やっちゃんのあぐだもぐだ
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2月の話題から
2月は日数のせいかあっという間に過ぎました。今月は色々と特異な自然現象や社会現象が起きていると考えるのは私だけでしょうか。
8日にはマグニチュード8.1の地震がサモア諸島で発生し日本に津波が到着。16日未明に南極の方向から地球に接近する小惑星のせい??と疑ってみたら、前日の15日に隕石がシベリアのチェリャビンスク州に落ち1200人もの怪我人が出る有り様。You−tubeや、監視カメラにうつる衝撃波のすごさがテレビから伝わってくるので関連付けたくなります。
その前日の14日にローマ法王が辞任発表をしたらサン・ピエトロ大聖堂に雷が落ちBBCニュースなどで繰り返し流されていたので、これも関連付けてみたくなっています。数年前に読んだ『ダビンチコード』なる小説の同じ著者の『天使と悪魔』は気になりながらも読まなかったのですが、文庫本化されたついでに読んでみました。スイスにある全長27qの大型高速加速器で反物質が発見されたことでローマ法王を事件に巻き込んでしまう展開が今回のローマ法王ベネディクト16世辞任劇と重なり私の頭の中ではゴッチャになっています。
  今年の冬はより低温の寒波襲来でところによっては大豪雪のようで家屋が押しつぶされているとか?それでもスキー場便りを見ると、ところどころに一部可能マークのスキー場もあり、降雪の多いところと少ないところが今冬はかなり極端な気がいたします。
ウィンタースポーツは世界選手権の年、開催地がヨーロッパなので真夜中のテレビ観戦で連日寝不足気味です。オーストリーのシェラドミンゴで行われた世界アルペンスキー選手権では、期待された湯浅直樹選手を始め日本選手の入賞者は出なかったようですが、佐々木明選手には復調の兆しが見えたのはうれしいことです。一方、イタリアで行われている、世界ノルディックスキー選手権の方は、日本の女子ジャンパー・沙羅ちゃんの活躍ぶりが目立ち、ジャンプ混成団体戦では日本が金メダルに輝くなど頼もしいものです。個人戦でのメダルも多くなってきたようです。
福島県では3年ぶりにフリースタイルスキーワールドカップFUKUSHIMA2013が開催されました。こちらは2年の空白期間をおいてレース復帰した上村愛子選手には復調の兆しを感じられ2日間とも5位入賞。24日の最終日には今まで結果を出せなかった伊藤みき選手が見事金メダルに輝き、来年のソチオリンピックが楽しみになってきました。
写真はFISワールドカップ・フリースタイルスキー猪苗代大会の開会式ウェルカムパーティの一幕。左から2番目が上村愛子選手。さすがフリースタイルの開会式、レースクイーンがビブドローに一役買ってイベントを盛り上げてくれます。福島県内のスキー場はベストコンディションです。是非、お出かけください。
八重の桜と二本松
 政権が代わり、円安、株高とまるで世の中が180度転換したようです。観光業としては、円安でインバウンドの入込増が期待できるわけですが、原発事故FUKUSHIMAの風評払拭は先のことだと腹をくくっています。一方、1月6日から始まったNHK大河ドラマ『八重の桜』の効果には大いに期待しています。視聴率18.4%、さらに録画再生率の7.4%をプラスすると25.8%にも達するようで大河ドラマ効果が福島県への観光客入込増、特に会津地方の入込増は間違いなしでしょう。
  間もなく3.11から2年経とうとしていますが、そろそろ原発事故風評被害県から観光面では脱出するべく何らかのアクションを起こさなければと思っています。改めて観光の原点に返って中通り地方の観光について思いを巡らします。
