やっちゃんのあぐだもぐだ
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今年の初日の出は最高!
 新年明けましておめでとうございます。あだたら高原岳温泉は、穏やかな元旦の朝を迎えました。今年はきっと良い年になるに違いありません。昨年に引き続き、今年もあだたら高原スキー場の初日の出ゴンドラに乗り、薬師岳山頂(1380m)付近から阿武隈山地の移ヶ岳(984.5m)から昇る初日の出を拝むことができました。29日に降った深雪が薬師岳山頂へのルートを塞ぎ、ゴンドラの山頂駅付近での撮影となりましたが、晴天に恵まれ早朝からゴンドラステーションはは大忙しでした。日の出は6時53分、薄らいだ東の空のオレンジ色の明るい部分の範囲が広くなったと思った瞬間、多くの見学者から歓声が上がり光り輝く太陽の上部が顔を出しました。それもつかの間、あっという間にまーるい太陽になりました。元日の日の出は最高でしたよ。
 さて今年、2007年はいったいどんな年になるのでしょうか。亥年、団塊の世代の退職年齢、ネット社会の更なる進展、中国やインドの躍進、松坂投手の大リーグ移籍による大リーグ人気の更なるアップなど私の狭い了見での予想範囲ですが、どうですか?誰でも考えられる範囲ですかね。正月版の新聞予測を探ってみても余りピンと来る記事がないように思えます。元旦の今日の太陽のように、きらっと光って直ぐに丸くなるような穏やかな社会情勢になるかもしれません。それでも、突然の天候異変はいつ起きてもいいように、観察眼と危機管理能力は向上させたほうがいい気がします。早起きして、標高1380mまで一気に登り、お日様に願をかけることのできる機会を作っていただき、山頂駅から初すべりをさせていただいた富士急安達太良観光の皆様に感謝を申し上げます。
天翔ける風の光に
『天翔ける風の光に』は岳温泉復興100周年記念誌のタイトルになりました。出典は安達太良小学校校歌のイントロからです。今年1年間の復興100周年行事も、一連の行事を終えほっとしております。特に記念誌編集委員会の努力で素晴らしい記念誌が完成し、岳温泉独自の観光地作りの歴史を垣間見ることができます。明治39年に始まった現岳温泉が冬期オフシーズンの解消の為スキー場を開設したことと、引き湯技術が進化し松ノ木をくり貫く技術が8kmもの引き湯の温度低下を防ぎスキー場開設と相俟って集客効果を上げることにつながった事実は90周年の時には見えてこなかった視点です。昭和29年のスキーリフト完成により冬の期間のさらなる底上げにつながり、同じ時期に始まった二本松菊人形や岳温泉仮想盆踊り大会も年間の入りこみの安定化につながってきたこと、東北道や新幹線の開通効果がニコニコ共和国という観光地戦略を成功させた要因にもなり、岳温泉に増改築ブームを呼び、バブルがはじけ、さらに生ごみのリサイクル事業がウォーキングと結びつき、現在に至ることなど岳温泉一大絵巻400ページは圧巻です。また、巻頭のあいさつ文に鈴木泰二さんがヴィレッジ880構想に触れ、木村光泰さんの温泉神社2つの祠(ほこら)の論文などもあり大変面白い書物でもあります。
さて、今年もスキーシーズンがやってきました。でも、暖冬傾向にさらに拍車がかかったような今年の気候は心配の種です。今年のあだたら高原スキー場は12月7日にオープンし順調なシーズン滑り出しに見えたものの(写真はその時の初すべりのS氏)このところの暖かさでせっかく作った雪も溶け出してしまい、寒波の再来が待たれるところです。天を仰いでスキー場に雪を乞うのは今に始まったことではなく、岳温泉に初めてスキー場を開設した昭和4年12月の状況も同じようにやきもきしたことが祖父の書いた『岳に生きて』なる本に出ています。スキー場を開設する思いが実を結び、国有林を約1000m切り開き、休憩所も新築した11月中旬は大雪に見舞われたもののスキー場オープン予定の12月25日の開場式が近づくにつれ、ほとんど雪が消えてしまい神仏への願いが通じたのか12月24日クリスマスイブには30センチの積雪を見たことか書かれています。私にも77年前からの思いが遺伝子に組み込まれているようですが、そろそろ本格的な降雪を神頼みをしたい気持ちです。
