やっちゃんのあぐだもぐだ
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平成スキー場物語2
岳温泉で除雪車の登場を見なかった初めての冬が平成最後の年になってしまいました。各地のスキー場は降雪量が例年の半分以下、何とか3月末までは営業を引き延ばす努力をしている事に、スキー場関係者にエールを送りたい気持ちでいっぱいです。冬が終わり寂しい気持ちなので、スキー場の話で平成時代を振り返ってみたいと思います。
日本で最初のスキーは明治44年1月、上越は高田にて軍事訓練のため、オーストリアから派遣のレルヒ少佐によるもの、同年3月には開通したばかりの奥羽線の山形と福島の県境にある五色温泉にオーストリアの商社マンがスキーをしており、その後の東北地方のスキー振興の要となりました。大正3年に猪苗代では磐越西線川桁駅からの軽便鉄道が中ノ沢温泉まで運行しており、早稲田大学スキー部が初のスキー合宿を行ったのが大正9年、東北地方最古のスキー場です。岳温泉スキー場は、昭和4年12月開設、昭和29年は東北陸運局第一号のリフト運行となりました。猪苗代にスキーリフトが架けられたのが昭和34年この頃からスキーブームが始まり、その後、県内各地にリフトを設置したスキー場が沢山誕生したのが昭和の時代です。
さて、本論。平成時代のスキーリゾート論2。昭和時代の後半、バブル景気とリゾート法の施行により、県内には続々と大きなスキー場が登場致しました。折しも土湯トンネルが開通し、冬期間でも県都福島市と雪の会津を簡単に行き来できるようになり、またリゾート法活用の素晴らしいスキー場開発が未開の山間地までおよび、会津地方全域が一流の山岳リゾートになるとの予感がありました。『私をスキーに連れてって』の映画のテーマソングに乗る若者、またスキー修学旅行も全盛期でスキー場にはスキーヤーが溢れました。しかし数年前の予感は見事に外れ、スキーヤーの目減りが目に見えて来たのが1997年ごろでした。「なんで、スキーヤーが減ったの?」「スノーボードが出て来たからだ!」とか、「リフト料金が高いからだ」とか、スキーヤーの減少傾向に百家争鳴の如くスキー場経営論が飛び出しました。スキーブームに限り陰りが見えたときに光った経営論が白馬47のスキーヤー満足度を大事にした事例と、ツェルマットの環境主義と自治組織による経営論であったことが記憶に残っております。福島は2011年3月11日の大震災と原発事故風評被害を克服できないままですが、平成時代に新しくなったスキー場が沢山在り、さらにリノベーションに取りかかった所もあるのが福島のスキー場の特徴です。是非、滑りにお出でください。
新元号の発表は明日。昭和は戦争の時代の反省から「平成」になったと解釈します。平成は地球温暖化現象からの問題解決につながる元号になればいいと思うのは、雪大好き人間の願いですがいかがでしょうか?新元号の人気投票では栄安、久安とかが出てますが、安雪とか安天なんかはどうですかね?人工知能が人間の頭脳に追いつく2045年は新元号26年に当たるので、ロボットに人間が征服されず、自然の雪でスキーをやりたいと思うのは私だけでしょうか。写真は数年前の豪雪の後の温泉街です。来年の冬からは雪が平年通りに降って貰いたいものです。
非日常空間への旅を思う
  くしろさっぽろ国体のスキー競技の応援団としての報告です。アルペンがテイネ、ジャンプが宮の森、クロスカントリーが白幡山会場、開始式が札幌文化国際劇場でした。オープニングセレモニーにはトワ・エ・モアが登場し、今回の国体のテーマソングと札幌オリンピックのテーマソングが歌われ会場が盛り上がりました。
1972札幌オリンピックのテーマソングであった『虹と雪のバラード』は耳に焼き付いており、一曲目の『♪…イランカラブテ……♬』のフレーズには当初は意味不明でしたが、アイヌ語で「あなたの心にそっと届きますように」と言う意味で、心から歓迎の意味を表す言葉らしく、国体競技開催中に耳と目に付くキャッチコピーであるのが印象に残った大会でした。
