やっちゃんのあぐだもぐだ
過去の記事
最新の記事
観光開発は汗と情熱
 最近はどんな市町村でも観光立市を訴えています。小泉首相の一言でようやくインバウンドに力を入れ始め、2010年までに訪日外国人を1000万人に増やすプロジェクトも進行中であり、あとは観光客を受け入れるべく国際水準の観光地づくりが大事になってきたと思います。
 外国人観光客が増えても、日本の観光政策の遅れは大きな問題になるように感じます。日本国中伝統的街並みが破壊され、海岸線はテトラポットだらけになり、山岳河川は砂防ダム景観になってしまいました。首相の大号令が運輸機関や旅行会社を動かし、確かにインバウンドを増やしつつあることは確かです。しかしながら、観光先進地のスイス、スペイン、フランス、アメリカはもちろん、東南アジア諸国と比べて、受け地としての魅力に競争力はあるのでしょうか。今まで破壊しつくした街並み、海岸線、川筋を日本的で魅力的な状態まで戻し、繰り返し日本を訪れてもらえるような観光地に日本全体を再び作りかえる必要があると思います。
 さて、今年は岳温泉復興100周年の年。100年間の観光開発の歴史をきちんと顕彰し、これからの100年を間違いのない方向に導かなければと思っています。私は祖父母や父から、引き湯の大変さをよく聞かされました。大正時代、冬期間はお客様がほとんど無く、炭焼きをして生計を立てていたので、スキー場の開発に踏み切った話などを聞いて育ちました。2番目のリフトが完成した時、父の年代の人たちと我々子供たちもスキー場の整備を手伝い、伐採した唐松の枝を運んだ記憶があります。昭和57年のニコニコ共和国独立の年は、国境看板の丸太をみんなで運んで皮を剥いだこともあります。バブル期に作られたスキーリゾートの開発手法とはまるで正反対の開発手法です。効率は極めて悪くとも、コースに地域のみんなの汗が浸み込んでいます。生きた観光地づくりの姿はこういうことなのでしょう。
 岳温泉は一昨年から日本一多様な散歩道をもつ観光地づくりに取り組んでいます。手作りの丸太標識やら、丸太の階段なども少しずつ整備されています。ウォーキング自体が地味なスポーツで、ウォーキングコースが沢山あるため、整備状況がなかなか見えてきませんが、間違いなく一歩ずつ進んでいますので、是非ウォーキングにお出で下さい。写真は8月3日に万葉浪漫コースの急坂部分135段の階段を整備し終わった直後の写真です。間伐材を払い下げてもらい、一人で200本もの木を切り出し最初のきっかけを作っていただいた高畠さんの情熱には特に感謝いたします。梅雨の上がらない中、何度も作業に出てくれた観光協会のメンバーの慣れない力仕事に対しても深く感謝したいと思います。この階段はみんなの汗が染み付いた階段です。ウォーカーの皆さんには必ず喜んでもらえるはずです。若い観光協会メンバーもカケヤの使い方を習得でき、次世代への観光開発の原点が伝わったかと思います。成果のなかなか見えないウォーキングによる観光開発ですが、ハートビッヒ・ガウダーさんの格言どおり『ゆっくり歩くことをおそれるな。立ち止まってしまうことをおそれよ』をいつも胸に、観光開発に努力したいと思います。
強い観光地づくりの一考察
中田英寿選手のサッカー現役引退表明には驚きました。昨日の日経新聞コラムにも、「蹴る」を意味する「カルチョ」はサッカーの起源の一つとされ、ルネサンス時代からイタリアの地方都市で行われてきたこと、町や村で繰り広げる格闘技に近い対抗競技が、都市を基盤とした現在のサッカーチームの原型になったことも取り上げられています。中田選手が所属したことのある古都ボローニャは古代蹴球の舞台であったことや、基幹産業衰退、人口減、高齢化は日本の地方都市の抱える課題と同じでも、自治の伝統を引き継いだ熟練技術を生かして街を再生させる試みに『作家の井上ひさし』が注目しているという行があり、ハタと目に留まりました。なぜかというと、井上ひさしの『吉里吉里人』のパクリ的なニコニコ共和国独立宣言で日本国中を煙に巻いた25年前の記憶がよみがえったからです。井上ひさし氏が序文を書いている、星野まりこ著『ボローニャの大実験』を早速、岩瀬書店で買い求め、序文だけを読み、『あぐだもぐだ』の文章に引用しました。欧州サッカーチームのクラブチームをモデルにした地域密着型Jリーグ発足から13年。日本チームの完敗と欧州各国の群を抜く強さは、基盤となる地域力の支えと不可分に違いないと言い切るコラムニストに感心しています。