  中通り地方は阿武隈山地と奥羽山脈に挟まれ、東北地方最南端に古代の白河の関があったところです。東北道の那須高原SAを過ぎ福島県に入る手前に標高451m地点の標識があり、ここからは仙台にかけては緩やかに坂を下ります。中通り地方の桜前線は阿武隈川の流れと正反対に北から下りて来ます。特筆すべきは三春滝桜を始めとする銘木が多いことです。須賀川は江戸時代には商業が発達しており松尾芭蕉は1週間ほど滞在しました。次に郡山市は明治に入り猪苗代湖からの安積疎水により発達した新産業都市として今は福島県の商都と言われています。そして我らがふるさと丹羽家10万石の城下町二本松となり、県都福島へと続きます。中通りの最北端は伊達市国見町であり、奥州合戦時の阿津賀志山防塁線が在り防塁線突破が鎌倉幕府武家政治へと変わった大事な歴史的結節点です。日本の歴史の重要な転換地点が中通り地方であることは大事なポイントであると思います。それでもこの地域の観光振興による地域おこしはなかなか困難でいつもネタ探しです。
  大河ドラマ第2週の『八重の桜』には佐久間象山の塾にて八重の兄の山本覚馬が、勝海舟、吉田松陰、川崎尚之助らが蘭学や西洋砲術などを学ぶ場面があり、そこに豚が舞い込んで松陰塾に入ってきた新島七五三太(襄)が登場する。こんな場面があったので、二本松に関係したことはないかと調べたら…ありました。二本松少年隊隊長木村銃太郎は砲術を学びに藩から江戸の江川坦庵に派遣されたと、二本松寺院物語にあります
。その江川坦庵の私塾『韮山塾』に西洋砲術を学んでいた人達の中に佐久間象山もいましたのできっと木村銃太郎は同窓でであったはずです。ちなみに木村銃太郎の曽祖父は二本松藩校教授で和算学者の渡辺東岳です。当時、砲術を学べる人間は和算術に長けていた人間だけだったようで木村銃太郎なら然りです。少年隊の隊長であった木村銃太郎は1868年7月29日に西軍の砲弾に倒れています。も少し早くこの史実を見つけてNHKの脚本に入れてもらえば、木村銃太郎が砲術を学んだ場面が出たのにと悔やまれます。
  そろそろ『八重の桜』に白河口の決戦と二本松戦争が登場するかと思います。二本松の場面が多く出ることを期待し、テレビ場面に登場する前に写真の木村銃太郎と少年隊士と大砲に出てもらいます。
ピンク色の安達太良山から
今年は時間軸というか歴史軸の話題が多かった気がします。3年前に『2012』なるハリウッド映画を見、今年の10月に本屋の店頭で『滅亡の暗号』なる本を衝動買いしマヤ暦の最終日2012.12.21期限付きで読破、SFミステリー好きの私には飽きない年でした。フランスはピレネー山脈のBukarachなるリゾート村が地球の最後でも生きる残るリゾートだとかで一儲けしたとか、マヤのピラミッドのあるメキシコのチツェンイツァにも最後の日を迎える観光客で大賑わいであったとか、中国では宗教団体が大騒ぎし大量の逮捕者を出したとか世界中で珍現象続出にもびっくりでした。
それでも日本社会はマヤ暦で大騒ぎにはならなかったようです。たった一つの例外的話題と言えば、かの有名な小沢さんが今年3月のスピーチにマヤ暦最後の年になることを話し、自らの政党が終盤を迎えたという話題はどう解釈すればいいのでしょう。私はどんな話題でも我田引水的に観光誘客に結び付けようと思う悪い癖があります。9月に映画化された『天地明察』は江戸時代の改暦の話ですが、原作には3度ほど二本松藩の算額者磯村吉徳の江戸塾のことが登場しますが映画では残念ながら話題にもなりません。それでも改暦の話ですのでもっと盛り上がってもいいのかと思いますがどうでしょう。太陽暦と太陰暦では世界観が違うのかもしれません。
ロシアのプーチン大統領は、地球がいつ終わるかとの問いに『46億年後だ』と答の明快さには脱帽。クリスマス前に安倍首相再登板決定と韓国初の女性大統領の誕生はマヤ暦5126年サイクルの最終ページの出来事としたら、惑星直列は天変地異よりも人の心の変化に大きく現れたのかもしれません。
