やっちゃんのあぐだもぐだ
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ピンク色の安達太良山から
今年は時間軸というか歴史軸の話題が多かった気がします。3年前に『2012』なるハリウッド映画を見、今年の10月に本屋の店頭で『滅亡の暗号』なる本を衝動買いしマヤ暦の最終日2012.12.21期限付きで読破、SFミステリー好きの私には飽きない年でした。フランスはピレネー山脈のBukarachなるリゾート村が地球の最後でも生きる残るリゾートだとかで一儲けしたとか、マヤのピラミッドのあるメキシコのチツェンイツァにも最後の日を迎える観光客で大賑わいであったとか、中国では宗教団体が大騒ぎし大量の逮捕者を出したとか世界中で珍現象続出にもびっくりでした。
それでも日本社会はマヤ暦で大騒ぎにはならなかったようです。たった一つの例外的話題と言えば、かの有名な小沢さんが今年3月のスピーチにマヤ暦最後の年になることを話し、自らの政党が終盤を迎えたという話題はどう解釈すればいいのでしょう。私はどんな話題でも我田引水的に観光誘客に結び付けようと思う悪い癖があります。9月に映画化された『天地明察』は江戸時代の改暦の話ですが、原作には3度ほど二本松藩の算額者磯村吉徳の江戸塾のことが登場しますが映画では残念ながら話題にもなりません。それでも改暦の話ですのでもっと盛り上がってもいいのかと思いますがどうでしょう。太陽暦と太陰暦では世界観が違うのかもしれません。
ロシアのプーチン大統領は、地球がいつ終わるかとの問いに『46億年後だ』と答の明快さには脱帽。クリスマス前に安倍首相再登板決定と韓国初の女性大統領の誕生はマヤ暦5126年サイクルの最終ページの出来事としたら、惑星直列は天変地異よりも人の心の変化に大きく現れたのかもしれません。
さて、マヤ暦の新しいサイクルに入った最初の出来事を『かぎろひと月』としたい…コジツケですが…いかがでしょうか?柿本人麻呂の『ひんがしの 野にかぎろひの立つ見えて かえりみすれば月傾きぬ』は692年11月17日に詠まれた歌とのことですが、今年の暦では12月29日に当たります。太陽が昇ると同時に西の空に月が傾きかける夜明けの天体ショー。岳の緯度ではピンクに染まった安達太良山に傾きかけた月が浮かんでいるのが見えるはずでした。世界が無事でしたので、万葉人のように時の流れに身を任せ自然と一体になって空を眺めてワンショットする予定でしたが今朝は雲がかかってしまいました。『天の海に雲の波立ち月の舟 星の林に漕ぎ隠る見ゆ』も万葉集1086の歌。こちらも勝手に使わせていただきますが、何となく宇宙旅行をしている感じでおおらかですよね。
  慌ただしき激動の2012年でしたが、2013年が良い年でありますようにお祈りいたします。
  写真は2007年12月26日午前7時16分の安達太良山での『かぎろひと月』です。
  来年はナイスショットしたいと思います。
観光地宣伝の今昔
インターネットニュース番組を、NHKと民間大テレビ局がニュースで取材し大々的に報道する時代になるとはびっくりです。聞くところによると(ネット検索での情報ですが!)ニコニコ動画なるサイトの創設は2006年12月12日、たった6年足らずで衆議院選の為の党首討論番組を主催しニュースに流すようになるとは、時代がまったく変わってしまったようです。今朝の中央紙朝刊の一面はどの新聞社も党首討論の記事。ある新聞は「ネットで党首討論対決」の大見出し付ですが、党首討論会に至った経緯も記事にし、またネット会社の株価も大幅値上がりしたとのこと、時代変化に大驚きです。
