やっちゃんのあぐだもぐだ
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狂歌教室開講
平和でのんびり過ぎる岳温泉に住んでいても、ホリエモンショックは大きなショックでした。たった10年間で8000億円の価値を創造し、プロ野球やフジテレビ買収劇、はたまた衆議院議員立候補などで超有名なマスコミ寵児が、一転、東京地検捜査逮捕となり世の中の仕組みがいったいどうなっているんだろうと唖然とするばかりでした。1月後半はショック状態が大きかったんで、思っても見なかった狂歌教室を『あぐだもぐだ』ページとさせていただきます。

ホリエモン 塀から落ちて ドザエモン
  バーチャルの森消え 立ち木6本 (岳安)
月見れば 寒気を透かす 虚しさや
  金よりほかに 知る人ぞなし  (樽睦)
寒冬の 塀の冷たさ 身にしみて
 暖とる君は 重ね着Tシャツ (宮智)
ウソばれて 株価下がりぬ また百円
 時価総額は 紙とちりゆく (栃玲)
我が庵は ヒルズの丑寅 麻原ぞ住む
 はみ出でし腹 同類を証す (樽睦)
小泉を覆い隠せし 竹の中
 前原開けて  亀井万(満)面(岳安)
高窓に 寒月さして 薄明かり
これもまた 想定内と 呟いて(@がん)
人の世はうつろうものとことわりの
ひとり芝居のボケツホリエモン(字余り)(@がん)
淡き夢 かよう看守の 靴音に 行く世 案ずる ドアの株守 (栃玲)
いかがですか?たまには、世の中を斜めに見るのもいいでしょう。
2月3日は節分です。二本松では「鬼はー外!」とは言いません。「オニー、ソト!」といいます。藩主丹羽様を敬う二本松の風習です。二本松にはこんな世相の時に注目される名物もあります。ロッキード事件やリクルート事件の時に引き合いに出された『戒石銘』という大きな自然石がそれです。藩士の心得を登城門に記してあります。今回のホリエモン事件ではまだマスコミに登場しません。せっかくですからこの戒石銘からの一句…『上天は 欺き難し 花の雲  零雨』
是非とも、戒石銘の碑文を見に二本松へお出かけください。
小正月の団子さし
今日から小正月。昨日14日は温泉神社のどんと焼きでお正月をお送りし、いよいよ正月気分から身も心も抜け出し仕事に励まなければならない時期に入りました。余談ですが、昔、岳温泉ではお正月の餅つきを12月31日の早朝4時からやっていたそうです。暮れの30日までギリギリ働いて、やっと正月を迎えることが出来たのが昔の岳温泉の生活ぶりだったようです。
 商売柄、旅館業は年中無休ですが、どうも休日3連休法でハッピーマンデーになり、かえって気持ちに余裕がなくなった気がします。6日を出初として頑固に伝統を守り続ける東京やいわきはカッコいいと思います。7日に七草粥を食べ今年一年の健康を祈り、15日に成人式をするのがやっぱり体のリズムに合っている気がします。今年の二本松は8日が成人式、9日が消防団の出初をするような不思議な配列になってしまいました。お陰で、何となくペースが狂った気がし、12月初旬から長く続いた厳しい寒さが急変、3月下旬の陽気になったのは「暦変更の所為だ!」と勝手な思い込みをしてしまいそうです。簡単にカレンダーを変えるから世の中が滅茶苦茶になるんですよね、きっと!?暦の制定は陰陽師安部清明に任せるべきでしょう。
 余り暦の話にこだわると、変わり者のレッテルを貼られそうなので少し我が宿のPRを致します。昨年11月1日より我が宿は『24節気玉手箱料理』なるものに取り組み15日ごとに季節のテーマを持って料理を始め館内の装飾やイベントに取り組んでいます。1月16日からは『小正月玉手箱』になります。玉手箱の中身は秘密、開けてビックリとなるよう調理場スタッフ一同頑張って包丁を握っています。ちなみにフロントには当館総支配人作の『団子さし』があります。枝振りのいいミズキの木に米の粉を練った本物の団子をさしました。私が小学校の3年ぐらいまではやっていた記憶がありますが久々に復活し、お客様歓迎の団子さしになりました。二本松近辺の歳時記にこだわった『あったかい宿作り』を今年も目指します。冬期間恒例の『あったか抽選会』始まりましたので、是非、あったかい湯につかりにおいでください。
2006年初日の出です
新年明けましておめでとうございます。
お健やかに新年をお迎えのこととお喜び申し上げます。