 同じ町づくりでも、日本と欧州ではまったく根っこが違うと思います。日本のほとんどの町は道路沿いの集落が拡大したもの。それに比べて、欧州の都市は外敵からの守る城壁が町の周辺を囲む形。オフェンス、デイフェンスの役割意識もきっと伝統的に備わっており、スキルも高いレベルで臨機応変に対応するのでしょう。日本の都市は外敵に対してまったく無防備、簡単に侵入者に攻撃され地域アイデンティティーを壊されてしまいます。日本国中のどの都市からも個性が見えて来ず、我が愛する温泉観光地も同様です。25年前のニコニコ共和国独立宣言は日本のお家芸的な奇策でした。後半にチームワークに穴が開きすぐに3点も4点も取られてしまうような観光地戦略かも知れません。吉里吉里国もすぐに日本政府に攻められ独立国を解除されました。井上ひさしが注目し、中田英寿が29歳で選手引退、次の30歳台から新たに目指すステージは、日経のコラムニストの断言と同じように何らかの共通点があるように思えてなりません。わが岳温泉の再生のカギを『ボローニャの哲学』から学ばせていただきます。井上ひさし氏の序文;「市民にやる気があり…自治体に先見の明と度胸があれば、大きな、そして貴重な価値を生み出すことを、ボロ?ニャは教えてくれている。…」
蛇足ですが、トンバもボローニャ生まれ。サッカーもスキーも足(スネ)の長い人は絶対有利です。プラス、何らかの爆発力。中田英寿はスバラシイ、イタリア語も英語もペラペラ。次はアメリカでMBA取得とか。自治意識の強い町づくりのようなクラブチームを作るのかもしれませんね。私見ですが……
つまらない観光地論
 今日の日経新聞に「データがヒットの芽摘む」の大見出しで「死に筋」が売れ筋になる消費現象が載っていました。内容は商品販売の現場で、新商品売り出しの際に膨大なマーケティングデータを集めて商品を市場に送り出したところ、予測に反して狙いとしたターゲットには売れず、想像もしなかった客層に売れていくような現象が各分野に出現しているというような内容でした。私も以前から売れ筋商品だけに商品点数を絞り込む、80対20の法則で有名な『パレートの学説』に少なからず疑問を抱いていたので「わが意を得たり」でした。よく行く本屋が、何だか最近は面白い本がなく、つまらなくなっている現象に気づくのは私だけではないと思います。この原因は限られた売り場面積で売上を最大効率で伸ばすために上位20%の売れ筋商品に商品点数を絞り込み過ぎ、残り80%のなかに本当は面白い本があるのに本棚から消え去ってしまうからです。この「つまらない状態」に嫌気がさしてこういった本屋には立ち寄らなくなります。
 さて、私たちの観光産業でも同様の現象が見受けられ「つまらない観光地や旅館」が多く出現しているように感じられるのは私だけではないでしょう。わが岳温泉も、「何か面白いことないかな?」とか「きっとここなら新発見があるかも」などという需要に答えられなくなっている現象に危惧を抱いています。バブルの後始末に、各観光地は過大な負債にあえぐ状態から脱出すべく個々の事業所も、地域ぐるみでも前述の『パレートの学説』的な施策を講じて一見無用に見える事業や商品陳列を切り捨ててきました。その結果、ほとんどの観光地が『つまらない観光地化』していると実感します。安達太良山の登山道でさえもゴンドラを利用したメインルートだけが整備され、植物の種類の豊富な『八幡滝〜僧悟台〜鉄山』ルートなどは忘れられているといっても過言ではありません。特に、8年前に亜硫酸ガス事故の恐れ有りと閉鎖になった安全な『馬の背〜蟻の戸渡り〜梵字石〜くろがね小屋』ルートも、再開するには関係諸官庁の『責任逃れの壁』をクリアーする困難もあり、安達太良山全体の魅力を台無しにしてしまった責任を誰も負わないままです。岳温泉にも閉鎖になった旅館や店舗が目立ち出しました。今年の復興100周年を機に何とか活気ある、思わぬ出会いがあるような観光地にすべく頑張っていますが、先はまだ遠いようです。せめて、馬の背〜くろがね小屋ルートだけは100周年記念に再開したいと思いますので『あぐだもぐだ』をご覧の方はご支援ください。写真は、山開きの時のご禁制ルート下見検分写真です。ルートを外れなければまったく安全です。