  4年ぶりの札幌入りですが、札幌全体が非日常空間になっているのを今回は特に感じました。私が最初に札幌を訪れたのが1966年夏、大学1年の時の合宿地が真駒内自衛隊基地であり、毎日毎日、走りづくめの記憶しかありません。基地から定山渓まで28kmを走ったことも記憶の片隅にあります。夏に引き続き、1か月半の長い冬合宿も北海道でした。倶知安、小樽、そして札幌では自衛隊カマボコ宿舎と年末年始はスキー部OB宅に大勢で泊めて頂き、今思うとご迷惑をかけた思いが残ります。この頃の札幌市の人口は50万人位であったと思います。そして1972年の札幌オリンピックです。この時のテーマソングがトワ・エ・モアの『虹と雪のバラード』であり、歌詞「町ができる美しい町が…♬、…今太陽の真下に 生まれ変わる札幌の地に 君の名を書くオリンピックと♪♬」のフレーズが予言のように聞こえ、今回の国体で昼夜を通して徘徊し、札幌の町の変容ぶりに驚いております。その後もキャンペーンなどで何度も訪れ、4年前の6月に藻岩山登山で『ヒグマに注意』の看板に驚いたこともあります。この時は狸小路出身の友人と毎朝10キロ位の市中散歩で、札幌市の概要が頭と体に張り付いており、今回の国体になりました。日中はアルペン会場、ジャンプ会場、クロスカントリー会場と広い札幌を山の上から平地まで巡りますが、夜はすすきのナイトです。会食会前に狸小路の外国人比率が7割くらいであったのには驚きです。ドラッグストアーが、Duty Freeの看板を上げている様と、こんなにも薬が売れるのかとあっけに取られるほどでした。
  まさに札幌そのものが大都市でありながら、雪があるおかげで誰にとっても非日常空間化している様には驚きでした。渋谷と新宿と池袋と銀座が一か所にまとまったような食と買い物の空間になっていたのには改めて驚きを隠せません。皆がノンスリップの雪靴を履き、防寒具を着、外国人比率が半分の人口180万人の雪国の大都市です。こんな非日常空間だから自然に人が集まってくるのでしょう。
  新千歳空港ロビーでのアイヌ民族舞踊の特設ステージを垣間見、雪のない仙台空港に降り立ち日常空間に戻った安堵感&虚脱感を感じながらの帰宅でした。国体での福島県の代表選手入賞もアルペンもノルデックもあり満足の旅でした。写真は福島県出身のノルデック複合5位入賞の渡部剛弘選手とのワンショット。平昌オリンピック代表でしたので優勝を逃し残念がっていました、次の全日本選手権でトップになると言っていました。
カツ丼とスキーの話
「大阪なおみが勝つと、かつ丼が売れる」現象を、「風が吹けば、桶屋が儲かる」的現象と同じだと思い、グーグル検索をかけたらすぐに検索できたのには驚きでした。このような現象を『バタフライ効果』と言うのだそうです。気象学者のエドワード・ロレンツが唱えた理論であり、「カオス力学系において、通常なら無視できると思われるような極めて小さな差が、やがては無視できない大きな差となる現象のことを指す。カオス理論を端的に表現した思考実験のひとつ、あるいは比喩である」との、ウィキペディアからの解説です。マーケテイング理論にも応用され、「風が吹けば桶屋が儲かる確率はいったいどれくらいなの?」との疑問には『風が吹けば桶屋が儲かるのは0.8%!?』のタイトルの本も出版されており、まだ読んでいないので購入して勉強したいと思います。この本の購入も経済効果の0.8%に入るのかもしれません。
  今年の福島県はスポーツに関しては何となく他県に比較して先を言っているような気がいたします。1月20日に広島で行われた天皇盃全国都道府県対抗男子駅伝競走大会にて福島県が初優勝、この時は磐梯山麓の雪の上に居り、ラジオ福島実況放送の途中経過をまた聞きでした。「今のところ5位、一時は1位にもなったけどまた2位に落ちた」と聞いて帰宅、全国初優勝の快挙には驚きました。昨年12月23日の高校駅伝で学法石川高校が全国三位の成績を残しており、よもやの結果が優勝タイトルとは福島県人の誰もが驚いたに違いありません。第7走者でアンカーの相澤選手が2位からの首位奪還、さらにダントツで優勝のテープを切った様には驚きでした。第6走者は二本松市東和中学の宍戸選手、これからの二本松スポーツがさらに盛り上がることも期待出来ると確信しました。