 正しい歴史観を持つことが正しい未来を切り開くことであると念じながらこれからも観光地作りにまい進したいと思います。是非、適切なアドバイスをお願いいたします。
100周年と、これからの100年
今年1年間は岳温泉復興100周年の年として色んな行事を無事完了することができました。1月から色々な行事に復興100周年の冠を被せて、昨年までとは少し違った味を出せたかなと勝手に思っています。スキー大会から始まり、女将と遊ぶ雛祭り『安達太良万遊博』、ウォーキング大会関連では4月から100日で100kmを歩こうキャンペーン、6月のオリエンテーリング大会も全部冠付きでした。さらに、ウォーキング関連では6月と9月にノルディックウォーキングの講習会、そして、9月9,10日の第2回岳温泉あだたらツーデイウォークも2回目とあって万事無難に開催できました。また7月にはガウダーさんの3度目の講習会が行なわれ、『歩く岳で健康』のキャッチフレーズが頭にこびり付いたままです。ニコニコ共和国は25回目のサマーフェスティバルに思い切って日本国統合、新たな時代の観光地づくりのための重石を取り除くことができました。10月29日のハロウィーンは残念ながら不在で見学することができなかったけど、旅館や商店の女将さん方が魔女の格好をして大変な盛り上がったとか、後で写真を拝見しビックリしました。11月23日で第52回の菊人形も終了、今年は17万3500人だったそうでなかなか厳しい要りこみ人数であり、時代の変化はヒタヒタと伝統のイベントにも押し寄せていると思わざるを得ません。11月28日には100周年の集大成としての祝賀会が行なわれ多くの方にお集まりいただき、引き湯小屋のご披露や、4百数十ページの記念誌もご披露することができ100年の区切りができたことに大変満足しております。これから100年先を見越した温泉場作りは新しい時代の新しい感覚でやらなければならないと思います。そんな意味では、10月にガウダーさんのお誘でドイツに行けたことは最高の収穫になりました。特に、最後に立ち寄ったウィースバーデンのエコ農園ホテルの取組みは、これからの岳温泉の進むべき方向に大きな示唆を与えてくれたように思います。野菜、乳製品、ソーセージ類、パン、ワイン、コーラやジュース、羊毛商品までが全部7年以上の有機基準を満たした商品でした。朝早くから、宿泊以外の買い物客が有機商品マーケットに押し寄せる様は、岳温泉の生ゴミリサイクルから始まった取組みの方向性が間違ってないことの証です。写真はエコ農園。もう一度ゆっくり泊まってみたいホテルでした。
チューリンゲンの森でウォーキング
 10月末に、パワーウォーキングの伝道者、ハートビッヒ・ガウダーさんにお誘いを受け、チューリンゲンの森のウォーキング大会に参加。日本からは全部で10人、岳温泉からは私を含め3人がドイツの森の散策をすることが出来ました。旧東ドイツ側のバード・ザルツンゲンという保養温泉地に3日間滞在し、プンパルツの小路とネーミングされたウォーキングコースをドイツの方々に混じって14kmほど歩くことができ、大変いい経験になりました。町を出て、山道に入り、牧草地を通り、木組み家屋の街並みがきれいな集落を通り、マルチン・ルターに縁のある村がゴールです。途中の村々は景観を大事にしたドイツ特有の雰囲気が味わえ、所々にプンパルツのキャラクター漫画がデザインされた標識があり、歩くことを大事にしたお国柄をうかがい知ることができます。牧草地の真ん中を走るまっすぐの道には林檎やプルーンの木が植えてあり、お腹が空き皆で実をもぎ取って食べました。小振りの林檎は、ことのほか美味しく小学生頃に食べたような懐かしい味がしました。ゴールになった村では、道端には沢山の出店が出て、色んなものを売っています。ソーセージの店、シナップス(強いお酒)やホットワインの店。村の領主と取締官や足に大きな鉄の玉をつけた囚人のパレード。ロビンフットが林檎をいるイベント。チーズとピクルスの店やドイツ風駄菓子屋など、日本の村祭とはどこか雰囲気の違った村祭です。教会では聖歌隊がジャズ演奏者と共演をするなど、楽しい雰囲気とワインに酔いしれました。