観光戦略一考
『あぐだもぐだ』の更新が1ヶ月も空いてしまったことに、お詫び申し上げます。お詫びのついでに東京都の観光戦略のすごさを私見解説してみたいと思います。先日、ある会合で東京都の高橋観光部長のお話をお聞きしました。おおよその内容は下記の通りです。
○海外16カ国に対しての定期的なプロモーション活動(訪問セールスとWEBサイト両面)している
○観光開発に関する支援…こちらは江戸時代からの水路を再現する水の都の再生、ベニスが水に沈みそうなので沈まない水の都の再生だそうです。浅草、両国、向島など食の魅力をクローズアップさせながら点在する観光スポットを再発掘し舟運も復活させるとか?
○直営の情報センターの運営…これからの超高齢化社会への対応としてのシニア市場拡大に対応した仕組みづくり実施(バリアーフリー化も対応)
2001年277万人の外国人旅行者が2005年は450万人になり、さらに2007年は500万人に達するだろうという具体的数値
国内外から年間3億7千万が来都(1日100万人)しているがリピーター獲得が重要課題だとか…
 ○2つの国際マラソン大会の実施…一つは東京の観光スポットめぐりをコースにした42.195km
 ○そして2016年の東京オリンピック誘致活動…ここまでスポーツイベントを活用ことは、さすが東京!!
来賓祝辞の中のコンテンツだけですが、他の地方都市も充分参考にできる観光戦略ですね
東京が日本最大の観光地であることもうなずけます。
観光の語源は中国周の時代の易経から、観の字は王様の卦。石原慎太郎都知事は王様の風格ですね
桜見物から感じたこと
青森市での会議のついでに、桜で超有名な弘前城に立ち寄り、岳温泉の旅館旦那衆と共に、素晴らしい桜見物をしてまいりました。今年は岳温泉復興100周年であり、岳温泉の桜坂のソメイヨシノも既に樹齢90年ほどになり、数年前にはテングス病になったり鷽(ウソ)につぼみを食べられてしまったりしたので、これからも桜の名所であり続けるべく、最北端の桜の名所を垣間見て参考にしたかったからです。弘前城の樹齢100年以上の古木のソメイヨシノは、大事に保護されており花のつきも良く、お堀端の水面ギリギリまで枝が下がる様は見事なものでした。散った花弁は、お堀の水面いっぱいに広がり、まるでピンクの絨毯のようでした。枝垂桜はちょうど満開、雪の岩木山をバックに記念撮影をすることができました。北海道からの修学旅行生も多く、またスケッチブックを手にした中学生グループは、我々のような旅行者に丁寧に接する様は、ご先祖から守り育ててきた桜を、誇りを持って見せているのだという自負さえも感じる事が出来ました。2600本もの桜が生き生きして、一本一本の樹に花の付き具合がいいのは、周辺のりんご農家の人たちが率先して手入れしているからのようです。大木のソメイヨシノは地面からねじれ上がり、樹齢100年以上に違いありません。岳温泉の桜坂などは、まだまだ若い樹だと認識でき、改めて地域ぐるみの心を込めた手入れの重要さを感じたしだいです。お堀端の『野の庵』という瀟洒な蕎麦屋で昼食をとり、桜情報を詳しく仕入れてから桜見物に出かけたことも、桜に対する認識を新たにしてくれました。私たちの言葉使いが津軽弁ではないのを感じ、女将が色々と話してくれたことがすごく好印象でした。津軽岳温泉のことを尋ね、我々も福島の岳温泉からきたことを話すと、わが宿にも松渓苑にも泊まったことがあるらしくお互いにビックリしました。「岳温泉はいい温泉場ですネ。岳の良さをズーっと残してください」とのご進言もいただきました。また、「私は日本一のおいしいお酒は『大七』だと思います」とも言って下さいました。他県の方から、ふるさと産品が絶賛されるのはすごいことです。二本松城の桜も絶賛されるようになりたいものです。まずは岳温泉の桜、700本を本気で手入れしたいと思います。
観光開発の一考察