東京オリンピックマラソン銀メダリストの円谷幸吉選手は須賀川出身、古くは梁川出身の三浦弥平選手。1920年アントワープオリンピックで24位の成績、次のパリオリンピックにも出場しており、もともと福島県の陸上選手の素材は良いようです。平成最後の新年早々、長距離走『福島県が名実』ともに全国のトップになり、お陰でスキーの距離競技にも全国一の座を目指せとのプレッシャーがかかります。スポーツの持つ効果と合せて、スキーアスリートが大いに活躍できることを期待したいと思います。
  さて、スキー場の話。スキーヤー人口がピーク時の1800万人から、現在は580万になっているとかであり、これを何とかしなければと思う毎日です。スキー&スノーボード未経験者にも何とかスキー場に足を運んでもらいたいものです。そんな中、浮かんだのが世界一のテニスプレーヤーの勝利の後の一言「かつ丼食べたい!」でした。スキー場の食事は余りおいしくないイメージがありますが、中には美味しいところがあります。例として、野沢温泉スキー場サンアントンレストハウスのチロル風煮込み料理とパンはうまいですよ。我があだたら高原スキー場の『かつ丼』は厚い肉と玉葱を、出汁卵で煮込みます。器がスキー場的ですが絶品ですので写真にしました。どうぞ、お召し上がりください。 
平成スキー場物語
スキーほど楽しいスポーツはない。その想いを胸に、平成最後の大晦日に、平成時代30年間のスキー場事情を振り返ってみようと思います。
平成元年(1989)9月の土湯トンネル開通により、県都福島市と会津地方が冬期間も直接つながりました。雪国会津へのトンネルを抜け出たところに箕輪スキー場開設したのがこの物語の序章です。リゾート法の施行が会津地方を中心に大型スキー場を続々と誕生させる現象につながっていきました。
東北最大規模を誇るアルツ磐梯スキー場と裏磐梯グランデコスキー場は、平成4年12月の開設。巨大なリゾートホテルも続々と出現し、世界的リゾートエリアに変身するような予感を感じるほどでした。裏磐梯がスキー場エリア化して磐梯山周辺は大噴火口部分を除いて全部の尾根と谷がスキー場で繋がるようにも感じられたのです。
 日本のスキー場開発のパイオニア的存在である猪苗代スキー場もこの時期にミネロスキー場を拡大併設し、平成7年2月には国体開催となりました。ユニークなスキー場はリステルスキーファンタジアです。巨大な宿泊施設を併設し、モーグルコースを備えFISワールドカップを開催(1988年から16回)、翌年の長野オリンピック以降の日本モーグルチームの活躍に繋ります。平成21年のFISフリースタイルスキー世界選手県猪苗代大会開催もここをメイン会場に開催されました。
南会津でもこの時期に大型のスキー場の開業と拡張が相継ぎました。会津高原たかつえスキー場、だいくらスキー場に続き、平成5年には会津高原高畑スキー場が開設しました。山頂からは越後三山がすぐ近くに見える位置にあり豪雪地帯の穴場です。高畑スキー場から30分の所には檜枝岐スキー場があり、「会津弁」地域にありながら平成の現在でも古代「京都弁」が標準語の人口600人の檜枝岐村は特筆に値する地域です。
さて、中通りのスキー場は南側からグランディー羽鳥湖スキー場、そして、我があだたら高原スキー場です。あだたら高原スキー場の前身は岳温泉スキー場、開設は昭和4年ですが平成元年に夏冬兼用のゴンドラが新設されたことで、平成スキー場物語の仲間入りです。