インターネットによる観光地や宿泊施設の情報提供が今や主流になってしまい、古くからの友人でさえもネット予約で入り、あとで携帯に電話がかかってくることもあります。観光地宣伝の在り方もここに来て大転換であると思います。先月の『あぐだもぐだ』で触れた大河ドラマも観光地宣伝にはかなり効果があり、テーマや主人公に関係する地域は我が田に水を引くべく躍起になります。
1月からの『八重の桜』には私たち福島県の観光業者は大いに期待し、集客効果に結びつけたいと切望します。この秋、白河と二本松の歴史資料館で開催された『新島八重と戊辰戦争展』のお蔭でテレビ放映前の県内PRも少しずつ盛り上がってきたかなとも感じます。京都では同志社の創立者新島襄夫人・八重のキャラクターが作られ、漫画で読む「八重物語」や「新島襄」などの出版物も数多く出されています。同窓会館に隣接する新島旧邸も一般公開されており新島八重の人となりを垣間見ることができますので京都にお出かけの際は是非お立ち寄りをお勧めします。
余談ですが、同志社大学歴代同窓会長名にはそうそうたる名前が刻まれているのにも驚きます。戦後2代目の会長名が小野英二郎(日本興業銀行創始者)とありこの方がオノヨーコの祖父に当たります。実はこの小野英二郎夫人の鶴子が二本松藩家老丹羽求馬の長女嘉輿子姫の娘です。戊辰戦争で二本松城落城の時は14歳で備前藩士税所篤人に保護され、後に妻になります。オノヨーコがジョンレノンと結婚し「愛と平和」をいつも訴えるのは戊辰戦争の悲惨さが語り継がれているからなのかと推察いたします。『八重の桜』効果が二本松にも及ぶことを期待して、同窓会のことにも触れてしまいましたがお許しください。
2013NHK大河ドラマ『八重の桜』のヒットで千客万来の福島県になって欲しいと思います。季節外れの写真は30年前の岳温泉からの暑中見舞いです。この頃は、テレビによる宣伝効果がバツグンでした。ニコニコ共和国独立宣言のニュースもニコニコ動画があったらどんな展開をしたことでしょう。
大河ドラマ考
おおかたの観光地はNHK大河ドラマのテーマ選定に一喜一憂します。今年の『平清盛』は視聴率が余り上がらないとか。それでも平清盛に因みのある西日本の観光地も夏までの入込数は例年の観光客は増えており旅の誘客効果が顕著とのこと、ただし秋に入り視聴率の低調さが遅れて連動するのか、観光地の入込もぱっとせず、平清盛に合わせた土産品なども棚から早々と消えているとか、現金なものです。そういえば父の日のプレゼントに孫から貰った作務衣は平清盛ブランドだったのを思い出しました。
昨年の『竜馬伝』はずーっと人気でした。そのお陰で長崎や高知は今でも竜馬に因んだ旅で活況を呈しているとか。福山雅治は坂本竜馬であると思う人が今ではほとんどなのでしょう。昔の坂本竜馬は北大路欣也だったのに見事に主役が入れ替わってしまいました。龍馬の名前を自分の息子に名づけた人も沢山いるので、龍馬は別格かもしれません。
来年の大河ドラマは『八重の桜』、舞台は京都と会津若松になります。福島県の一観光業者としては、『八重の桜』効果が福島の真の意味での観光復興につながればいいと願うばかりです。同志社大学の創立者である新島襄の奥様が主役の大河ドラマであり、震災後の福島県観光復興の起爆剤になるように視聴率も上がり、観光旅行者の入込が大きくなることに期待をします。
新島八重は会津藩砲術指南の家に生まれ、男勝りの性格で米俵を4回も肩まで担ぎあげたとかの逸話が残っており、戊辰戦争の際には弟が戦死した後に、髪を切り男装し最新式の銃を持って鶴が城の籠城戦で戦い抜いたなどの逸話がドラマ化されるようです。戊辰戦争時はジャンヌ・ダルクであり、戦後は京都に兄を訪ね新島襄と知り合いキリスト教式結婚式を挙げ、ハンサムウーマンであったとの言い伝えなど、会津の女性が180度の転換を見せ、夫の他界後は日露戦争時に篤志看護婦として活躍するなど、スーパーウーマンとしてのドラマが展開されるようです。新島八重のこのようなめまぐるしい人生も戊辰戦争抜きには語れないということで、白河と二本松での戦争の様子などもドラマには登場するようです。11月4日までは、白河と二本松の歴史資料館にて『新島八重と戊辰戦争展』が同時開催されていますので是非ご覧いただくことをお勧めいたします。