 岳温泉がウォーキングを軸とした滞在型の健康保養温泉を目指して本格的に動き出してようやく2年目です。まさか、ガウダーさんのお誘いを受け秋のシーズンまっただ中にドイツ旅行に行けるとは夢にも思っていませんでした。それでも、今回のウォーキングを始めとするスポーツツーリズムの視察は参考になることが多く、しばらくは『あぐだもぐだ』にドイツの話が登場すると思います。…ってわけで少し間が開きすみませんでした(訪独通信1)
2006年11月13日
銀河鉄道で4次元世界へ行ってきました
先日、宮澤賢治に誘われて4次元宇宙を旅してきました。実は、花巻市で『杜の賑わい』(JTBが地元自治体と共同で行なうイベント)を見るチャンスに恵まれ、宮澤賢治をテーマにした岩手県の郷土の祭が次々と登場する舞台演出に魅せられ、余韻を残しながら無事帰還いたしました。最近の舞台演出はレーザービームを巧みに使います。蒸気機関車の効果音が遠くから近づいてくるように感じた瞬間に、銀河鉄道のレーザー光線機関車が会場に浮かび上がり、また遠ざかって幕が開き、ステージ真ん中に山高帽にマントの宮澤賢治が現れ舞台は始まりました。ジョバンニに扮する妖精風バレリーナ3人が知的な旅人宮澤賢治の知性をさらに引き立たせ、いつの間にかスモーク効果がレーザービームで4次元空間を作り出し、観客を銀河の旅への誘います。セロ弾きのゴーシュが出て、聖歌隊がハレルヤを歌います。いつの間にか、風の又三郎にシーンになりユカタとランニング姿の子供達が「どっどど、どどうど、どどうど、どどう…」などの宮澤賢二特有の擬音コーラスへ展開。さらに、鬼剣舞、田植え踊り、獅子踊り、最後の場面はミスさんさ踊りの色っぽさに魅了された、あっという間の1時間半でした。宮澤賢治の想念が舞台演出に貫かれた素晴らしい感動ものでした。私の役目柄、花巻の市長、副市長、観光課長さんにもお会いでき色々とお話をさせていただけたおまけもあります。宮澤賢治記念館は整備が良くなってきたけど、今度は高村光太郎の山荘を何とかしなければならないともおっしゃられ、私が二本松の出身で、今度、安達町も二本松市に合併になったことを話したら、高村智恵子の故郷との何らかの交流もしたいとの思いもあるらしく話が弾みました。また花巻市にも東和町があり、合併でまたいっしょになったことも分かりました。先月は宮澤賢治像の除幕式があり、こちらは我が二本松名誉市民の彫刻家橋本堅太郎先生の作、少なからぬ因縁を感じて帰宅した次第です。岩代町にも三匹獅子舞があり、何らかの交流が生まれれば素晴らしいことですね。写真は杜の賑わいのフィナーレです
祭とまつりごとの一考
台風一過、ようやく秋晴れです。伝統の提灯祭も、宵祭の初日だけが天候に恵まれ、久しぶりに高校時代の同級生達と、太鼓台の出発から真夜中1時の二本松駅前広場に七台の提灯山車が到着するまで、ほろ酔い気分で祭行列といっしょに二本松提灯祭を満喫することが出来ました。ちなみに、この提灯祭は350年の伝統があるといわれています。二本松藩の石高は10万700石、江戸から仙台までの間では最も大きな藩でした。領地は現在の二本松市と安達郡と郡山市の4分の3ほどの面積で猪苗代湖の湖南村までですから、実際に大きな藩だったようです。言葉訛りは「…んだばい」が語尾に付く範囲だから今でもテリトリーは想像つきます。藩主光重公が二本松に入府されてからは二本松の地形的特性から治山治水には大変苦労されたようで、用水事業など多くの土木事業の歴史が刻まれています。二本松の町割整備は、丹羽備中貴明が座上家老の時であり、現在の提灯祭の形になったのはこの頃ともいわれています。伝統の提灯祭も一朝一夕に現在のスタイルになったのではないようです。ちなみに、10月4日の宵祭も昔は夜が明けるまで太鼓台を引き回していました。私達、旧市街の周辺部の住民は、祭の伝統を受け継ぐ若連の皆さんの気概と情熱に拍手を送りたい気持ちでいっぱいです。