スキー&スノーボード人口は平成5年で1800万人、平成17年は580万人とピーク時の3分の1、ウィンターリゾート経営の大きな問題ですが希望は捨てていません。平成13年の冬、ある医学学会のスノーサイドミーティングが当館で開催されたのです。滞在中にあだたら高原スキー場と箕輪スキー場にスキーウェアで出かける姿が眼に焼き付いています。日本のスノーリゾートが国際会議に、そして銀世界を満喫できる場になる目前まで迫った平成時代でした。次の元号の時代には、この理想が実現できるようになりたいものです。
平成の年末、日本列島は強い冬型の気圧配置です。今シーズンもスキーと温泉を楽しみお出で下さい。写真はあだたら高原スキー場、コンディションが最高です。
観光地づくりの定石再考
2020年の東京オリンピックの後、2025年は大阪万博が決定、なるほどと受け止めた方もいたのではないかと思います。私の耳には咄嗟に「1970年のコンニチハ〜♪♬…」の三波春夫の声が響き渡りました。今度の万博は、どんなテーマソングになり誰が歌うのか、めちゃくちゃ興味があります。
さてご当地の万博風期間イベント・第64回二本松菊人形は今月25日で閉幕、8万800人の入場者がありました。ピークは43万人の入場者ですから、二本松人は物足りなさを感じる入込数です。この時の菊人形のテーマはNHK大河ドラマ『伊達政宗』、再来を期す声が多くあります。今の菊人形はピーク時の5分の1の入場者数、それでも毎日2000人前後、土日のピークは6000人弱の入場者を見ます。43万人の時、市内交通は大渋滞、菊人形会場から岳温泉まで3時間もかかる有様でした。この絶頂期には毎年1億円ほどお金が溜まり、お蔭でお城の石垣を史実通りに再現するプロジェクト化け、室町時代から江戸時代後期までの石垣が同一の場所に残る石垣博物館的城郭として年中観光客の姿があります。
今でも菊人形期間中は二本松の話題は途切れず、旅館の宿泊は満杯になり、市内の飲食消費額もかなり上がります。それでも、秋の時期を除いて観光客がいつも溢れている地域ではありません。強いて言えば桜の時期の4月中旬以外、町中は閑散としております。
日本の国の観光政策がここ十年間で大きく転換致しました。外国人旅行者が数倍に増加して3000万人を突破しました。政策的にインバウンドに力を入れるのは日本の国の成長を、外国人流入によって貿易外収支増加による手助けするためです。同じ事が地方の人口減少への対応策として推奨されているワケです。
私の頭にこびりついている考え方があります。それは大阪万博の時にプロデュースする立場にあった作家の堺屋太一氏のレクチャーでの「人を集める要素として、@歴史、A物語性と小説、B音楽性と味覚、Cギャンブル性(スリル)と色気、D景観、そしてEショッピングであり、このうちの二項目以上に知恵とお金をつぎ込めば必ず人が集まるのが洋の東西を問わず定石である」とのフレーズが頭にこびり付いております。不詳私、人生大半を観光産業に関わる考え方の基礎にあったと言っても過言ではありません。大阪万博から半世紀経った今日、スマホから何でも情報を取り出し、ルンバに掃除をして貰い、ドローンが空撮を行なう時代になりました。果たして、人を集めるこの定石が現時点でも正しいのかどうか、これからも大いに観光地づくりの実験をしてみたい気もします。『あぐだもぐだ』を垣間見て頂く皆さまからも、是非、観光地づくりについてご意見を頂きたく思います。
写真は、二本松城の天守台石垣です。二本松城全体が石垣博物館と言っても過言ではありませんので、是非、ハイキングがてらお越し下さい。
2人のオリンピアンのこと
福島県出身の2人のオリンピアンの天才ぶりについて書きます。一人は渡部剛弘選手、もう一人は遠藤尚選手、二人とも福島県立猪苗代高校です。 