写真は二本松の霞が城にある二本松少年隊群像です。戊辰戦争では全国300余藩のうち城を枕に戦ったのは二本松藩と会津藩だけです。来年の大河ドラマの前半戦に登場しますので是非ご覧ください。
千年のいで湯のこと
岳温泉には代々伝わっている色んな行事があり、その一つに岳温泉金剛山講中というのがあります。昔は、新年、八十八夜そして二百十日と年3回あったようですが、30年程前から年2回の代参になり、部落を代表して栃木県の古峯神社まで馳せ参じお札を受けてきます。古峯神社の記録には岳温泉講中の大正13年からの記録が残っていますが、部落の言い伝えでは明治元年から金剛山講中が始まっており、深堀温泉時代の大火災で一旦消滅し大正時代に復活したようです。
  今年の二百十日前の代参に私の当番が回ってきましたので三人道中で行ってきましたが良く続いているなと感心します。30年くらい前までは明治生まれの方が健在で、年2回の講中は昼間から宴会があり酒も飲めて優雅なものだなと解釈していましたが、いざ自分の代になってきて講中に参加すると、地域ぐるみで『火の用心』の意義などを明確にし、講中の参加戸数を増やさなければならないと思うこともあります。
  ちなみに岳温泉は文政7年(1824)の山崩れ、慶応4年(1868)の兵火全焼、そして明治36年(1903)大火と3度の大災害に見舞われ地域ぐるみで移転してきていますので歴史を調べれば調べるほど、ご先祖からの習慣を継承維持していく意義を改めて考えさせられます。3度の大災害に遭いながら地域ぐるみで移転し、温泉を引き湯して復興を遂げた歴史の重さを感じます。金剛山講中は火災予防を始め大事故が無いように願っての講中ですが知らず知らずのうちに自らが火災予防の気概を持つようになると思えます。
  岳温泉神社の春の祭礼には湯前薬師と陽日(ゆい)温泉神が祀られ、秋は熊野神と安達太良明神、甑(こしき)明神が祀られ神仏が合祀されています。春の祭礼は大玉村・相応寺住職が祭祀を務め、湯の恵みと温泉の薬効に感謝の意を捧げます。秋は二本松の貴船神社宮司が祭祀となり観光仮装盆踊りと一緒に8月末に色々な祭礼行事が行われています。
  春の祭礼の祭祀を務めていただく相応寺の開山は大同2年(807)、法相宗・徳一大師が開祖です。相応寺は大同元年開山の会津・恵日寺との関係が密であり恵日寺の15代住職は相応寺出身の僧侶が務め、天正17年(1589)に伊達正宗に焼かれた後に恵日寺を再興させた住職として伝わっています。
  岳温泉の歴史的記述は相応寺開山の時代とほぼ同じ西暦800年代です。貞観5年(863)に小結(こゆい)温泉神として官位を受け、さらに寛平9年(897)に小陽日(こゆい)温泉神としてさらに上位の官位を受けるなど、千年以上前の歴史的記述のある由緒ある温泉が岳温泉であることが判ります。
 現代の温泉分類では酸性泉、pH2.5のレモンと同じ水素イオン濃度です。カルシウムイオンが多く湯上り後がサラッとし、化粧水の成分であるアルミニウムイオンのせいで湯上り後は化粧の乗りがいいとか言われています。江戸時代の温泉効能番付では前頭2枚目として薬効が讃えられており、抗生物質の無い時代は切り傷やおできにはよく効いたのでしょう。徳一大師が湯前薬師如来の夢を見て開山したとなると薬効そのものが岳の湯であったと解釈されますがいかがでしょうか。
  写真は3日前の安達太良山全貌です。ゴンドラ山頂駅の薬師岳山頂からのワンショットです。いい景色を見に「湯さ入りに来てくだっしょ!ナイ!?」
安達太良の自然に触れてみませんか?