さて、マヤ暦の新しいサイクルに入った最初の出来事を『かぎろひと月』としたい…コジツケですが…いかがでしょうか?柿本人麻呂の『ひんがしの 野にかぎろひの立つ見えて かえりみすれば月傾きぬ』は692年11月17日に詠まれた歌とのことですが、今年の暦では12月29日に当たります。太陽が昇ると同時に西の空に月が傾きかける夜明けの天体ショー。岳の緯度ではピンクに染まった安達太良山に傾きかけた月が浮かんでいるのが見えるはずでした。世界が無事でしたので、万葉人のように時の流れに身を任せ自然と一体になって空を眺めてワンショットする予定でしたが今朝は雲がかかってしまいました。『天の海に雲の波立ち月の舟 星の林に漕ぎ隠る見ゆ』も万葉集1086の歌。こちらも勝手に使わせていただきますが、何となく宇宙旅行をしている感じでおおらかですよね。
  慌ただしき激動の2012年でしたが、2013年が良い年でありますようにお祈りいたします。
  写真は2007年12月26日午前7時16分の安達太良山での『かぎろひと月』です。
  来年はナイスショットしたいと思います。
観光地宣伝の今昔
インターネットニュース番組を、NHKと民間大テレビ局がニュースで取材し大々的に報道する時代になるとはびっくりです。聞くところによると(ネット検索での情報ですが!)ニコニコ動画なるサイトの創設は2006年12月12日、たった6年足らずで衆議院選の為の党首討論番組を主催しニュースに流すようになるとは、時代がまったく変わってしまったようです。今朝の中央紙朝刊の一面はどの新聞社も党首討論の記事。ある新聞は「ネットで党首討論対決」の大見出し付ですが、党首討論会に至った経緯も記事にし、またネット会社の株価も大幅値上がりしたとのこと、時代変化に大驚きです。
インターネットによる観光地や宿泊施設の情報提供が今や主流になってしまい、古くからの友人でさえもネット予約で入り、あとで携帯に電話がかかってくることもあります。観光地宣伝の在り方もここに来て大転換であると思います。先月の『あぐだもぐだ』で触れた大河ドラマも観光地宣伝にはかなり効果があり、テーマや主人公に関係する地域は我が田に水を引くべく躍起になります。
1月からの『八重の桜』には私たち福島県の観光業者は大いに期待し、集客効果に結びつけたいと切望します。この秋、白河と二本松の歴史資料館で開催された『新島八重と戊辰戦争展』のお蔭でテレビ放映前の県内PRも少しずつ盛り上がってきたかなとも感じます。京都では同志社の創立者新島襄夫人・八重のキャラクターが作られ、漫画で読む「八重物語」や「新島襄」などの出版物も数多く出されています。同窓会館に隣接する新島旧邸も一般公開されており新島八重の人となりを垣間見ることができますので京都にお出かけの際は是非お立ち寄りをお勧めします。
余談ですが、同志社大学歴代同窓会長名にはそうそうたる名前が刻まれているのにも驚きます。戦後2代目の会長名が小野英二郎(日本興業銀行創始者)とありこの方がオノヨーコの祖父に当たります。実はこの小野英二郎夫人の鶴子が二本松藩家老丹羽求馬の長女嘉輿子姫の娘です。戊辰戦争で二本松城落城の時は14歳で備前藩士税所篤人に保護され、後に妻になります。オノヨーコがジョンレノンと結婚し「愛と平和」をいつも訴えるのは戊辰戦争の悲惨さが語り継がれているからなのかと推察いたします。『八重の桜』効果が二本松にも及ぶことを期待して、同窓会のことにも触れてしまいましたがお許しください。
2013NHK大河ドラマ『八重の桜』のヒットで千客万来の福島県になって欲しいと思います。季節外れの写真は30年前の岳温泉からの暑中見舞いです。この頃は、テレビによる宣伝効果がバツグンでした。ニコニコ共和国独立宣言のニュースもニコニコ動画があったらどんな展開をしたことでしょう。
大河ドラマ考
