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火山三兄弟のこと
安達太良山は活火山であり、今年は噴火120周年に当たります。明治時代に磐梯山と安達太良山でどちらも噴火があり、話題として取上げてみます。
磐梯山の噴火は明治21年7月15日の水蒸気爆発で山体崩壊が起こり、小磐梯が消失し、岩屑なだれ、火砕サージによる、爆風、土砂流に村々の犠牲者は477名が死亡するという、明治以降の近代になって最大の火山被害でした。日本の火山研究が進展したのはこの噴火がキッカケになりました。
そのあと、明治33年7月17日に起きたのが、安達太良山噴火であり、沼の平にあった硫黄鉱山の作業員や家族77名が犠牲になりました。何故かちょうど12年目であり、子年に当り因縁の深さを感じます。
磐梯山噴火のことを知らしめるために作られたのが磐梯噴火記念館です。今年が安達太良山噴火120年に当たり、特別展を開催中であり、さらに現地での火山観測会なども開かれています。沼の平噴火口の500m下部にある沼尻温泉は、一カ所湯元から自然湧出する温泉としては日本一の湯量を誇ります。この源泉は1643年に二本松藩と会津藩に分れる前は、岳の湯の湯守である平近平が権利を所有していたと推測されます。馬の背の稜線で両藩に分れた時から、双方に覚え書きがあり、平近平が運上金五両を会津藩へ毎年支払っていました。岳温泉深堀村が建てていた温泉神社が湯元にあり、さらに湯小屋では小屋銭五文を取っていた記録もあります。
当然のことながら、稜線境界をめぐって会津藩と二本松藩の争いが勃発したのは両藩に分れた11年後でした。表向きは沼の平の硫黄と湯花の採掘権をめぐっての争いでしたが、最初は会津領岳山とする主張に会津藩に二本松藩が負け、担当者が切腹。この90年後に、石筵川の源流を二本松藩に繰り入れるために起された裁判で二本松岳山になったことも追記致します。この時の裁判には大岡越前守も登場し、決着は二転三転し1755年に裁断が下されました。安達太良山頂から北側稜線が正式に国境ラインとなったわけです。
磐梯山噴火記念館のご厚意により開かれた『安達太良噴火120年』特別展は11月8日まで開かれています。
安達太良山と磐梯山と吾妻山は噴火三兄弟みたいな活火山です。山の高さの覚え方は「娘17歳は安達太良山」―1700m、「番茶も出花の18,19歳が磐梯山」―1819m、吾妻山は単独峰ではないので記しません。山頂付近は紅葉が始まりました、是非お出かけください。写真は沼尻温泉の湯元、岳の湯の8倍の湧出量があるところです。