 中学時代の修学旅行以来、40年ぶりに江ノ島に行ってきました。仕事のついででしたが、わずか2時間の観光旅行でも江ノ島を楽しむことができました。ワケは、私の高校時代の同級生が市役所におり、連絡もなしに藤沢に行ったらバチが当ると思い、同級生のよしみで出迎えてもらったからです。弁天さんに参拝し、サムエル・コッキング苑をザーッと見学することができました。彼の説明によると、江ノ島観光も数年前まではかなり低迷していたそうです。それを何とか盛り返すことができたことを、彼が関わったコッキング苑を見学しながら語ってくれました。ちなみに、サムエル・コッキングなる人物は日露戦争時の武器商人だったそうで、江ノ島の高台はコッキング氏の邸宅跡です。今は、公営の植物園になっており、18世紀にキャプテン・クックが発見したという熱帯植物の大木やら、マイアミビーチ市、昆明市、ウィンザー市、松本市などの姉妹都市から贈られた記念碑やモニュメントが、灯台を囲んで散歩道沿いに設置されており、世界とのつながりをも感じました。また、コッキング邸にあった地下室や温室の基礎も昔のまま、説明文付で植物園に歴史の重みを感じさせるように残してあり、魅力さえも感じました。
 ここまでの説明では何の変哲もない観光地説明ですが、私の友人のお話の中に観光開発の真髄を感じたので、勝手に述べます。
昔 から有名だった場所が一度衰退して盛り返すのは、かなりの智恵者じゃないとできないのではと思うことをやってのけたようです。内外の姉妹都市提携の歴史を形にして活用していること、建築の基礎部分などの学術的価値を表現したこと、解体費などのお金のかかることは極力避けたこと、大道芸人などを呼び込み楽しさを演出していることなどが表面的なことでしょうか。松本市の記念館のそば茶屋に行ってビックリしたのは、担当責任者としてそば打ちを体得してしまい、時々手伝っているとの話に、彼の並々ならぬ決意を感じることができました。今は別の部署に移り土日を休めるようになったが、「オレは、オマエと同じで年中無休だった!」と言ったことでした。観光地を再生するのはやっぱり気違いがいないとダメみたいです。写真はコッキング苑の日時計です。姉妹都市の方向が全部記されており、観光客も自分の国があれば感動すること間違いなしです。今回は、江ノ島のお話でわが誇るべき同級生への恩返しとします。江ノ島へもお出かけ下さい。
さあ、外に出てウォーキングしよう
ウォーキングのシーズンに入りました。『100日で100kmを歩こう』という岳温泉復興100周年企画もあります。100日間で100km歩いて、記念木製メダルとニコニコ共和国通貨2,500コスモをゲットしフトコロもカラダも元気になろうという内容です。『100kmウォーカー』に貴方もなってみませんか?4月から7月までは月例ウォークが4回、5月21日は安達太良山開き、6月11日にオリエンテーリング大会、そして5月7日の陽日の郷ウォーキング大会と距離合計が62.5kmです。残り37.5kmは観光協会受付でマイレージ適用コースを数日歩けば、簡単に100kmウォーカーになれます。日頃、運動不足の方には絶対にお勧めの企画です。
 さて、久しぶりに岳温泉全体のテレビ取材がありました。ウェル・ヘルス・ウォーキングの名称で地域おこしをしている様子が日本テレビの現地取材につながったのです。女優の早見優さんと高橋雄一アナウンサーが全国各地の地域おこしを取材する『新ニッポン探検隊』という番組ですが、『歩く岳で健康』の現地ロケが行われ、岳温泉の面々もいっしょにテレビ撮影に参加することになりました。先週までは、寒暖の差が激しく天候も不順な日が続き、果たして安達太良山が晴れ渡ってくれるか不安でしたが、なんと、ロケ日の2日間のみ晴れ日になり、大変ラッキーで岳温泉関係のウォーキング参加者も気持ちよく被写体になれたようです。観光協会のウォーキングトレーナー足立周太郎君が高橋アナにパワーウォーキングを伝授する様子や、有機古代米カレーを食べるシーン、湯めぐりの風景などを、丸2日間ビッチリのロケを無事撮影完了、私も慣れぬお付き合いに少々くたびれました。妥協を許さないディレクターと高橋アナの阿吽の呼吸、スタッフの皆さんの連係プレーにはプロの迫力さえ感じました。写真は高橋アナと足立トレーナーのパワーウォーキング風景ですが、何でも吸収してしまう高橋アナの才能には何度もビックリでした。放送は日本テレビ系、4月30日午前6時30分から45分まで。岳温泉の最近のエッセンスが15分間に集約されていますので、是非、ご覧ください。
 ひとりごと…、『早見優』さんにもお会いしたかったナァー!?