遠藤尚選手はフリースタイル部門のモーグル競技の選手、バンクーバー、ソチ、平昌と冬季オリンピックに3年連続で出場し、日本の男子モーグルを引っ張って来ました。ワールドカップの最高位は2位、バンクーバーオリンピックでは7位入賞の実力です。ソチオリンピックの後に背骨骨折の大事故を起こし、再起を危ぶまれたことがありますが、見事に復帰し平昌オリンピックにも出場、メダル獲得の期待がかかりました。代わりに原大智選手の銅メダル獲得が印象に残っています。遠藤尚選手の存在が男子モーグル競技のレベルを上げ、日本初のメダル獲得につながったともいわれています。モーグル競技はスタートからゴールまで22秒〜24秒の勝負です。それも、コブ斜面が続く間に2つのジャンプ台がありここで空中に飛び、宙返りなども入ります。ちょっとした着地地点のミスから、タイムにも影響します。スタート時の心拍数は170位になるようですが、平時でも脈拍数をスタート時点と同じにできるそうです。彼はあらゆる場面を想定しイメージトレーン二ングし、実行できるようなったようです。不随意筋をイメトレだけでスタート地点の状況に持っていく能力は天才的とも言えます。
渡部剛弘選手は、遠藤選手の4歳下のノルディック複合選手の日本代表として平昌オリンピックのメンバーの一人です。平昌では現地でのコンデションが悪く、団体複合の選手選考から漏れてしまいましたが、渡部暁斗選手らの日本チームの一員として、ワールドカップを転戦している大事なメンバーです。渡部剛弘選手は日本で一番ジャンプ台で練習しない選手のようです。それは、福島県の事情です。福島県にはジャンプ台の練習台が在りません。このような環境立地の中でノルディック複合の日本チームメンバーに名を連ねております。ワールドカップでは2016年トロンハイムにて9位になるなど、日本チームになくてはならない選手であり、次の北京オリンピックでの上位入賞を狙える位置にいる選手です。彼こそが天才ジャンパーかもしれません。コーチにあれこれ指示してもらうよりは、自分で何でも試してみる選手のようです。先日行われた遠藤選手とのトークショーでは、天才風トレーニングをどんなふうにやるのかを話してくれました。ジャンプのスタート台に立った時に、今回はこんな飛び方が良いかもと思うと、その通りにできるようです。イメージトレーニングだけで本番に臨むくらいの技能を持っている選手です。ノルディック複合は前半ジャンプで後半は10kmのクロスカントリー競技があり、同じ種目で別々の身体能力を駆使する競技です。ジャンプの時は少しでも体重を下げ、クロカンになると食べて体力をつけます。この競技の覇者が『King of Ski』と言われる所以です。
写真は二人のオリンピアンを岳温泉にお呼びし、「ニュースポーツを子供たちと楽しむ」イベントのワンショットです。天才ぶりを垣間見ることが出来ました。 
『天使の涙』を見に来ませんか?
9月は災害や大きな事故が多い月である事を実感します。関東大震災は1923年(大正12)9月1日、今年は9月6日未明の北海道苫東地震の映像には唯々驚くばかりです。
4年前、9月27日の御嶽山の突然の噴火にも偶然とはいえ、驚きます。自分の地域に目を転じてみても9月7日は大事故が起きた日として歴史的記憶に留めております。文政7年8月15日(新暦の9月7日)に鉄山の一角が崩れ、元岳温泉(陽日温泉)が埋没し多数の犠牲者が出た事が、温泉街そのものの移転に繋がりました。東日本大震災(2011年3月11日)の半年後の9月5日に鉄山が山崩れを起こし、幅百メートル長さ1kmもの山塊崩壊の後が生々しく今も残り岳温泉からも遠望でます。もしも現在の岳温泉があの場所にそのまま在ったらすごい犠牲者が出たであろうと恐ろしくなります。
さて災害の多い9月ですが山好き人間にとって、9月は天候さえ良ければ最高の登山シーズンではないかと思います。