おおかたの観光地はNHK大河ドラマのテーマ選定に一喜一憂します。今年の『平清盛』は視聴率が余り上がらないとか。それでも平清盛に因みのある西日本の観光地も夏までの入込数は例年の観光客は増えており旅の誘客効果が顕著とのこと、ただし秋に入り視聴率の低調さが遅れて連動するのか、観光地の入込もぱっとせず、平清盛に合わせた土産品なども棚から早々と消えているとか、現金なものです。そういえば父の日のプレゼントに孫から貰った作務衣は平清盛ブランドだったのを思い出しました。
昨年の『竜馬伝』はずーっと人気でした。そのお陰で長崎や高知は今でも竜馬に因んだ旅で活況を呈しているとか。福山雅治は坂本竜馬であると思う人が今ではほとんどなのでしょう。昔の坂本竜馬は北大路欣也だったのに見事に主役が入れ替わってしまいました。龍馬の名前を自分の息子に名づけた人も沢山いるので、龍馬は別格かもしれません。
来年の大河ドラマは『八重の桜』、舞台は京都と会津若松になります。福島県の一観光業者としては、『八重の桜』効果が福島の真の意味での観光復興につながればいいと願うばかりです。同志社大学の創立者である新島襄の奥様が主役の大河ドラマであり、震災後の福島県観光復興の起爆剤になるように視聴率も上がり、観光旅行者の入込が大きくなることに期待をします。
新島八重は会津藩砲術指南の家に生まれ、男勝りの性格で米俵を4回も肩まで担ぎあげたとかの逸話が残っており、戊辰戦争の際には弟が戦死した後に、髪を切り男装し最新式の銃を持って鶴が城の籠城戦で戦い抜いたなどの逸話がドラマ化されるようです。戊辰戦争時はジャンヌ・ダルクであり、戦後は京都に兄を訪ね新島襄と知り合いキリスト教式結婚式を挙げ、ハンサムウーマンであったとの言い伝えなど、会津の女性が180度の転換を見せ、夫の他界後は日露戦争時に篤志看護婦として活躍するなど、スーパーウーマンとしてのドラマが展開されるようです。新島八重のこのようなめまぐるしい人生も戊辰戦争抜きには語れないということで、白河と二本松での戦争の様子などもドラマには登場するようです。11月4日までは、白河と二本松の歴史資料館にて『新島八重と戊辰戦争展』が同時開催されていますので是非ご覧いただくことをお勧めいたします。
写真は二本松の霞が城にある二本松少年隊群像です。戊辰戦争では全国300余藩のうち城を枕に戦ったのは二本松藩と会津藩だけです。来年の大河ドラマの前半戦に登場しますので是非ご覧ください。
千年のいで湯のこと
岳温泉には代々伝わっている色んな行事があり、その一つに岳温泉金剛山講中というのがあります。昔は、新年、八十八夜そして二百十日と年3回あったようですが、30年程前から年2回の代参になり、部落を代表して栃木県の古峯神社まで馳せ参じお札を受けてきます。古峯神社の記録には岳温泉講中の大正13年からの記録が残っていますが、部落の言い伝えでは明治元年から金剛山講中が始まっており、深堀温泉時代の大火災で一旦消滅し大正時代に復活したようです。
  今年の二百十日前の代参に私の当番が回ってきましたので三人道中で行ってきましたが良く続いているなと感心します。30年くらい前までは明治生まれの方が健在で、年2回の講中は昼間から宴会があり酒も飲めて優雅なものだなと解釈していましたが、いざ自分の代になってきて講中に参加すると、地域ぐるみで『火の用心』の意義などを明確にし、講中の参加戸数を増やさなければならないと思うこともあります。
  ちなみに岳温泉は文政7年(1824)の山崩れ、慶応4年(1868)の兵火全焼、そして明治36年(1903)大火と3度の大災害に見舞われ地域ぐるみで移転してきていますので歴史を調べれば調べるほど、ご先祖からの習慣を継承維持していく意義を改めて考えさせられます。3度の大災害に遭いながら地域ぐるみで移転し、温泉を引き湯して復興を遂げた歴史の重さを感じます。金剛山講中は火災予防を始め大事故が無いように願っての講中ですが知らず知らずのうちに自らが火災予防の気概を持つようになると思えます。