今年の夏は暑い日が続ききました。最近の天気予報は観測点が多くなった所為か、集中豪雨の雨雲の配置と動きがインターネット画面ですぐわかります。25日に行われた岳温泉盆踊り大会の初日も19時の開始時間30分前に突然カミナリと集中豪雨に見舞われ危うく中止かなと思った20時30分に雨がピタッと止み、めでたく58回目の盆踊りを実施できました。この時にはインターネットの画面を見て雨雲の状態の濃淡が極端なのに気づき、20時30分頃には止むから盆踊りの中止決断をしないと言ったら見事に当たりました。スキー場ゴンドラを運営している会社でも、山の安全に万全を期すために最近のインターネット天気予報を参考にゴンドラの運行を決めるのだそうです。
最近、真夜中に地震が多いのは何となく気になります。昨年3月の大震災を経験しているので地震規模では比較的小さいものの万が一の準備はしていた方がいいと思っています。昨年9月5日には鉄山の大規模地滑りで温泉源が埋没、すぐに復旧はできたものの、大地震の後で地盤が緩んでいたところに夏の長雨が原因での山崩れでした。実は岳温泉の源泉地は188年前の文政七年8月15日(旧暦9月7日)の長雨のあとに大規模山崩れで温泉街全体(標高1400m地点)が埋没し、その後、温泉場ごとの移転と引き湯を繰り返してきた歴史があり、現在の場所は4度目の移転先で安全な場所なので安眠できる標高(500m〜600mの保護性気候帯)のところにあります。
さてこのような天候と自然条件の中、今年で3回目の開催になる安達太良山トレイルランニングレースが9月22日23日の両日、『安達太良山』のほぼ全山を使って開催されます。正式名称は『OSJ安達太良トレイル10K・50K』。全国から山岳レースの鉄人たちが参加しますが、累積標高差4000mのコースをわずか6時間程度で完全踏破する人もいるくらいのサバイバルレースです。スタート地点のあだたら高原スキー場(標高950m)から一気に安達太良山頂(1700m)を目指し、そこから西尾根を下り和尚山のナイフリッジを上り銚子が滝に下ります。ここから西尾根のブナ林を抜け、船明神山をめざす上りコース。さらに沼の平の硫黄採掘場に下り第一関門。上りは噴火口の北側対岸から胎内岩をくぐり鉄山をめざし、なだらかな尾根を下り笹平から塩沢登山口までの下りで第2関門。最後の登りは湯川渓谷から峰の辻篭山まで、そこから勢至平を下りスキー場のゴールとなります。50qの制限時間は13時間、10qのショートコースもあります。
天変地異の心配は横に置き、是非参加をお勧めします。写真は今年のパンフレット、奇岩奇勝の山岳コースは魅力いっぱいです。亜高山帯の刺激性気候の自然の中に生身の体を投げ出せば、生きている実感を体験できます。レースの後は、悠久の温泉『岳の出湯』が待っています。
少年隊と二本松のこと
 7月29日が近づくと二本松少年隊が蘇ります。この日は落城の日であり戊辰戦争での戦死者が数多く出た日です。前日の28日から顕彰祭行事が行われ市内の小学生による剣舞や居合が披露され幼くして散った少年隊の死を弔います。少年隊と命名されたのは戊辰戦争50回忌の時。生き残りの少年隊士の一人が負け戦であったことと、少年たちを出陣させたことから口を重く閉ざしていましたがこの時、初めて悲劇の戦いのことが公言されるようになったのです。実戦に出た最少年齢は12歳ですから今の小学5年生。数え年13歳が元服の歳として、1歳入れ歳で出陣しています。
 このような少年たちを交えての戦いだったので敵軍の隊長も油断して少年兵の一突きで絶命した方もいます。実戦でほとんど力尽きていたように見え、よれよれと倒れかけた少年兵が傍を通りかかる時に家来が斬ろうとしたのを、かわいそうだからと止め、隊長が少年の突きに刺されたのです。この西軍の隊長は長州藩白井小四郎、市内竹田坂の真行寺に眠ります。西軍隊長を懇ろに二本松藩士が弔ったこのエピソードは長く語り継がれ、本年の大隣寺で墓前祭にも長州藩士の子孫の方が参列してくださっています。
