇行させるラニーニャは女の子の意。エルニーニョ(男の子)は雨を多く降らせ温暖化するとか。ラニーニャのお蔭で3月に入っても安達太良山は絶好のスキーコンディションです。純白の乳首山絶景をぜひ見においでください。カンパーイ!
  写真は蔵王の樹氷です。ヘルメット姿のこの方にハーネンカムの意味を聞きました。

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