350年前に二本松神社例大祭としての提灯祭は年に一度の感謝の意味で町民のお祭として藩主丹羽様からのご認可で始まったものでしょう。祭は政(まつりごと)であり、その意志が伝統的に受け継がれて来ているという事実は、二本松市の町割り、字単位のコミュニティースケールが正しいことを示しているような気がします。国家政策が各地方の地域政策に有効に働いていれば、今のように地方小都市の中心街空洞化などの問題もなかったように思われます。二本松は年に一度のお祭だけは必ず燃え上がります。祭があっても「まつりごと」が戦後空洞化したためか、普段の町はゴーストタウンです。このあたりで、「政…まつりごと」が祭で燃え上がる情熱をしっかりサポートするような行政手法に大転換してもらいたいものです。久々に同級生同士で提灯祭を楽しんでの感想です。ちなみに我らは団塊の世代のトップランナー、来年は還暦でリセット『0』にしようと考えている世代です。この40年間燻っていた社会変革ののろしを再度上げる輩も出現するかもしれません。撮影は10月5日午前1時頃、撮影者は私
岳山ミステリー『雲堂和尚の山止め祈願』
岳温泉が現在の地に復興し今年が100周年であることは、この『あぐだもぐだ』なる自己満足的文章で何度も書きましたが、どうして一旦全滅しても地域ぐるみで復活を遂げるのか私にとっては分からないことが数多くあります。そもそも温泉場ぐるみで移転を繰り返すようになった最初の原因は、今から182年前の文政7年(1824)8月15日の山崩れで死傷者を2百数十名も出した大惨事があったからです。
 ミステリーはこの大惨事の154年前の寛文10年(1670)に、予見したような歴史的記述があることです。それは雲堂和尚によってなされた山止めの祈願です。この祈願によって150年間の歌舞音曲を許されたとありますが、祈願の効力が消えて4年後の文政七年岳山変事が起きたことです。不思議ですよね。写真は2006年9月19日に撮影した梵字石です。寛文十庚戌年の字が岩肌のコケで浮き出ています。もともと、安達太良山会津越えの重要な登山ルートのすぐ脇に位置しますが、10年前の沼の平のガス事故のトバッチリでこのルートが閉鎖されたままで、昨日歩いても潅木が育ちなかなか入れない状態になっており、一日も早いルート再開が待たれます。余談ですが、閉鎖する時はパニック状態で閉鎖し、再開する時は冷静に何度も調査する手間とお金を掛けなければならないという理由で10年も放置しっぱなしは腑に落ちないですよね。雲堂和尚のように冷静に山の様子を見て、「150年間、山中でのドンチャン騒ぎを許す!」と言ってのければいいんですよネ。ちなみに雲堂和尚の山止めの祈願石はもう一つは旧岩代町にあるそうです。さらにもう一つが安達太良山中にあるといわれていますが、どこにあるか不明です。ひょっとすると文政七年の山崩れで埋没しているのかもしれません。今の岳温泉が8kmも引き湯をして繁盛する温泉場になっていることは、雲堂和尚の法力のお陰かもしれません。繁盛し、おごりが生ずると必ず天罰が下るようです。ニコニコ共和国が1982年に開国した7年後の1989年8月6日に再び同じ場所で山崩れが発生し、温泉が丸一日止まりました。このときは岳温泉総出で復旧にあたりました。文政7年から165年後のことです。150年+15年ですがこちらはこじつけですかねェー。
観光宣伝のダ・ビンチ・コード
ニコニコ共和国に幕が下ろされ、いよいよ岳温泉ぐるみで連泊滞在型の観光地づくりを目指して本格的に歩を進めることになりました。8月31日の日本国統合記念・大統領主催最後の晩餐会には、久しぶりにマスコミ各社の取材攻勢を受け、立食式パーティーでも延々3時間の大はしゃぎとなり、まるで25年前に戻った感じでした。独立当時は、私も若く怖いもの知らず、小さな温泉場が独立宣言しても役者ぞろいでした。テレビ局の脚本どおりにシローキムラ大統領や閣僚を楽しくうまく演技に乗せることが出来ました。あれから25年、独立宣言当初から閣僚だった人たちや、その頃は嫁に来たばかりで出番のなかった女将さんたちは、今回の晩餐会が最後の出番と大張り切りでした。