スキー場閉鎖に思いを込めて
 3月31日、あづまスキー場さよなら懇親会に出席して来ました。今シーズン限りで、スキー場営業を休止するとのこと、苦渋の決断であったに違いないと思います。福島市唯一のスキー場として福島市営リフトと(株)吾妻観光計画の併設で行っていた時期や、日経不動産により上部に延びていった時期もあり、その後も経済情勢の影響からかスキー場経営が吾妻観光開発に集約されていった経緯もある程度は知っているので、吾妻観光計画の菅野光信社長には、改めて長い間スキー場を守って来られた情熱と努力に敬意を表したいと思います。岳温泉とは兄弟のようなスキー場なのでスキー場がまったく閉鎖してしまうことには福島県スキー界にとってもまったく損失であり、福島市民にとっても冬期のレクリエーションの場として活用の場がなくなることは大きな損失であると思い、一日でも早く再オープン決定の報が待たれます。
 岳温泉スキー場と上部に伸びていった経緯はすごく似ていて、閉鎖はまったく残念でなりません。岳温泉のスキー場に初のリフトが誕生したのは昭和29年12月、私が小学1年生の時でした。東北陸運局第1号のリフト開業となったのはその2シーズン前に私の父、義一が高湯の菅野国広氏(菅野光信氏のお父様)らと志賀高原や野沢温泉に当時新設のスキーリフトを見に行き、猪谷六合雄氏らからスキー場開発についてご進言をいただいたことがきっかけでした。菅野氏は福島市と共同で吾妻スキー場の開発を進め、我が岳温泉は昭和29年に福島電鉄(福島交通の前身)と合弁で岳温泉観光株式会社を設立、スキー場経営に当りました。その後、リフトの増設、上部スキー場開発から二本松市による経営。そして、下部の第1、第2リフト営業の停止、岳観光(株)の解散により精算(昭和43年)、さらに二本松市も公営スキー場運営の難しさから、昭和47年からスキー場経営を富士急行に移行、あだたら高原スキー場として現在に至っています。
 今、全国の名だたるスキー場が、バブル景気によるリゾート乱開発の後、急激な経済環境の悪化により閉鎖や事業主体の交代に追い込まれています。山間の温泉場は立地条件の悪さを克服するために、経済的メリット追求だけでは割り切れない気持ちでスキー場開発などに心血を注いできています。同じような志を持つものにとっては口惜しい限りです。冬のオリンピックでメダルが1個しか取れなかった原因はスキー場やスケート場の閉鎖が大きく影響しているのは誰の眼にも明らか。宿づくり20年、リゾート作り100年、いやイタリアのコモ湖などは1000年だそうです。日本の地域開発が、ヨーロッパの山岳リゾートのように伝統的地域社会を守りながら、100年の計できちんと開発されるような社会の仕組みに変わらなければ、地域個性のある一級のリゾートはできないと思います。近視眼的な政策のあおりを受けないようなリゾートづくりができる国家に、いち早く変身してもらいたいものです。
前へ | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 次へ