今年は岳温泉復興100周年の年に当たります。岳温泉が現在の地に明治39年に復興して100周年の節目を迎えることになります。100年間の感謝の気持ちを、岳温泉全体で今年1年間表すような年に致しますので何卒よろしくお願いいたします。
さて、写真は、2006年1月1日、午前6時56分のご来光です。100周年を記念しての初日の出ゴンドラが本日5時30分より無事運行いたしました。私もこの『あぐだもぐだ』なる文章を読んでくださる皆様にご来光の写真をお届けすべく元朝参りのあと2時間ほどの睡眠で5時に起床し無事写真を撮る事が出来ました。晴天ではなかったのですが薬師岳山頂付近から阿武隈山地の移ヶ岳(994.5m)から昇るご来光です。朝日に映える雲の間からの初日の出は、風もなく、今年が穏やかな年であることを表しているのかもしれません。
皆様にご来光写真をお届け致したく早起きして撮影した甲斐がありました。無事に写真撮影をしたあとは2006年初すべりでした。山頂付近は一昨日の新雪が60cmほどあります。今シーズンからスキー場のコース名称が星座にちなんだ名称になったので、処女雪に近い(少し風で舞って重い感じでしたが)アンドロメタなる急斜面コースを深雪滑走、さらにゲレンデ部分はきれいにグルーミングされた快適バーンでした。爽快な気分で会社に戻りパソコンキーボードを叩いています。今までに経験したことのないほどスキー場の積雪状態は最高ですので是非滑りにおいでください。
『早起きは三文の徳』です。特に2006年は、気分爽快に新年を迎えることが出来ました。
『安達太良を 神と拝みて 年迎う    ―零雨―』
今年も、皆様にとって幸多い年であることをお祈りし、ご来光写真をお届けいたします。
異常気象のせい?
 年の瀬も迫ってきました。いつもは今頃から雪が降り始めるのに今年は12月初旬から毎日のように降り続いている気がします。どうやら北極圏寒気団の蛇行具合がいつになく激しく、まだ暖かい日本海の海を渡り日本列島に大雪をもたらしているのが原因のようです。全国的に大雪の影響がどのように経済に現れるのか心配です。冬の入り口の異常な寒波は身近な自然にも見受けられます。スキー場ゴンドラ山頂駅から薬師岳山頂までは200mほどの距離、安達太良連邦の全容が間近に見られるビューポイントのひとつがここです。今年は真冬が一気に来てしまったので少しおかしな景色が見られます。真っ赤なナナカマドの実が全部残ったまま周囲は真冬の積雪状態です。写真は薬師岳山頂付近のナナカマド、遠く蔵王連邦が望めます。
 それにしても二本松近辺は雪が少なくて冬にもさしたる苦労をせずに住むところ。先週の雪も郡山と福島は雪が積もったのですが二本松の市街地には積雪はほとんどありませんでした。昔からよく「雪が余り降んねからお城が在んだワィ」とか「二本松人は雪かきしねがら、のんびりなんだワィ」とか言われてきた理由がなんとなく理解できますよね。二本松人に押しなべてハングリーさが少ないのは気候のせいでしょう。奥州街道の交通要所だから人の往来は多く、何とか商売になった地域だから産業もなかなか起きず、酒、家具、菓子の特産品は江戸時代の遺産と解釈します。明治以降の新しい産業起こしはひょっとしたらスキー場開発と菊人形くらいかもしれません。新たな発想での産業興こしの必要性があると実感するこのごろです。
 さて前述の異常寒波、寒気団蛇行のせいだとすると、寒気団はいずれ動いて行くでしょう。2月頃に雪が異常に解け出すような気候にならなければいいと思います。2月には伝統のスキー大会第48回朝日杯スキー大会が開催されます。岳温泉復興100周年を記念して団体戦も復活します。スキー場コンディションもベストであって欲しいですね。
 100周年を機に、観光地作りの発想を、ゼロに戻して考えるいいチャンスだと思っています。余談ですが、異常気象のせいで新しい組み合わせの景色も見られます。白と赤のコントラストが青空に映えています。真冬にいっぱい実がついてるナナカマドは今がチャンス、是非見に来て下さい。
初すべり報告
例年より2週間も早く昨日スキー場がオープンしました。ゲレンデコンディションは真冬並です。私も役目柄テープカットに馳せ参じましたが、役職特権でテープを切る前にひと滑り、新雪と人口雪がうまく混じり圧雪車で完璧に仕上げられたバーンは最高のフィーリングでした。倉庫に眠っていたスキー板の状態も滑走面をワックスで保護してあったせいか滑り具合も上々、2本のシュプールはきれいにカービングライン、まだまだ現役スキー選手にも負けない滑りだと勝手に思い込んでいます。スキーは最高ですよ!?