登山より少しハードですが、あだたらトレイルレースが9月1日2日に行なわれました。エントリー数800名は募集開始からすぐに募集定員に達してしまったとか、近年のトレランブームを表わしていますが、安達太良山の変化のある景色と全登山コースを満喫できるコース魅力に人気があるコースだからです。50kトレランのスタート地点はあだたら高原スキー場の標高950m付近、ここからスキー場を登りロープウェイ山頂駅の薬師岳まで一気に登りさらに安達太良山山頂(標高1700m)直下を左(南)に逸れ鞍部に下り、和尚山から銚子が滝へ下り、登山口から折り返しの登りに入りしばらく針葉樹の林を石筵川に沿って登り詰めると船明神山にたどり着き、沼の平の噴火口の縁を歩き、沼尻登山口まで下ります。ここからのUターン後にしばらくすると白糸の滝を眺め沼尻温泉の源泉地を通り、胎内くぐりの名称の付く岩石のチムニーを抜け一気に鉄山から左(北側)に折れ箕輪山山頂から箕輪スキー場へ下ります。横向温泉を横目にしばらくは道路を駆け鬼面山への登り道から箕輪山をめざし、鉄山との鞍部の笹平から僧悟台を下り、一気に湯川渓谷の谷をおり塩沢スキー場へ下ります。ここからが最後の登山道である湯川渓谷を登りつめ、くろがね小屋の手前から、左に折れ、あだたら高原スキー場のゴールになります。早朝5時スタート、制限時間15時間、累積標高差4千メートルのかなりきついけど、素晴らしいコースです。
真夏日が多い夏でしたが、秋分の日を境に急激に気温が下がり紅葉が始りました。写真は9月26日の岳クラブ安達太良横断登山でのワンショット、船明神山から沼尻側に下りたところの『天使の涙』です。安達太良には下界で見られないようなスポットが沢山在りますので、是非、足をお運び下さい。
重陽の芸術祭とサン・チャイルド
夏の猛暑は、かなり異常だと感じています。熱中症の恐れから、外出を控える方が多くなり、商売柄、夏休みの旅行に猛暑がどのように影響したか気になります。
  猛暑の所為ではないでしょうが、色んな問題が噴出しています。その中でも福島市の『サン・チャイルド』像の問題は、結論の急ぎ過ぎではと思われるほどです。
 実は、二本松では3年前からサン・チャイルドの作者ヤノベケンジさんとは繋がりがあります。現代アーティストとして数々のアートを各地域で表現している方です。私もビエンナーレ開催の時、直接本人とお話したこともありました。この時のシンポジウムで『サン・チャイルド』の誕生する契機になった理由も芸術論にて語られたのを覚えています。サン・チャイルドが誕生したのは大阪万博の跡地近くに生まれ育ったヤノベケンジさんならではの思いからです。大阪万博のシンボルと言えば誰でもが岡本太郎の『太陽の塔』を目に浮かべます。大阪万博の年が、日本国中に原子力発電所が作られ始めた時期に重なります。鉄腕アトムが登場し、原子力を未来のエネルギーとして大いに喧伝された時代でもありました。その原子力発電所がその後、スリーマイル島、そしてチュルノブイリの事故へと繋がったのです。1986年のチェルノブイリ事故の後にアート作品として製作されたのが『サン・チャイルド』です。この事故の直後から更なる原発事故の出現の懸念を予知し、原発災害の再発が絶対に無いように願いを込めて作られた作品のようです。2011年3月に福島原発事故が起き、福島空港に設置されたのがこの『サン・チャイルド』なので、制作の背景を知ったかぶりでPRさせていただきます。
 今年の秋も福島ビエンナーレ『重陽の芸術祭2018』が二本松にて開催されます。9月9日重陽の乾杯ではじまり、夜は『黒塚今様』が、安達が原ふるさと村にて開催されます。安達ケ原黒塚については現代アートでは取上げ易いテーマのようです。因みに鉄腕アトムの原作者手塚治虫が黒塚のアニメを作っています。このアニメの内容も黒塚の物語と同じで、原発のように善が悪に転じてしまうお話です。10月11月と超有名なアーティストの小松美羽展、福井利佐展がロングランで開催されます。11月25日まで二本松地域のあちこちで開催され、ヤノベケンジさんの作品が展示される予定です。
  この秋も二本松においでいただきたく、ヤノベケンジ作『フローラ』の写真を掲載いたします。菊人形会場にてのワンショットですがヤノベケンジさんも写っています。今年の作品はどんなものが出るのか楽しみです。


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