やっちゃんのあぐだもぐだ
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オリンピック出場四方山話
ピョンチャンオリンピックが間もなく始まります。開幕直前の日本選手の活躍ぶりが連日新聞やテレビを賑わし、福島県ゆかりの選手として猪苗代高校出身者が3人も出場します。スキーモーグル競技の遠藤尚選手、ノルディック複合の渡部剛弘選手、そしてチェアスキーの鈴木孟史選手です。遠藤尚選手は「自分は高校まで育ててもらった猪苗代が大好きです。ここまでの選手になれたのも猪苗代を練習バーンとしてやってきたからだ。それでも世界に飛び出すには、甘えの許されない環境に身を置くことだと考え、先輩の中村さんの会社(宮城県忍建設)にお世話になって競技を続けている。オリンピック3回目の出場になるのでメダルを取り現役を引退する」と述べ、前回のソチオリンピックの後に腰椎骨折もし、今期のワールドカップには2位に入るなど自信に裏打ちされたスピーチには感銘を受けました。
ノルディック複合の渡部剛弘選手はワールドカップ転戦中でありこの種目では福島県からは初出場です。実は福島県にはジャンプ台がありません。オリンピック種目の中のクラシック競技であるこの競技で福島県出身の選手が出ることは絶賛に値します。ジャンプ台については1997年の国体の時に作られたのですが、維持が難しく、こわれたままになっており、ジャンプ台のない県出身の選手がオリンピック日本代表として出場するのは周辺のサポートも含め大変な努力です。今日の新聞にも同じ猪苗代高校の先輩方と出場できるのは光栄である、自分のパフォーマンスをしっかりさせて望むとの談話です。剛弘選手の所属はガリウム(スキーワックス)ですが、元素の名称であり滑走性が非常に優れており東北の鉱山にて発見されワックスとして世界の選手が使っています。
鈴木孟史選手は小学2年生の時に交通事故で両足を無くしましたが、チェアスキーでアルペンの金メダルを前回のソチオリンピックで取っておりこちらの活躍も大いに期待できるところです。彼が中学生の頃は福島県の身障者大会をあだたら高原スキー場で行っていたので鋭く縦にスキー板を切ってくる滑りが目に焼き付いております。
さてこのように種目が違って3人も同じ高校からオリンピックに参加するのはめったにないことです。これら3選手はアルペンスキーから入りオリンピックの切符を手にしています。この磐梯山周辺に根付いたスキー文化のなせる業が多くのオリンピック選手を生み出し育てる地域なのかもしれません。
磐梯山周辺には数多くのスキー場が点在します。猪苗代湖の湖面の標高はちょうど500mくらいです。湖の北西側に広がる平地に連なり磐梯山がそびえ立つ風景は心が大きくなる感じです。磐梯山の周辺に点在するスキー場は天分の立地にありオリンピック選手を産み出す絶好の環境にあります。出場選手の応援をお願いし開幕前の「あぐだもぐだ」といたします。

檜枝岐と岳物語
東北一高い山は燧ヶ岳(2316m)。この山があるのは日本一人口密度の低い檜枝岐村です。日本有数の特別豪雪地帯であり、周囲を栃木県、群馬県、新潟県に囲まれた福島県南会津郡にある人口600人ほどの村です。この村の特徴は名字が星、平野、橘しかなく周囲を栃木弁、群馬弁、新潟魚沼弁と南会津弁(会津弁のさらに訛りがキツイ)に囲まれながら、なめらかな西日本言葉を今も話されている村です。先日、檜枝岐でクロスカントリースキー大会があり、村のお歴々からご馳走になったので、私だけが知っているマル秘物語の話を致します。
