やっちゃんのあぐだもぐだ
過去の記事
最新の記事
『癒し」から『愉し』へ
いつの時代にも「百家争鳴の如く」観光地論が起こります。バブル期には適地と思われる土地はことごとくゴルフ場やスキー場になり、温泉が掘り当てられ、色々なテーマパークなる遊び場が各地に出現しました。温泉旅館も増改築が進み、いつしか木造継ぎ足しの旅館が鉄筋コンクリートのビルに変身しました。新幹線停車駅ビルがエスカレーターでスキー場ゴンドラにつながり、都会から突然『雪国』に入るようなリゾートも出現しました。世界最大の屋内スキードーム『ザウス』は将に夢見たいな話、平地に突然巨大な恐竜のような建物が現れ、いつの間にか消失してしまいました。私事ながら地元の子供たちを引率して真夏の西船橋にスキー合宿に行っていた頃が懐かしく感じられます。巨大なドームは何だったのでしょう。外側は30度C、内側はマイナス2度。プロジェクトを計画化したときは絶対に採算が合うと思って建てられたのでしょうね。世界一の造船技術を使って……。
バブルが崩壊して、銀行や証券会社の破綻、リゾートも破綻、郵政民営化、自治体合併などとあらゆる要素が根本的に組み替えられてきました。インターネットの出現、携帯電話の急激な普及は観光地の変化にも大いに関係があるような気が致します。
そんな中で温泉場の流行になってきたのが『癒し』。キーワード『癒し』が売れ筋になることは、よほど心や体が病んでいるに違いありません。こんな風潮の中、色彩も、タレントも、温泉場も売れっ子は癒し系になってしまった感があります。それでも私などは『癒し』の言葉に抵抗がありました。無理して考えた屁理屈が、「病垂(ヤマイダレ)をはずして、心を前に持ってくると『愉し』だよ」と反発していました。
ある雑誌の『温泉観光地の視点』という観光地論に…「癒し」に加えて積極的な意味づけを…という表現でマズローの欲求段階説からの考察が述べられていました。一般的に「生理的レベル」の欲求が満たされると「社会的レベル」の欲求が高まり、「自己実現のレベル」の欲求が最も強い力を持つようになるというのが欲求段階説ですが、観光行動にも当てはまるようです。
わが岳温泉は日本一長い引き湯の温泉場です。今から約180年前から町ぐるみで移転してきたからその度に引き湯せざるを得ませんでした。昭和の初期にスキー場を作り、登山道をつくり積極的に安達太良山を活用してきた温泉場です。だから『癒し』だけでは物足りなくニコニコ共和国だったりウォーキングコースを作ったりいています。『癒し』以上の存在理由を自ら背負う事がここで生きる自分達の存在理由だったと解釈致します。そろそろ、世の中の気持ちもより積極的な生き方に意義を見出すような世相に転換してくるように思えます。私の干支『亥年』も間もなく終え、子年に入ります。思い切って十二支の初めだから『愉し』が前面に出るような積極的で愉しい観光地づくりにさらに邁進しようと思う年の瀬です。
わが家のえびす講
今年のえびす講は11月29日でした。昭和9年の創業以来、わが宿の大事な年中行事の一つなっていますが、少し昨年までと違った事をしました。私の還暦に合わせて、自宅の神棚から事務所の神棚に、恵比寿様大黒様に出張してもらいました(写真)。お陰で全従業員の皆さんに、わが家のえびす講のいわれ因縁を伝える事ができるようになりました。えびす講は旧暦の10月20日に商売繁盛を願って行われる行事です。昔はどんな家でもやっていたようですが、最近ではこんないい風習が残っているのは少なくなっていますが、わが宿では頑固に守り続けるつもりです。なぜ頑固に続けているのかは、創業の時に祖父が引き継いだ旅館の神棚の奥に見つけたのが小さな木箱だったからです。中に入っていた恵比寿・大黒様を引き続き大事に守り通してきたからです。それ以来73年間、東館の年中行事として、旧10月20日にお出ましいただく商売繁盛の大事な守り神なのです。小さな恵比寿大黒様の傍らには大きな打ち出の小槌、三方には預金通帳、宿帳、現金を供えます。今年は、聖徳太子のレプリカに登場してもらいました。生きた鮒を5匹、お煮しめを酒のつまみにみんなで参拝し商売繁盛を祈念いたします。世の中がいくら変化しても人の心は急激に変わらないものです。11月23日で菊人形が閉幕し秋のシーズンも終わり、忘年会の季節に入りました。12月24日、25日は恒例のあづま館クリスマスパーティーが行われます。こちらも大事な年中行事の一つです。和洋ごちゃまぜの感もありますが、旅館に宿泊してのクリスマスパーティーもおすすめです。是非、お出で下さい。
