やっちゃんのあぐだもぐだ
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アウフビーダゼン ガウダーさん
  コロナ騒ぎの真っ只中、岳温泉ウォーキングの理論的バックボーンであったハートヴィッヒ・ガウダーさんがお亡くなりになりました。追悼の意味を込め、ガウダ一流ウォーキング理論の復習をしたいと思います。
  ガウダーさんが岳温泉に初めてお見えになったのは2005年2月25日の事です。福島県知事と二本松市長の表敬訪問ののち、安達太良小学校体育館にてのパワーウォーキング講習が皮きりです。当時、岳温泉では21世紀の観光地づくりをドイツ型健康保養温泉地モデルへ転換し連泊滞在型をめざし、高原全体を『日本一多様な散歩道を持つ観光地』にしようと考えてい居た矢先でした。ガウダー来訪の2年前から福島大学のサポートで高原全体に33のウォーキングコースをつくり、また、日本ウォーキング協会監修によるIVVコースの設定、ウォーキングイベントなどの開催もあり、岳温泉の一連の取り組みがガウダーさんを引き寄せたのかもしれません。2005年2月末の最初の来岳の3か月後、6月末に、日本初のパワーウォーキング講習会を三日間の福島大学と県体協の共催にて開かれパワーウォーキングインストラクターも誕生しました。この時は、体育理論とウォーキングの効用、第2の心臓である脚を使いそして心肺機能を高め健康づくりにつなぐかの講義内容でした。ガウダーさんは自己紹介にて、1980モスクワオリンピック時の競歩50kmの金メダリスト(当時は東ドイツ)、1988ソウルオリンピックで銅メダルの後に引退し建築家に転職、古いドイツ家屋の解体時にウィルス性心臓病を患いました。1年間を人工心臓、そして臓器提供者があり心臓移植手術を受けたのが1997年、術後の経過は良く自ら医者に申し出て1998年に医者には薦められないままボストンマラソンなどに出場し完走、2003年には富士登山を慣行するなど、自分の脚を第2の心臓であることを理由に循環機能を向上させ、通常の生活の戻れる状態になったのです。金メダリスト・ハートヴィッヒ・ガウダー氏は自らが心臓移植してもらい生きていることを前向きに捉え、パワーウォーキングとは積極的に体の機能を使う意味を強調しウォーキングを健康づくりつなげることを世界中に訴える活動に入りました。
 2006年秋には日本人の我々をドイツはザルツンゲンとエアフルトに招いて頂き、ゲーテの生家のある街のウォーキング大会にも参加し中部ドイツの自然や木組み家屋の残る街並みを一緒に楽しんだこともいい思い出となりました。ガウダーさんが岳温泉を気に入って何度も訪れたのは中部ドイツの地形に似ていたからかとも思います。
  週3日、一日40分を自分の最大心拍数(女226(男220)−年齢)の60%〜75%で歩くことにより健康が増進するというのがパワーウォーキング理論です。そして歩く事を続けることが大事であると強調『ゆっくり歩くことを畏れるな、立ち止まってしまう事を畏れよ!』の言葉を残し、4月22日に自宅のあるエアフルトから天国に召されました。写真はガウダーさんとのプンパルッウォーキング大会の一コマです。楽しい大会でした。