 二本松城には藩政改革と藩士への綱紀粛正の指針が刻まれた大きな花崗岩が藩庁門にあります。     爾俸爾禄 民膏民脂 下民易虐 上天難欺  の四句一六文字の漢詩で戒石銘といいます。1749年(寛延2年)に刻まれたものですが、昭和10年には行政の規範として教育的価値が高いとされ国史跡の指定を受けています。この四句一六文字の漢詩はロッキード事件やリクルート事件などの政官界汚職事件の時には必ず新聞紙上に登場し綱紀粛正のモデルであった二本松を有名にしてくれます。
 最近の二本松は原発事故のお蔭でも有名になっています。コメの全量検査を原発事故直後に決定し、秋の収穫で最初に汚染米報道がされたり、生コンに混入した高濃度の放射線汚染砂利が日本で初めて判明したりで話題豊富になっています。小中学生全員に累積放射線量計をいち早く配布し冬休み前に回収したから生コン汚染が判明しただけです。全部細かく計測しているからかえって安全地帯だと自負いたします。
 さて、福島の原発事故から1年5か月経ちました。国会の原発事故調査レポートの冒頭に黒川委員長が100年前の日露戦争の後、日本の国家のありように警鐘を鳴らす書『日本の禍機』を著した二本松が生んだ偉人・朝河貫一博士のことを喩に引用し原発事故を機に社会構造や日本人の思い込みを抜本的に改革する必要性があると書かれています。
 何だか二本松人であることに誇りを感じるようになりました。いつの世でも愚直なまでに信義を重んずるのが二本松の心かもしれません。
 写真は少年隊を弔う墓前祭にての二本松藩第18代藩士丹羽長聡様のご挨拶の様子です。無断で掲載させていただきます。
 
安達太良学事始め
 このところ地域の固有名詞を関した○○学なる学問が盛んな気がします。東北学や会津学はあるが安達太良学なるものがまだ見当たらないので大雑把なつかみで検証してみようと思います。まずは文化のジャンルから。何といってもこちらは万葉集に詠まれた北限の山が安達太良山であることです。
  陸奥の安達太良真弓 弦(つら)はけて 引かば香人(かひと)の 名を言(こと)なさむ
  安達太良の 嶺(ね)に伏す鹿猪(しし)のありつつも 我(あ)れは至らむ 寝処(ねど)な去りそね
  陸奥の安達太良真弓 はじき置きて 反(せ)らしめきねば 弦(つら)はかめかも
万葉集の世に三首も詠まれたのは驚きであり、後の世に高村光太郎によって詠われた『智恵子抄』に続く文学の山でもあります。
  9月に映画が封切りされる『天地明察』(本屋大賞、著者・沖方丁)に二本松藩算学塾である礒村塾が出てきます。主人公の渋川春海が江戸の会津藩邸を出て、渋谷宮益坂の金王八幡宮にある算学絵馬を奉納に行く下りが礒村塾の名が登場する場面です。そこで出会うのが後に妻となる才女『えん』。碁打ち名門出の渋川春海が得意の算学と暦法の才能を会津藩主保科正之や水戸光圀見込まれ、困難な改暦事業を何度も挫折しながら成し遂げるという歴史小説です。金王八幡宮で春海が写し取った中で一番気になった算学絵馬の問が礒村吉徳出題であったのです。
  この礒村塾の礒村吉徳は、京に生れ鍋島藩家人から二本松藩に召抱えられた和算学者として二本松市根崎の善性寺に眠ります。江戸時代の和算家として多くの弟子を輩出し、兄弟弟子には高名な関孝和がいます。またこの時代の和算書として江戸のベストセラー『算法闕疑抄』があり、礒村吉徳の設計により作られた用水が二合田用水です。あだたら高原スキー場東側の烏川から取水して18km、複雑な地形を経て霞ヶ城に到達し今も流域の田圃を潤しているのがこの用水です。用水取水口から3kmほど下ったところからは酪農地帯でありウォーキングコースに沿って澄んだ水がゆうゆうと流れます。