73年間のお得意様
先日、WAFC還暦会からご招待状が届き、赤坂まで行って参りました。WAFCとは早稲田大学米式蹴球部のことです。実は私の祖父が旅館を独立開業した時に、最初に宿泊代を頂戴したのがこの米式蹴球部です。時は昭和9年9月初めのことです。8月30日から10日間の合宿をした代金が記念すべきあづま館最初の収入です。それ以来、太平洋戦争の末期に中止になったことはありましたが、戦後21年から米式蹴球部の合宿は続き昭和62年まで合宿が岳温泉にて行われました。私も小学生になる前から厳ついヘルメットにやたら肩が盛り上がったロボットみたいないでたちのお兄さんたちの事が脳裏に焼き付いてます。毎夏の合宿最終日には、岳温泉の通りの真ん中で焚き火を囲んで大騒ぎ、最後には着ているものすべてを火の中に投げ込んでしまった人も居たような記憶があります。毎年来ていただく大学生の合宿を見ながら、いつしか中学時代を過ぎ、高校生になり、大学時代は同じ年代の体育会系の学生同士として、大学は違っても友人づきあいができるようになりました。私はスキー部でしたので夏のトレーニングは走るばかり、走る事が大好きな監督といっしょに走ったこともあります。私の弟もアメリカンフットボール部に入部し4年間を岳合宿で過ごしました。また、岳温泉でロマンスが実り、めでたくゴールインした学生さんも居ました。
こんなお付き合いだから、私まで招待状を頂くことになったわけです。出席してみて、またびっくり。何と喜寿と古希と還暦のOBの方々のお祝いの会でした。お世話係は還暦のメンバーが4年生だった時の一年生が預かるようです。準備された色紙に手形を押し(私の手はボールを握った手ではありませんが)、出席者全員がサインをします。さらに記念品として燻し銀のヘルメットのレプリカといっしょに頂戴いたしました。写真には7月に私の還暦誕生日に宿泊して下さった皆から贈られたミニチュアボールも入ってます。創業以来の73年間のお付き合いのお陰、感謝、感激、御礼の申し上げようがありません。
今年の早稲田大学米式蹴球部は5戦全勝。11月23日には同じ全勝同士の法政大と決勝戦だそうです。勝って、甲子園ボールでの東西戦をも征し、日本一になってもらいたいですね。応援をお願いします。
控えめな福島県人の自慢話
本格的な秋のシーズン突入です。菊人形が始まり、提灯祭りが行われ、二本松はすっかりお祭りモードに切り替わっています。安達太良山の紅葉も間もなく見ごろ、あだたら高原スキー場のゴンドラには長蛇の列ができます。何といっても、標高1,380mの薬師岳山頂からの紅葉に吸い込まれるような景色は他では見ることのできない絶景です。是非ご覧下さい。
さて、景色自慢のついでに福島県人の関わった自慢話をしたいと思います。

まずは、医学会の放射線医学の高橋信次博士。CTスキャンナーの原理に結び付く、廻転横断撮影を発明されました。旧制安達中学校出身で、銅像が安達高校校門の右側に建っています。1984年に文化勲章を受章されスウェーデン王立アカデミーよりゴールドメダルを授与された方です。長生きされたらもう一歩でノーベル賞になられたであろう先輩です。詳しくは、安達が原ふるさと村の先人館もしくはhttp://www.city.nihonmatsu.lg.jp/history/jinbutu/hito4.htmlをお訪ね下さい。

先日の生きたシーラカンスの撮影は、いわき市、アクアマリンスタッフの皆さんの快挙。こちらは、生物進化のなぞに迫るような驚きがあります。ハイビジョンで撮影された映像が古代のロマンを覗き込む感じでゾクゾクしませんか?

