やっちゃんのあぐだもぐだ
過去の記事
『エール』を送って下さい
 オリンピックが一年間延期になり、コロナウィルス・パンデミックに全ての国が巻き込まれてしまった30日、NHK朝ドラ『エール』が始まりました。県内紙福島民報と福島民友は多くの紙面を使って古関裕而関連の記事になっています。もしもコロナウィルス騒ぎが無かったら、ギリシャで採火され第一走者野口みずきの手で運ばれ、26日にJヴィレッジをスタートし、27日には猪苗代スキー場中央ゲレンデからスキーにて運ばれ29日は栃木県につながれていたのでしょう。そして、昨日の朝は朝ドラ『エール』の初回放映、古関裕而と奥さんが1964年10月10日の国立競技場に入るシーンで、2020オリンピックの盛り上げに一役買っていたことでしょう。ちょうど一年間をコロナウィルス・パンデミック空白期間として100年後の歴史に克明に記されているに違いありません。
 世界中がコロナ騒ぎの中ですので、百年前の岳温泉を振り返ってみたいと思います。たまたま私の祖父が著した『岳に生きて』という書物があり、東北の山間地の当時の温泉場の事が詳細に記録されております。ビル・ゲイツが今回のコロナ騒ぎが100年に一度であり、マイクロソフト社で築いて来た自分の資産をすべてコロナ対策に使うと宣言したことで、自分も100年間の温泉地のおさらいをしたくなった訳です。約100年前の1918年スペイン風邪が世界的大流行、この翌年1919年3月に私の祖父一二が岳温泉の扇屋に婿入り。父の義一が1921年に生れた2年後の1923年9月1日に関東大震災。1929年に岳スキー場の開発、1934年にいよいよ鈴木一二が扇屋旅館の東隣に扇屋分館として開業、父義一が13歳の時であり、片道10qの岳下尋常高等小学校から帰るとすぐに調理場に入って卵焼きなどを焼いていたとの創業時の話も伝わっています。1940年に予定されていた東京オリンピックは中止、1941年12月が太平洋戦争開戦です。歴史の話はここまでにしますが、100年前の状況と、2020年3月31日時点での状況のスゴイ類似性がみえて、なんか怖くなっております。1919年から1940年の20年間の出来事の順番が少し違いますが、地震、感染症パンデミック、大恐慌と重なってしまいます。2020オリンピックはちょうど1年延期でありホッとしていますが、コロナウィルス・パンデミックの騒ぎが収まり、聖火台に再び火が点り、地震とコロナからの復興の祭典が行われることを願うばかりです。
 さて、再び『エール』の話。偉大なる作曲家古関裕而はオリンピック賛歌を始め作曲した歌はスゴイ数です。『高原列車は行く』は1968年に廃業になった沼尻鉱山鉄道の歌。アイヌの祭典を歌った『イヨマンテの歌』は本宮出身の歌手伊藤久男の持ち歌でずーっと紅白歌合戦にても歌われていました。早稲田大学の応援歌『紺碧の空』も、甲子園の『六甲おろし』、ロータリークラブ『おおロータリアン』、そしてJICA海外協力隊『若い力の歌』などなどです。写真はJICA二本松訓練所修了式風景です、世界に飛び立つ青年たちの訓練所ですが見学も可能ですので是非お出かけください。