  岳温泉神社の春の祭礼には湯前薬師と陽日(ゆい)温泉神が祀られ、秋は熊野神と安達太良明神、甑(こしき)明神が祀られ神仏が合祀されています。春の祭礼は大玉村・相応寺住職が祭祀を務め、湯の恵みと温泉の薬効に感謝の意を捧げます。秋は二本松の貴船神社宮司が祭祀となり観光仮装盆踊りと一緒に8月末に色々な祭礼行事が行われています。
  春の祭礼の祭祀を務めていただく相応寺の開山は大同2年(807)、法相宗・徳一大師が開祖です。相応寺は大同元年開山の会津・恵日寺との関係が密であり恵日寺の15代住職は相応寺出身の僧侶が務め、天正17年(1589)に伊達正宗に焼かれた後に恵日寺を再興させた住職として伝わっています。
  岳温泉の歴史的記述は相応寺開山の時代とほぼ同じ西暦800年代です。貞観5年(863)に小結(こゆい)温泉神として官位を受け、さらに寛平9年(897)に小陽日(こゆい)温泉神としてさらに上位の官位を受けるなど、千年以上前の歴史的記述のある由緒ある温泉が岳温泉であることが判ります。
 現代の温泉分類では酸性泉、pH2.5のレモンと同じ水素イオン濃度です。カルシウムイオンが多く湯上り後がサラッとし、化粧水の成分であるアルミニウムイオンのせいで湯上り後は化粧の乗りがいいとか言われています。江戸時代の温泉効能番付では前頭2枚目として薬効が讃えられており、抗生物質の無い時代は切り傷やおできにはよく効いたのでしょう。徳一大師が湯前薬師如来の夢を見て開山したとなると薬効そのものが岳の湯であったと解釈されますがいかがでしょうか。
  写真は3日前の安達太良山全貌です。ゴンドラ山頂駅の薬師岳山頂からのワンショットです。いい景色を見に「湯さ入りに来てくだっしょ!ナイ!?」
安達太良の自然に触れてみませんか?
今年の夏は暑い日が続ききました。最近の天気予報は観測点が多くなった所為か、集中豪雨の雨雲の配置と動きがインターネット画面ですぐわかります。25日に行われた岳温泉盆踊り大会の初日も19時の開始時間30分前に突然カミナリと集中豪雨に見舞われ危うく中止かなと思った20時30分に雨がピタッと止み、めでたく58回目の盆踊りを実施できました。この時にはインターネットの画面を見て雨雲の状態の濃淡が極端なのに気づき、20時30分頃には止むから盆踊りの中止決断をしないと言ったら見事に当たりました。スキー場ゴンドラを運営している会社でも、山の安全に万全を期すために最近のインターネット天気予報を参考にゴンドラの運行を決めるのだそうです。
最近、真夜中に地震が多いのは何となく気になります。昨年3月の大震災を経験しているので地震規模では比較的小さいものの万が一の準備はしていた方がいいと思っています。昨年9月5日には鉄山の大規模地滑りで温泉源が埋没、すぐに復旧はできたものの、大地震の後で地盤が緩んでいたところに夏の長雨が原因での山崩れでした。実は岳温泉の源泉地は188年前の文政七年8月15日(旧暦9月7日)の長雨のあとに大規模山崩れで温泉街全体(標高1400m地点)が埋没し、その後、温泉場ごとの移転と引き湯を繰り返してきた歴史があり、現在の場所は4度目の移転先で安全な場所なので安眠できる標高(500m〜600mの保護性気候帯)のところにあります。