今を去る843年前の秋、平家が栄華を誇っていた京の都は、木曾義仲軍の攻勢による焼き討ちに遭っていました。平敦盛の恋人である麗御前も義仲軍の乱暴狼藉に危うく命を絶たれるところ、義経の指揮の下、助けには入ったのが小槻隆国と言う陸奥は安達の庄の若武者であり、救い出された麗御前は若武者のその名を心に刻みつけることになりました。元暦元年(文治元年・1185)平家一門は壇ノ浦にて滅亡します。京の戦乱の折に、身ごもっていた敦盛の子を出産した麗御前たちは従者と共に落ち延びた先は遠い陸奥の檜枝岐の地でした。檜枝岐での暮らしは厳しくも少しは慣れてきたとき、今日の戦乱の折の恩人である小槻高国のことが頭をよぎりました。夫の敦盛は戦乱で既にこの世におらず敦盛の子・小敦は5才になっていました。命の恩人の小槻高国を訪ねたいと周囲の反対を押し切り、小敦を連れ従者夫妻と共に岳山(安達太良山)の麓にたどり着き、粗末な家を建て暮らすことになりました。いつしか見目麗しき御仁が岳の地にいるという噂は、小槻高国にも伝わり岳の地での再開となり、自然の成り行きで一緒に暮らすことになりました。岳の地での小槻高国、麗御前、小敦の幸せな暮らしぶりはいつしか鎌倉方の知るところと成り追っ手の手により岳の地で3人とも果てることになります。時は文治元年(1186)6月10日、不憫に思った岳の人々が懇ろに埋葬し三人の塚が立てられました。生き残った従者はその後、檜枝岐へ戻り平野の姓を名乗り今に至るというお話です。この話は昭和4年頃に尾瀬に行き平野長英さんの山小屋に泊まり、帰り際に寄った檜枝岐村の民家の古老が、「二本松から来たのであれば、平野家に伝わる秘密の話しをして進ぜよう」と話した内容です。二本松から檜枝岐に行った旅人は竹田町の大内信祐さんです。80才過ぎてライフワークとしてペンネーム北郷隆平として著わしたのが「御前塚物語」であり、檜枝岐側には平野家が平家の落人であったらしいとの話しが伝わるだけ、星家は9世紀頃に檜枝岐に入り、橘家は織田信長に追いやられた伊勢の豪族の子孫とだけ文献にあるようです。平野家が二本松側の物語にだけ登場します。檜枝岐と岳温泉は昔からスキー仲間で仲が良く馬が合います。
8百年以上前からのお付き合いの所以かもしれません。クロスカントリーもアルペンスキーもできるバックカントリースキーには最適の場所が檜枝岐です。写真は村長の星光祥著の檜枝岐道物語の表紙です。

あだたら学事始め
安達太良に関することは何でも研究して文化的資料に落とし込み後世に伝えて行こうという岳温泉文化協会と言う団体があります。平成13年春に創設され文化的研究全般を行っております。この団体の創立5周年記念誌『根びらき』を見ると初期の活動内容が見えてきます。初代会長は二瓶義松氏(故人、現くろがね小屋初代管理人)事務局長が鈴木孝雄氏(東雲堂医院院長・現・文化協会会長)で調査員の肩書を持つメンバーの顔触れは様々です。酒造会社社長、植物の研究家、登山家でペンションオーナー、温泉会社社長、元教員、世界中を今も歩き回っている現役の登山家等々です。最初の岳温泉文化協会会報を見ると創立時の思いが伝わって来ます。
初年度から会報が発行されており、テーマから活動内容が見えてきます。リュウキンカ観測会、ブナ原生林観測会、黄判沼のモリアオガエル観測会、旧登山道見て歩き・登山道を探る、仙幽・硫黄採掘場跡探索報告、春の前ヶ岳登山報告、円東寺跡探索記、塩沢の老木を訪ねる山行、安達町大谷地のリュウキンカと山の入りダム、深堀街道見て歩き、隠れ谷地探索行、湯川渓谷を探る、姫沼観測会、ヒメボタル観察会、二合田用水路探査などです。
創立5周年記念誌を見ると、会報で報告された以上の文化協会全体の幅の広さと奥の深さが見えてきます。特にヒメボタル観察記録については特異性が覗えます。設立当初から毎年6月下旬から7月上旬にかけて夜の8時から1時間程度の観察がなされヒメボタルの発生地域、期間、観測地点と生息数などが報告書に上がっています。このヒメボタルについては平成13年から18年間の観測結果を今年の夏に二本松市長を通じて報告されることになりました。ちなみにヒメボタルが観測され全国のヒメボタル研究のきっかけになったのが昭和37年に奥岳付近の観測が最初で、昆虫学者の大場信義博士によって始められたようであり、安達太良における観察の重要性が分かります。ヒメボタルは陸生のホタルの為に人が立ち入り過ぎると成虫を踏み荒らし戸数の減少につながる恐れがあるので本年度までは公表を控えてきました。今年の夏、初めて市教育委員会と共同で現地の調査が行われ、来年の夏前には何らかの告知もあるかと思いますので楽しみにお待ちください。