さて、スキー歴史の話。日本最初のスキーは明治44年1月12日にオーストリア軍のレルヒ少佐が高田に伝えた時というのは常識。その年の3月には五色温泉でオーストリア人クラッツアーと友人らがスキーをやっており、同年12月25日には五色スキー場が開設し、その後は多くの外国人スキーヤーでにぎわったようです。それからちょうど18年後の昭和4年12月25日が岳スキー場の開設日、岳温泉のスキー文化の始まった日です。スキー場を開設した理由は、祖父(一二)が大正八年に農家から温泉宿に婿入りしたら余りにも生活が厳しく、特に冬の炭焼きには閉口したことがバネになったようです。婿入り直前まで近衛兵として宮城警護に当っていたとき、当時の皇太子様(昭和天皇)と弟君(高松宮様)が雪の積もった皇居の土手でのスキー姿が、祖父のトラウマになっていたのでしょう。オフシーズンの打開策はスキー客誘致しかないとの思いから、地元の青年有志と積極推進した結果がスキー場開設につながったのです。
その後、スキー場は上部へ延び、現在はあだたら高原スキー場になっています。経営母体も岳観光(株)から二本松市、そして昭和47年からは富士急へと移り、オールシーズンの山岳リゾートとして人気上昇中です。来年2006年は岳温泉復興100周年。一年を通じて岳温泉を挙げて色々な催しを実施します。ちなみに元旦は初日の出ゴンドラ運行です。早朝5:30から営業開始、薬師岳山頂からご来光を仰ぎましょう。風が吹かないことを祈るばかりです。写真は12月8日午前8時のスキー場全景です。
日展のこと
第37回日展が上野公園の東京都美術館開催されています(11月2日〜11月23日)。さてこの日展なる日本最大の美術公募展はわが二本松に大いに関係があります。会長は二本松出身の大山忠作画伯、そして理事長は彫刻家の橋本堅太郎先生(現、東京学芸大学名誉教授)であり、二本松の血が日展の盛衰を握っているといっても言い過ぎでないと思います。先日、橋本堅太郎後援会主催の『橋本先生と日展を見る会』に私も参加し全国から応募された作品を観てまいりました。橋本堅太郎後援会の副会長を父が勤めている関係上、私は副会長代理でした。ちなみに会長は元市長の大河内鷹さん、もう一人の副会長は現、市議会議長の斉藤元さんですが事務局長兼任というもったいないような陣容です。後援会の陣容以上にもったいないのは、事業の一つに橋本堅太郎先生を囲む旅行会が毎年行われ、先生ご夫妻と一緒にしかも解説付きで各地の国宝になっている美術品を観賞する旅行ができることです。残念ながら、私はまだ一度も参加したことはありませんが、父たちは京都や奈良などで、普段一般には直接近づけないような国宝級の作品を堅太郎先生の解説付きで毎年堪能しています。母曰く、「まるで、大学のゼミナールみたい!…」な旅行らしく、橋本先生の底深い人間性がにじみ出るお話にいつも感動するそうです。今回の、堅太郎先生の作品名は『日ざしを追う』ですが、奥様が病に倒れられ長い闘病生活での思いを作品にされたとのこと、今回の後援会総会に出席されるため久しぶりにわが宿にお泊りいただき、ご自分の作品である甲子大黒天(昭和59年作)にお参りし、また忙しく日展会場に向かわれたようです。ちなみに岳温泉神社のご神体は薬師如来像、こちらはお父様の橋本高昇氏の作品です。また、1996年の岳温泉復興90周年事業には、原画・大山忠作先生、彫刻・橋本堅太郎先生による共同作品である岳温泉十二支めぐりを特別のご好意で作っていただきました。今考えると冷や汗ものです。お二人そろって日展の会長と理事長になられ、期せずして日本に唯ひとつの版画でめぐる散歩コースに最大級の箔が付いたことになります。2007年に迎える日展100周年を大山・橋本両先生のコンビで迎えられるようです。ちなみに、来年2006年は岳温泉復興100周年、元旦に『復興100周年記念初日の出ゴンドラ』が5時30分より動きます。あだたら高原スキー場で初日の出を拝みに早起きしませんか?