普段は女将さんのトレードマーク的和服姿から一転、マリー・アントワネット張りの貸衣装で登場して会場の華やかさを一層引き立ててくれました。まさに最後の晩餐会でしたが、ダ・ビンチ・コードは一体何だったのでしょう。ひょっとしたら、岳温泉復興100周年とニコニコ共和国25年の割り切れる数値マジックで単純に幕引きをしたことだけなのかもしれません。思っても見なかった取材攻勢で25年前の『真夏の夜の夢』が再現されました。ニコニコ共和国の歴史年表には西暦2525年には全世界がニコニコ共和国になるとあり、この啓示がダ・ビンチ・コードかもしれません。ドイツ式ウォーキングを取り入れた『歩く岳で健康』も何かを示唆しています。人間の骨格筋の数660個、足に関する筋肉430個、手に関する筋肉170個、残りは顔の筋肉60個です。第2の心臓足をパワーウォーキングで鍛え、腕と足をノルディックウォーキングで鍛え、残りの顔はニコニコと笑って鍛えます。今はさわやかな安達太良の9月の空に、斬新なデザインのバナーが新しい時代を告げるべくひるがえっています。DAKE ONSENが100年の感謝を込めて、さらに100年先をめざして、十字架のようなDANKE ONSEN になりました。9月11日からの『復興100年の大実験』期間中に是非、連泊して安達太良高原の秋を楽しんで下さい。それぞれの皆さまのダ・ビンチ・コードを考えてみるのも楽しいですよ。今回は少し遊びすぎの文章ですみません。
ニコニコ共和国の観光戦略
 ニコニコ共和国が誕生して早や25年、4分の1世紀が経過しました。1982年4月28日が独立記念日です。このセンセーショナルな観光地戦略は予想以上の結果をもたらし、それまでは考えても見なかったマスコミの取材攻勢に岳温泉全体が巻き込まれ、全国にミニ独立国誕生ブーム火付け役になりました。UPI電として世界中にニコニコ共和国独立宣言のニュースが飛び交い、岳温泉の夏休みも空前の賑わいを見せました。あれから25年、今年もサマーフェスティバル開国式から一連のイベントが行われ連日岳温泉のスタッフがお世話に奔走いたしました。
 さて、このニコニコ共和国も25年を以って日本国統合となります。8月31日の大統領主催・最後の晩餐会にて、ひとまずバカ騒ぎイベントは幕を下すことになります。25年前に右肩上がりの経済環境の中で考えられた観光地戦略を根本から見直すきっかけにし、新しい時代にあった形に改革していくことが目的です。共和国通貨コスモはこれからも日本円と同時に使われます。余談ですが、コスモは大不況対策の地域通貨としの機能は大きな役割がありました。旅行商品やスキー大会の賞品にも使われ、財貨を岳温泉にだけ25年ももたらした通貨ですから絶対ないがしろにはできません。また、ニコニコ共和国ビール、大統領推薦ニコニコラジウム卵、ニコニコラーメンなども大事な特産品でありより販売増になるように智恵を出し合いたいものです。
 9月からはニコニコ共和国の成功体験を捨て去り、新しい岳温泉の観光戦略を具体的行動に落とし込んでいきます。大きな柱は健康保養温泉地づくりという名の連泊滞在型観光地づくりです。日本の温泉場は1泊2食付の形態がほとんどで、すべてが旅館の中だけで事足りてしまいます。街に人が出ても何もなく、滞在客には不向きな温泉場がほとんどです。9月11日からの20日間を『復興100年の大実験』と称して、連泊滞在型の観光地づくりのテストマーケテイングを致します。一つの旅館に泊まっても夕食は別のレストランや旅館でも食べられるようにも致します。滞在中の過ごし方としてはトレッキング、ウォーキング、オプショナルバスツアー、宿パビリオンでの催し物などこの20日間を大実験期間として組み立てなおします。告知期間が少ないのが難点ですが、是非大実験期間にお泊りいただき岳温泉の滞在を大いに楽しんでください。日本の温泉場ではなし得なかった泊食分離の連泊滞在型初挑戦です。何とか成功させてみたいと思います。
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