  直近の岳温泉文化協会の活動に『かぎろいを見る会』がありますが、冬至直後の十六夜の朝、東の空の夜明け前にかぎろいを見て、さらに安達太良山を振り返ると月が傾く瞬間を見る集いです。「ひんがしの 野にかぎろひの立つ見えて かえりみすれば 月かたぶきぬ」人麻呂。この歌は奈良の地で詠んだのでしょうが、柿本人麻呂も歌枕に安達の真弓を歌っています。奈良時代に安達に来たの?ってな疑問も解けるかもしれませんので、『かぎろいを見る会』に参加してみませんか。実施日は平成30年1月3日早朝5時鏡が池集合です。晴れれば『阿武隈山地に『かぎろいが立つ』と『安達太良山に月かたぶきぬ』が見えるかもしれません。
 『あだたら学事始め』として、ここに研究成果を公表いたしたく思います。次回以降もよろしくお願いいたします。

安達太良自慢とアイヌ語説
1週間前のヤマレコ人気投票で安達太良山は4位の位置でした。この時の順位は@高尾山(599m)A谷川岳(1977)B穂高岳(3190)C安達太良山(1700)D塔ノ岳(1491)E城山(670)F栗駒山(1627)G白山(2702)H槍ヶ岳(3180)I唐松岳(2696)であり、1位高尾山が全期間を通じてトップなのには脱帽ですが、並み居る競合の穂高岳、槍ヶ岳の3000mクラスの山に交じって安達太良山の人気ぶりには驚きました。夏秋4位は自慢したくなります。今日、ランキングは7位ですので紅葉の時期が終わりに近づいたので仕方ない気も致します。全期間を通じての人気トップは不動の高尾山ですが安達太良山は40番に位置します。谷川岳が16位、白山19位、槍ヶ岳が24位、北岳32位、穂高岳33位、白馬38位、甲斐駒39位ですのでそれぞれの山は個性がありランキングはあくまでも指標ですが我がふるさとの山が人気の山であるの事は気持ちがいいものです。
 自慢ついでに、安達太良山のネーミングの話。安達太良の語源論争にはアイヌ語説、たたら説、安達郡で一番高い山説など色々ありますが古くから親しみのある山として人気のある山だからでしょう。安達太良山は万葉集で歌われた最北の山でもあります。
   陸奥之吾田多良真弓着絃而引者香人之吾乎事将成
   安太多良乃禰爾布須思之能安里都都毛安礼波伊多牟禰度奈佐利曽禰
   美知乃能安太多良末由美波自伎於伎西良思馬伎那婆都良波可馬可毛
万葉集4500首の中で陸奥を詠んだ歌は13首、そのうちの3首が安達太良を読んでおり、古代都人の憧れの地であり歌枕に登場します。さらに真弓が枕詞として付きます。この真弓が安達太良の枕詞として登場するのは万葉集の編纂までで、それ以降の和歌集には2首を除いて安達太良は登場しなくなります。変わって安達の真弓、安達野の真弓として登場するだけになります。安達太良(ADATARA)が使われなく安達(ADACHI)になったのは、元明天皇による風土記選上の際に発せられた好字令(713年・和同6年)が726年(神亀3年)の民部省口宣で陸奥まで徹底され国郡郷名が二文字に徹底され安太多良が安達に替わったことによるものでしょう。
その180年後に安積郡が分割され安達郡が誕生(906年・延喜6)します。さて本題の安達太良=ADATARAアイヌ語説の証明。アイヌ語でa=私の、われわれの。Dataはアイヌ語のtotto=「母親、おっぱい」が変化したもの。ra=翼、低い所。繋げるとADATARA=「われらが母なる地」となりますが如何でしょうか。ちなみにアイヌ語のa-kotaniは「我らが村」です。言語学からのアイヌ語説は次回以降に譲ります。私たちは安達太良山を乳首山と読んでおりアイヌ語説に信憑性大ありです。写真は安達太良渓谷自然遊歩道です、まさに日本の秋のベストサイトだと思いませんか。