月の周回軌道に入った月探索船『かぐや』に会津大学のスタッフが4人も関わっているそうです。ハイビジョンで撮影される映像を基に、正確な月面地図に仕上げる作業のプロジェクトだそうです。地図の完成が楽しみです。

すごく身近な話もあります。高校の同級生が世界第1号のナイキのエアーマック試作品の製作者であります。10数年前に二本松の東邦ゴムで作られたました。今でもゴム長靴業界では世界でトップメーカーですから、確かな技術力の結晶ですね。写真は第1号のエアーソール。

世界的な発明や発見がふるさとの人物が関わっていることは大いに自慢したいことです。もしも、私の気づいてないふるさとの自慢話があったら是非教えてください。〈あぐだもぐだ〉してみたいと思います。
福島産ビール考
我が宿のラウンジには福島産ビールが2種類置いてあります。一つはみちのく福島路ビール、もう一つはアサヒスーパードライです。両方とも生産工場が岳温泉から車で30分くらいのところあり、原料になる水はどちらも安達太良山系のもの。本宮のアサヒビール工場の強大なタンクの立ち並ぶ景観には圧倒されます。アサヒスーパードライはニコニコ共和国ビールでもあり、スーパードライになる前から岳温泉地域のビールシェアの80%位を閉めています。昨年8月31日にニコニコ共和国は日本国統合になりましたがニコニコ共和国ビールは各旅館にありますので、工場直送の福島産ビールを味わえます。
 一方の『みちのく福島路(じ)ビール』は年間生産量150klの福島市の地ビールです。こちらは10年の歴史を刻む地ビールです。現在の社長は吉田重男さん。生産は双子の息子さん達が手作りビールづくりを意気に感じてやっています。先日工場を見学するチャンスに恵まれ、生産工程や原料のことを教えていただきました。アサヒビールの生産工場とは比べ物にならないくらい小さな工場ですが、原材料の麦芽(モルト)に生きた酵母が作用して美味しいビールに成る工程が充分すぎるほど理解できました。それ以上に感動したのは吉田親子の職人魂とマネジメントの確かさです。ビールの種類は、ピルスナー、ヴァイツェン、デュンケル、レッド・エール、Oh!ラガー、ピーチエールなど7種類もありそれぞれ個性があり美味しいこと請け合いです。工場から30分以内の配達距離が重要ポイントであり岳温泉の他に、土湯、飯坂、福島市内のホテルに置いてあるようです。ビールの劣化を防ぐ為、ビン詰めの際に空気が入らない工夫だとか、すごい努力の結晶が福島路ビールであることを理解し、さらに美味しくビールを飲めるようになりました。岳の湯に浸かった後に飲む福島路ビールはまた格別の味です。是非、御賞味下さい。
裏山の恵み
裏山の安達太良山は色んな恵みを与えてくれます。暑さで閉口している時は、岳の湯に浸かるのが一番サッパリする方法です。梅雨時のジメジメした嫌な皮膚感覚、そして梅雨明け後の猛暑に一番肌に爽快感を与えるのは『岳の湯です』と言い切れます。岳の湯は時々白く濁ります。湯元の天候が悪い時や、湯樋に湯花が溜まって飽和点に達したときは濁ります。湯元の天候が快晴の時は、緑色がかった透明の温泉になります。PH2.48の酸性泉が8kmの湯樋で揉まれ柔らかくサッパリ感がする不思議な温泉だとも言えます。
春の恵みはたくさんありますが、安達太良のジダケは最高、日本一美味しいと思います。春も早めに残雪が消え、太陽の恵みをいっぱい受けたジダケが地面に少しだけ顔を出します。このジダケはちょっぴり甘く柔らかで、安達太良ならではの味わいです。
 秋は全国一発色状況のいい紅葉が自慢です。広葉樹林帯と照葉樹林帯が福島県で重なり、その真ん中に安達太良山が位置します。ツツジ科植物の垂直分布がここの狭い地域に顕著に見られます。複合的な植生の場所に、急激に寒気が入る地域だから紅葉の発色状況がいいのでしょうか。安達太良山の周辺で育つと色彩感覚が鋭くなります。有名な画家がたくさん輩出しています。
 冬の恵みはもちろん雪。11月の冬の到来を告げるようなヒンヤリとしたキリっとした空気がやがて安達太良山を白く蔽いスキーシーズンへと誘います。