  和算額の最も多く現存するのは福島県です。その中で和算の歴史を紐解くといかに二本松藩の和算塾が盛んであったことが感じられます。ちなみに岳温泉が今も湯量が豊富なのは源泉からの引き湯によるものです。引き湯の設計は二本松藩校敬学館教授の渡辺東岳(土湯出身)によるものです。安達太良学の1ジャンルに和算学を入れてもいいかもしれません。
  岳温泉は標高500mから600mのところにあります。北側の福島市にある黒森山(740m)から南側にある苗松山(480m)までの南北10km、東西1km幅のなだらかな大地を岳地溝帯といい洪積世以降に形成された特異な地形ということで地質学者の研究の対象にもなっています。このなだらかな地形はウォーキングには大変快適な地形だと自負しています。詳細はいずれ日にか書いてみますが、地学もまた安達太良学の一ジャンルに加わると思います。
  色んなジャンルから安達太良山にこれからも光を当ててみたいと思います。ご意見を下さい。 
ランドマーク考
わが二本松のランドマークである安達太良山、稜線の雪がようやく解けて黒くなり出しました。今年もシンボルの雪形が駒形、鮒形、千鳥形と順に現れるのでしょうか。この冬はエルニーニャの影響とやらで偏西風の蛇行が激しくいつになったら春になるのかと思っていたら、やっぱりゴールデンウィークになると例年通りに桜が咲き出すものです。梅もレンギョウもこぶしもいっせいに咲き出しました。岳温泉の桜坂は咲き始めからたった2日で満開状態。偏西風の蛇行が今度は急に暖かい空気をいっせいに安達太良山に送ってくれたのでしょう。あの3.11から1年と2ヶ月目にしてようやく復興の息吹らしきものを肌で感じています。1年以上待ってやっと春が来た感じです。
福島県内各地でも何となく春の芽吹きが見えてきました。いわき市のランドマークといえばアクアマリンふくしま。津波の被害から立ち直り再開業、水族館横の砂浜で潮干狩りの映像を見ると放射線量も低下したのだと思わず喝采です。
一方、県外でも東京スカイツリーの開業を5月22日に控え盛り上がってきているとのこと、東京のランドマークは東京タワーから完全にシフトすることでしょう。武蔵の国の高さ(634m)に合わせるなどうまいものですね。大阪では728(浪花)のタワー建設が検討されているとか(こちらはタケシの冗談くさいけど)、いずれにしても「人呼んで栄えるまちづくり」をどこもめざしていますね。
ちなみに福島のランドマーク的モニュメントは笹森山の電波塔ですかね。阿武隈山地には日本標準時の電波塔がありますがご存知ですか?東日本の発信基地が田村郡都路村大鷹鳥谷山にあります。ちなみに西日本のそれは佐賀県羽金山にあります。日本標準時の子午線東経135度が通る位置の明石が有名なので電波塔も人寄せにならないものでしょうか。
あの3.11からはドタバタの一年間でしたが、震災直後から岳温泉を2次避難の場所として過ごしていただいた浪江町の皆様からの素晴らしいお申し出を喜んでお受けしました。避難直後に岳温泉の桜の状態を気にして下され、今年の春の桜の咲く前に浪江町商工会の皆様が「自分達は桜が好きだから桜の手入れをしてあげたい…」との申し出、私たち岳温泉観光協会は甘んじて申し出をお受けしました。お蔭で今年の岳温泉の桜は見事に咲きました。この場をお借りして改めて浪江の皆様に御礼を申し上げます。写真は見事に咲いた桜坂。絆の桜トンネル、感謝感激です。(こちらはランドマークではありませんが古くからの桜の名所です)。
さて、我が福島県中通のランドマーク『安達太良山』から、新東京のランドマーク『スカイツリー』は見えるのでしょうか?同じ二本松市岩代の日山、羽山から富士山が見えるとのこと。スカイツリーが見える?北限の山『安達太良』ってなのはいかがでしょう。

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