重陽の芸術祭が始りました
『重陽の芸術祭2017』が今年も始まりました。2年に一度のビエンナーレ開催のはずが好評につき2年連続開催となります。現代アート展を二本松エリア全域で催すのでPR告知が難しく、開催されているかどうかも分からず終わったのが昨年でしたので重陽の芸術祭PRダイジェスト版と思い『あぐだもぐだ』致します。
今年の目玉は二本松城天守台に設置された『Ship‘s Cat』。9月9日の設置と同時に沢山の写真マニアが押し寄せ、それぞれのアングルから撮影されFaceBookにて世界中にシェアされる反応には驚きます。早朝の雲海に沈む二本松市街を見下ろす『Ship‘s Cat』、夕焼け空に浮かび上がる『Ship‘s Cat』、夜景を見下ろす『Ship‘s Cat』など、伝統的城郭建築と現代芸術と競演が感じられる不思議な空間になっています。さらに冬に向かうこの空間が新しいインスピレーションを与えてくれそうな予感も致します。
オノ・ヨーコの『THE SKY AGAINST THE THUNDERSTORM』『雷鳴にはむかう空』と銀盤に刻まれ「雷雨の中に空を作りなさい」との言葉が天守台から空と対峙します。二本松城に何故にこの作品が置かれているかの理由は8月19日のNHK番組ファミリーヒストリー「オノ・ヨーコ&ショーン・レノン」見た方にはピント来ると思います。オノ・ヨーコと二本松藩の関係は、オノ・ヨーコの曾祖母に当たる嘉與子姫(当時14才)が戊辰戦争で二本松城落城の日、西軍に捕らえられ生き延びオノ・ヨーコらの子孫につながるストリーです。NHK放映のお陰でこの作品の意味をさらに深く理解しようという人も多くなって来たかもしれません。
今年は岳温泉街にもワタリドリ計画の作品が展示され、バス停近くの安達太良物産のお店が展示場でセピア色の絵はがきが並んでおります。旅の思い出に現代アートの作品をお買い求め頂くこともアートに参加することですので是非お立ち寄りください。
重陽の芸術祭の場としての安達が原と智恵子の生家は面白い場所です。新進気鋭のアーチストが創作意欲をかき立てる格好の場になるのかとも感じます。安達が原黒塚と鬼婆の住み家でであった観世寺の岩屋には安達が原の鬼婆をテーマにした新旧の作品があり時代の変遷と人間くささを感じます。ここに福井利佐さんの切り絵があるのは不思議です。手塚治虫の作品展示があり、10月15日には夢枕獏、京極夏彦、東雅夫のシンポジウムが行われます。黒塚のテーマは現代アートには最適の場所なのでしょう。
市内竹田見附の国田屋醸造の蔵にはアメリカ人アーチストDillon Rappさんの版画作品があり、大七酒造にはAlbert Giacommetiの作品が展示がされており蔵の町に何かを投げかけているよう感じます。
写真は二本松城天守台の『Ship’s Cat』、二本松を護ってくれています。菊人形も始ります。11月23日まで様々な催しのある秋の二本松に是非お出でください。

野菜・果物&菊の自慢話
今年の夏は北高南低の典型的な飢饉型気圧配置のせいか気温が低く雨が、連続22日も続くという気象の状態でした。福島の特産品『桃』の出荷が遅れてしまい味もいまイマイチだったような気がします。福島県は太平洋に面しながら内陸部の豪雪地帯を抱える広い県であり農作物の地域品種が微妙に違う県です。