ついでに温泉神社で甲子大黒天にも参拝され十二支めぐりもお楽しみください。
十文字岳温泉再興候補地検分記
10月30日、岳文化協会のメンバーと『岫(クキ)下』なる場所の探索に行ってきました。この地名は元岳の山崩れによる全滅(1824年)の後、移転先候補地として挙げられた2ヶ所のうち1か所の名称です。我々のご先祖である深堀村住民の進言により、一度はテーブルの上に乗った幻の岳温泉再興地であります。その場所が実際にどの辺りであったかを推測するのは胸踊ることでした。この岫下なる地名が急にクローズアップされるようになった理由は、私の安達高校時代の恩師・若林伸亮先生のお力によります。先生は本宮町町史編纂委員などもお勤めになり郷土史研究家としてもご活躍です。2年前、二本松藩丹羽公入府360年記念事業の一つとして『十文字岳温泉復元のための基礎調査』を編纂していただきました。お蔭で、東北一繁栄したと言われ、戊辰戦争で消滅した十文字岳温泉(1826〜1868)の様相が明らかになりました。その中の今泉文書(郡山市歴史資料館所蔵)に収められていた180年前の絵地図をもとに『岫下』なる温泉移転候補地を現在の地図と照らし合わせの実地探査はロマン溢れることです。めったに立ち入る事のない山道を歩き、辿り着いた場所は紅葉のきれいな静寂の地でした。同行のメンバーからは色々な意見が出され、『岫』の持つ意味(〜山のいただき〜山中の洞穴)から、昔から熊の穴と呼ばれている現在の二本松市第一水源が『岫』であり、その下部の比較的平坦なところが『岫下』であろうという一応の結論に落ち着きました。余り上部では安達太良の寒風が吹きすさび(写真)肌を刺します。岳温泉再興地の『岫下』案非採択の理由は、ここが御用水(二合田用水)の取り入れ口上部であり、かつ冬期間の積雪が多くオールシーズン営業に難しいとの判断からでした。検討の結果、3kmほど下部に場所が選定され十文字岳温泉再興になったわけです。この事業は二本松藩の一大事業であり、街並み作りやテナントの配置など、私たちにも大いに参考になります。おりしも、来年は岳温泉が現在地に復興して100周年です(明治時代は深堀温泉として営業。こちらは明治36年に大火全焼)。様々な事業を岳温泉挙げて実施する予定ですが、さらに100年先の照準を見定め、地域ぐるみで全国一の温泉地づくりにも取り組みます。変わらぬご支援をよろしくお願い致します。
『戦国の雄から二本松藩主へ』展開催中
「二本松藩主として知られる丹羽氏は、じつに数奇な運命をたどった戦国大名のひとりです。……」というキャッチコピーではじまる丹羽家秘蔵資料展が開催中です(期間;10/15〜11/27・場所;二本松市歴史資料館)。昨日、開場式テープカットがあり十八代藩主の丹羽長聰(ながとし)様も二本松にお出戴きました。丹羽家からは代々伝わる鎧、書簡、掛け軸、硯箱、膳など366点ほどを寄託され、今回は67点が展示されています。初代長秀公の書簡はもちろんの事、豊臣秀吉朱印状や前田利長起請文など歴史的に貴重なものばかりであり、特に今回寄託されたのが長秀公着用の甲冑です。初代長秀公、二代長重公が実戦で着用したものであり、実戦の弾痕が3箇所もあります。銅版を幾重にも重ねた鎧は貫通しないのだそうです。金花猫塗唐冠兜と名付けられた兜の風格の違いに圧倒されます。猫の顔のデザインは魔よけの意味があるとの事ですが、戦国の世に生き残って織田信長の重鎮であった123万石大大名の風格を、この私でも感じたような気がします。丹羽長聰様が挨拶の中で「子供の頃にこのカブトを被り三輪車に乗って遊んでいた…」などと言っておられましたが、戦国大名の子孫の遊びは我々庶民とはまるで違っていたようです。前日に我が宿にお泊りいただき二本松史跡保存会(会長・鈴木弘治氏)の役員としてご一緒に会食をさせていただくことができましたが、世が世ならば、宿六の私は敷居の外側に居るべき立場です。平和な時代に生れてほんとうに幸せです。菊人形もいよいよ本番。二本松歴史資料館にも立ち寄っていただき、二本松の歴史をより深く感じていただければと思います。写真は資料館での丹羽様(右側)と奥方(左から2番目)の厚子様です。史跡保存会の鈴木会長(左端)と共に根本文化課長の説明に耳を傾けられ談笑されました。今回の企画展を機に、さらに丹羽家の歴史が詳細に解明され二本松藩がさらにクローズアップされればいいなと思います。
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