やっちゃんのあぐだもぐだ
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平成スキー場物語
スキーほど楽しいスポーツはない。その想いを胸に、平成最後の大晦日に、平成時代30年間のスキー場事情を振り返ってみようと思います。
平成元年(1989)9月の土湯トンネル開通により、県都福島市と会津地方が冬期間も直接つながりました。雪国会津へのトンネルを抜け出たところに箕輪スキー場開設したのがこの物語の序章です。リゾート法の施行が会津地方を中心に大型スキー場を続々と誕生させる現象につながっていきました。
東北最大規模を誇るアルツ磐梯スキー場と裏磐梯グランデコスキー場は、平成4年12月の開設。巨大なリゾートホテルも続々と出現し、世界的リゾートエリアに変身するような予感を感じるほどでした。裏磐梯がスキー場エリア化して磐梯山周辺は大噴火口部分を除いて全部の尾根と谷がスキー場で繋がるようにも感じられたのです。
 日本のスキー場開発のパイオニア的存在である猪苗代スキー場もこの時期にミネロスキー場を拡大併設し、平成7年2月には国体開催となりました。ユニークなスキー場はリステルスキーファンタジアです。巨大な宿泊施設を併設し、モーグルコースを備えFISワールドカップを開催(1988年から16回)、翌年の長野オリンピック以降の日本モーグルチームの活躍に繋ります。平成21年のFISフリースタイルスキー世界選手県猪苗代大会開催もここをメイン会場に開催されました。
南会津でもこの時期に大型のスキー場の開業と拡張が相継ぎました。会津高原たかつえスキー場、だいくらスキー場に続き、平成5年には会津高原高畑スキー場が開設しました。山頂からは越後三山がすぐ近くに見える位置にあり豪雪地帯の穴場です。高畑スキー場から30分の所には檜枝岐スキー場があり、「会津弁」地域にありながら平成の現在でも古代「京都弁」が標準語の人口600人の檜枝岐村は特筆に値する地域です。
さて、中通りのスキー場は南側からグランディー羽鳥湖スキー場、そして、我があだたら高原スキー場です。あだたら高原スキー場の前身は岳温泉スキー場、開設は昭和4年ですが平成元年に夏冬兼用のゴンドラが新設されたことで、平成スキー場物語の仲間入りです。
スキー&スノーボード人口は平成5年で1800万人、平成17年は580万人とピーク時の3分の1、ウィンターリゾート経営の大きな問題ですが希望は捨てていません。平成13年の冬、ある医学学会のスノーサイドミーティングが当館で開催されたのです。滞在中にあだたら高原スキー場と箕輪スキー場にスキーウェアで出かける姿が眼に焼き付いています。日本のスノーリゾートが国際会議に、そして銀世界を満喫できる場になる目前まで迫った平成時代でした。次の元号の時代には、この理想が実現できるようになりたいものです。
平成の年末、日本列島は強い冬型の気圧配置です。今シーズンもスキーと温泉を楽しみお出で下さい。写真はあだたら高原スキー場、コンディションが最高です。