桃が福島市や伊達市を中心に適地であるのは扇状地地形と吾妻山と阿武隈山地に囲まれた盆地地形にあるとも言われおり、6月から11月まで果物の出荷が途切れません。サクランボ、モモ、ナシ、ブドウ、リンゴとどれもが高品質で人気の高いのが福島の品種です。盆地で日照時間も長く、昼間の暑さに比べ夜間の気温が下がる日格差は糖分の蓄積能力をあげます。福島盆地には半径10km県内に一斉にモモ、ナシ、リンゴなど色んな花が咲くのは見事です。また、西洋ナシが初めて日本で栽培されたのは福島と言うことも伝わっております。マルグリットマリーアと言う大きな粒の品種ですが一度味わって見る価値のある西洋ナシです。サクランボの人気品種『佐藤錦』の原産地は福島ですが、忘れられている品種の一つです。戦前はサクランボ生産高日本一が福島であり、戦後の食料増産のためにサクランボの木が伐られてしまったようですが、福島県人は謙虚というか宣伝下手なのでだれも原産地である事をアピールしません。再度、モモの話をしますが、福島市のモモと伊達市のモモの栽培方法が違うことをご存じですか?福島市のモモは袋をかけないので黄色とピンクが強烈に発色します。一方、伊達市のモモは袋をかけるので色合いが黄色とピンクの優しい色です。食べてみての味を見分けることは難しく私には判断できませんがどちらも日本一の美味しさであると自慢できます。
会津地方の南郷村の特産品はなんと言っても『トマト』です。臭いや味などの主観的な評価が高い『南郷トマト』が超人気商品ですが、糖度計やなどの客観的な数値では表せないようです。ミネラル分が多いことも美味しさの評価につながっており、土壌を良くするための地域の人たちの長年の努力が南郷トマトの高品質性を維持しているとの見解を農業試験場の方が話してます。因みに会津地方から出荷される『会津身知らず柿』の原産地は現二本松市の岩代地区です。こちらでは西念寺柿の名称の渋柿です。今から400年ほど前に伊達政宗が統治していた岩代の地の西念寺にあった品種を、伊達正宗に追いやられた大内家の家臣が苗木を会津の地に植えて実も撓わに実らせたのが『会津不身知柿』です。大内家は会津の宮森家であり、現在の会津の造り酒屋に宮森姓が多いのはその証拠です。会津の地域性には品種改良などを惜しまずやり遂げるという根性が備わっているのかもしれません。
ついでに二本松の自慢です。写真は千輪咲きの菊、一本の茎から千輪以上の花をつけ、こちらも日本一の品種です。二本松の菊人形まつりは10月10日〜11月24日です。それに先立ち9月9日から重陽の芸術祭が始ります。乞う、ご期待!

アスレジャー イン 岳温泉
  CNNニュースを見ていたらアスレジャーなる言葉が耳に飛び込んできました。私は「明日のレジャー」についての話題と早とちりしましたが、Athlete(運動競技)とLeisure(余暇)の合成語がAthleisureとし判明したので今月の「あぐだもぐだ」に致します。
 アパレル業界では2017年のファッション傾向としてかなりの市場性に期待が膨らんでいるようです。
勝手な解釈ですがアスレジャーの先行事例『山ガールファッション』のお陰か、震災後の原発被災県であっても、健康志向で自然を愛する登山客は増加の一途を辿っています。安達太良山のアスレジャーファッションの昔はチロリアンハットにニッカボッカでした。最近はチェック柄のポケット付き登山用シャツも相変わらず多く、その中で目立つのはSKINSのタイツと袖にカラフルな半ズボンと半袖襟付きジッパー付きシャツが流行の先端みたいです。登山ガイド自らが最高級最先端の登山用品を身につけることが勧められているとか。マンモスやゲジゲジムシマークがトップブランド、時折、メイドイン北欧や南米砂漠の名称ブランドがカッコイイ売れ筋商品に登場し、クラシックスタイルしかしらないオールド登山家は博物館に送られそうな気分になる安達太良山です。
アスレジャーファッションは動きやすい運動着を日常の生活で着こなし生活を豊かにするという志向性からアパレル業界のみならずアスレジャービジネスとしてビッグな市場になることも予測されているようです。
 さて、我が岳温泉のような温泉地ファッションはいかようになるのでしょう。温泉旅館に来れば浴衣に着替えて宴会は定番、夏休みのように家族連れが多い温泉観光地では大人も子供も浴衣に着替えるのですが、最近は大浴場に行く時を除いて浴衣姿に混じってアスレジャーファッションが多くなって来たようにも感じがいたします。