 裏山の恵みについて言及しましたが、写真の『友と雪』碑の説明がしたくて前文を書きました。今日からお盆、迎え火を焚きます。お盆で還暦を記念して同級生のスキー事故供養碑まで行ってきました。建っている場所は篭山の近くの登山道脇です。この石碑は、昭和39年12月6日にスキー練習中に事故に遭い残念ながら4週間後に無くなった大内幟君の供養碑です。当時17歳、東京オリンピックの聖火ランナーをやった2ヶ月後のことでした。11月末から初雪を求め、初滑りの格好の場所が振り子沢であり、毎週末に山に登りスキー練習に励んでいた時の事故でした。安達太良山は色んな恵みを与えてくれますが、時として大惨事も引き起こします。当時の私達の年代はすごくやる気があり、猫の額くらいの斜面でも、歩いて何時間もかけてその場所まで行って練習しました。スキー事故も遭難も山崩れも本当は裏表です。気軽に登れてこんなに変化のある山は安達太良だけです。安達太良山に是非登ってみませんか?安全第一で……
安達太良高原は今が旬
先日、『野崎洋光と食の匠たち』と称する食のイベントが郡山のホテル会場にて開催され、福島県出身で有名な調理師の方々の料理を食べる機会に恵まれました。調理人は野崎洋光さん(分とく山・総調理長)、富澤貞身さん(ホテルメトロポリタン池袋「日本料理・花むさし料理長」)、金澤信人(京王プラザホテル中国料理「南園・アシスタントシェフ」)の3人。『福島を味わう』と名付けられた献立はそれぞれに美味しく、普段の量よりも遥かに多い量でもったいないくらいでした。献立表は、
〈先附〉茗荷豆腐、ニラとほっき貝の湯葉浸し、白河高原清流豚の焼豚
〈前菜は〉鮑の磯焼、
〈椀〉十念椀
〈造り〉中之作の鰹、相馬の水蛸
〈焼もの〉白河高原清流豚のココナッツ風味オーブン焼
〈煮もの〉あいなめ唐揚げ
〈口替り〉飯館牛和風ローストビーフ
〈強肴〉川俣シャモのバリバリ揚げ
〈止肴〉焼穴子と夏野菜サラダ
〈食事〉会津地鳥の鶏飯、紫黒米焼飯
〈デザート〉桃杏仁豆腐、青柚酪羹、桑の葉豆腐
文章では美味しさも満腹感も味わえないと思いますが、福島には良い食材が沢山あります。野崎洋光さんはいつも「野菜はうちの婆ちゃんが裏の畑で採ってきたのが一番うまい」と自慢します。
今回の食のイベントにはわが宿の調理師も参加し、野崎さんの言葉に触発され、早速旅館料理に応用しています。これほどざっくばらんに指導いただける有名調理人に身近にお目にかかれて大変に幸運です。野崎さんご指導の熱が冷めないうちの、我が宿の料理を味わいにどうぞお越し下さい。良き師のお教えを頂ききっと美味しい高原の味を提供できると思います。自然環境日本一の温泉と評価の高い岳温泉です。酸性泉は夏が気持ちいいですよ。写真は福島の3調理人です。
プールの話
あづま館が夏休みのお客様の楽しみの為に最初にプールを作ったのは昭和47年です。私が水上温泉の旅館修業から戻った時、父の第一声が「オイ、プールを作れ」です。これがキッカケでプールプロジェクトが始まりました。35年前の事です。デザインは、以前から父とのお付き合いがあった福島市の溝口建築さん、山の温泉に因んで小熊に決りました。建設の場所は玄関から一番遠い庭の片隅に作ることになり、丁寧に手入れされた芝生をはがしてタテ16メートル、ヨコ5メートル、子供用の浅いプールは小熊の顔をデザインに使った楽しいものでした。『小熊のプールの』愛称を屋外プールは、岳温泉に始めてのプールであり大人気、夏休みに入って子供会が連日押し寄せ、投資した分は初年度で回収してしまうことができました。プールの水は水道水がもったいないので、川の水を引き塩素剤を投入するだけです。35年前の岳温泉は川の水は各旅館の池に引き込み、それぞれの旅館が鯉を飼って旅館料理に提供していましたのでプールに活用するのは何の抵抗もありませんでした。それでも自然の河川水ですから、3日ごとに水を全取替えしなければ濁ってきます。自分が作った責任上、庭番の番頭さん達と3日ごとにプール掃除をした楽しくも冷たい記憶が蘇ります。
 さて、現在の陽日の郷あづま館のプールはというと全天候型のタイル張りの屋内プールで年中泳げるようになっています。平成4年のオープンですので15年経ちました。最初の設計では子供用のプールがメインプールの角に飛び出していたのを、オープンパンフレットを見た石井好子さんが「泳ぐ人と、水遊びをする人は目的が違うからココじゃないほうがいいわよ!」といって今の形になりました。余談ですが石井好子さんは母と大森の山王小学校、東京府立第6高等女学校の同級生で、有名なシャンソン歌手、水泳の70歳以上のマスターズクラスの世界チャンピオンだったこともある方です。設計監修・石井好子さんのプールは多分世界でただ一つです。夏休みに因んだ、我が宿のプールのお話です。水着を持ってお泊りにお出で下さい。
前へ | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 | 次へ