さてこのような天候と自然条件の中、今年で3回目の開催になる安達太良山トレイルランニングレースが9月22日23日の両日、『安達太良山』のほぼ全山を使って開催されます。正式名称は『OSJ安達太良トレイル10K・50K』。全国から山岳レースの鉄人たちが参加しますが、累積標高差4000mのコースをわずか6時間程度で完全踏破する人もいるくらいのサバイバルレースです。スタート地点のあだたら高原スキー場(標高950m)から一気に安達太良山頂(1700m)を目指し、そこから西尾根を下り和尚山のナイフリッジを上り銚子が滝に下ります。ここから西尾根のブナ林を抜け、船明神山をめざす上りコース。さらに沼の平の硫黄採掘場に下り第一関門。上りは噴火口の北側対岸から胎内岩をくぐり鉄山をめざし、なだらかな尾根を下り笹平から塩沢登山口までの下りで第2関門。最後の登りは湯川渓谷から峰の辻篭山まで、そこから勢至平を下りスキー場のゴールとなります。50qの制限時間は13時間、10qのショートコースもあります。
天変地異の心配は横に置き、是非参加をお勧めします。写真は今年のパンフレット、奇岩奇勝の山岳コースは魅力いっぱいです。亜高山帯の刺激性気候の自然の中に生身の体を投げ出せば、生きている実感を体験できます。レースの後は、悠久の温泉『岳の出湯』が待っています。
少年隊と二本松のこと
 7月29日が近づくと二本松少年隊が蘇ります。この日は落城の日であり戊辰戦争での戦死者が数多く出た日です。前日の28日から顕彰祭行事が行われ市内の小学生による剣舞や居合が披露され幼くして散った少年隊の死を弔います。少年隊と命名されたのは戊辰戦争50回忌の時。生き残りの少年隊士の一人が負け戦であったことと、少年たちを出陣させたことから口を重く閉ざしていましたがこの時、初めて悲劇の戦いのことが公言されるようになったのです。実戦に出た最少年齢は12歳ですから今の小学5年生。数え年13歳が元服の歳として、1歳入れ歳で出陣しています。
 このような少年たちを交えての戦いだったので敵軍の隊長も油断して少年兵の一突きで絶命した方もいます。実戦でほとんど力尽きていたように見え、よれよれと倒れかけた少年兵が傍を通りかかる時に家来が斬ろうとしたのを、かわいそうだからと止め、隊長が少年の突きに刺されたのです。この西軍の隊長は長州藩白井小四郎、市内竹田坂の真行寺に眠ります。西軍隊長を懇ろに二本松藩士が弔ったこのエピソードは長く語り継がれ、本年の大隣寺で墓前祭にも長州藩士の子孫の方が参列してくださっています。
 二本松城には藩政改革と藩士への綱紀粛正の指針が刻まれた大きな花崗岩が藩庁門にあります。     爾俸爾禄 民膏民脂 下民易虐 上天難欺  の四句一六文字の漢詩で戒石銘といいます。1749年(寛延2年)に刻まれたものですが、昭和10年には行政の規範として教育的価値が高いとされ国史跡の指定を受けています。この四句一六文字の漢詩はロッキード事件やリクルート事件などの政官界汚職事件の時には必ず新聞紙上に登場し綱紀粛正のモデルであった二本松を有名にしてくれます。
 最近の二本松は原発事故のお蔭でも有名になっています。コメの全量検査を原発事故直後に決定し、秋の収穫で最初に汚染米報道がされたり、生コンに混入した高濃度の放射線汚染砂利が日本で初めて判明したりで話題豊富になっています。小中学生全員に累積放射線量計をいち早く配布し冬休み前に回収したから生コン汚染が判明しただけです。全部細かく計測しているからかえって安全地帯だと自負いたします。
 さて、福島の原発事故から1年5か月経ちました。国会の原発事故調査レポートの冒頭に黒川委員長が100年前の日露戦争の後、日本の国家のありように警鐘を鳴らす書『日本の禍機』を著した二本松が生んだ偉人・朝河貫一博士のことを喩に引用し原発事故を機に社会構造や日本人の思い込みを抜本的に改革する必要性があると書かれています。
 何だか二本松人であることに誇りを感じるようになりました。いつの世でも愚直なまでに信義を重んずるのが二本松の心かもしれません。
 写真は少年隊を弔う墓前祭にての二本松藩第18代藩士丹羽長聡様のご挨拶の様子です。無断で掲載させていただきます。
 
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