短パンにぴったりしたTシャツはマッチョな体には似合うけど、必要以上に腹が出てお尻の筋肉が落ち太ももが盛り上がらなくなった体型には却って着ない方がいいかもしれません。アスレジャーファッションを着こなすためにトレーニングジムに通い始める人が出てくるのは必須でしょう。ライザップとはこんなことだったのかと今更ながら気づきます。アスレジャーブームは運動習慣やスポーツウェアがビジネスチャンスにつながる現象は今に限った訳ではありませんが温泉リゾート側もアスレジャーファッションが似合う温泉街にならなければと思う、今日この頃です。
写真は岳温泉にて今夏から始ったブランド戦略『ADATARA Activity』の一コマです。ノルディックウォーキングをすると上半身にも適度な筋肉が付き、ウナジがきれいになります。ご自慢のアスレジャーファッションに身を包み、安達太良山の自然に浸ってみませんか。
  お待ちしております。
歩く岳の再構築に挑戦
岳温泉では2004年からウォーキングに取り組み初め今年で13年。『歩く岳(だけ)で健康』のキャッチフレーズを2006年から使い始め何となく岳で『歩くこと』が定着したような気が致します。当初は散歩マップづくりから始め、日本ウォーキング協会の認定コースもでき、福島大学の支援でウォーキング効果の科学的検証がなされ、同時期に岳温泉を中心に33のウォ−キングコースを設定したのが2006年です。だだ『歩くこと』を地域ぐるみで開始したものだから、歩きの理論面でも色んなアプローチがあり現在に至っています。日本ウォーキング協会では色んな道を楽しく歩くことで地球一周4万キロを目標にする指標もあります。同時期に競歩オリンピック金メダリストのH.ガウダー氏の来日もあり福島大学との連携により、パワーウォーキングプログラムによる健康増進法が形となりました。さらにノルディックウォーキングにより、全身筋肉の90%までも活性化する仕組みが作られました。東日本大震災直後からは正しい歩き方と筋力アップの重要性に照準が当り健康寿命の観点から取り組んでおります。
13年間に亘って学んだウォーキング理論の切り口は多少違いますがどの理論も正しい理論です。指導を受けた時期と指導者理論の解釈が人それぞれの解釈になるのは仕方ないことかもしれません。例えばパワーウォーキングですが、こちらは言わば速歩です。通常の歩く速度は時速4km程度、こちらを時速6〜7km程度にするには腕を短距離走のように曲げ早足で歩く形です。最大心拍数を基準に有酸素運動をして心肺能力を高めます。このトレーニングのマニュアルもあり週に3回、40分ずつのトレーニングを続けることにより筋力も上がり健康増進につながります。ノルディックウォーキングはストックを使い全身の筋肉のほぼ90%の活性化につながります。またストックを使い上半身の筋肉も使うことにより通常ウォーキングよりエネルギー消費は20%上昇し、一方下半身にかかる負担は26%減少します。正しい歩き方を加速計でチェックし、筋力増強を効果的に行う方法も取り入れました。
やみくもに距離だけ稼いでしまうのは決して良くはなく、自分の体力に合った距離を歩くことを勧めています。速歩ウォーキングと通常ウォーキングを繰り返すインターバルウォーキングは筋力増強につながります。
岳温泉にはウォーキング理論を学んだインストラクターも待機しておりコースも整備されておりますので、是非お気軽にお声がけください。岳クラブとしてウォーキングの会員になり正しい歩き方を習得する方法もあります。健康寿命を延ばすため皆様も会員になれます。7月下旬からはADATARA Activityとして健康増進につながる歩くことプログラムを販売する予定です。乞うご期待!
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