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パンデミックと岳温泉
世界人口約77億人、コロナ感染者6,048,384人(0.08%)うち死亡者数368,404人(0.6%)。
100年前、世界人口約19億人の時、スペイン風邪感染者が約5億人(0.25%)、死亡者が1700万人〜5000万人(3.4%〜10%)と言われ、世界人口の26%が感染、死亡率10%、まさに歴史的大事件です。今と100年前の感染症パンデミックの状況を比較して、特異な国、台湾が気になります。人口2400万人、感染者442人、死亡7人(感染率0.002%、死亡率は1.2%)とすごい数字に見え、ちょうど100年前、岳温泉と一番関係の深かった台湾との関係もあり100年の歴史探訪をいたします。台湾での成功者である木村泰治氏に助けられた岳温泉が、スペイン風邪流行後の発展に繋がったことが判り、先行きの不安が少し解消したような気がしております。
 今の岳温泉は明治39年(1906)に作られた温泉地です。源泉地は安達太良山中の鉄山(1709m)の基部標高1450m地点にあり、約8km引き湯であり自然湧出の源泉を集めてパイプで引き標高540m地点で各浴槽まで配湯しています。そもそも引き湯の温泉場になった原因は、文政7年(1824)8月に山崩れがあり、湯元にあった岳の湯(元岳、陽日温泉)が埋没、2百数十名の死傷者を出す大惨事となった事に起因します。温泉の泉質が良く、地域からも愛されていた温泉の再興を藩で計画し、翼々年に6km下部に移転して作られたのが十文字岳温泉であり、47軒の総檜造2階建のいわば温泉テーマパーク型温泉地が作られました。この温泉地も残念ながら戊辰戦争にて焼失、 明治3年からは元々の麓の住居であった深堀にて細々と民家を改造した程度の温泉地営業でした。引き湯技術は生かされましたが、引き湯距離が8kmとなり冬期間は湯船到達温度が39度程度になり再度温めないと湯に浸かれなかったようです。この深堀温泉も明治36年9月大火で全焼、3年後に現在の地に再興となったのが岳温泉、写真は開業時の絵図面です。開業当初、内湯旅館は一軒のみ、二つの共同浴場を皆で共同利用していました。明治39年の開業から10年ほど経過したときに第一世界大戦が勃発、終戦と同時に世界景気が悪化し、スペイン風邪大流行、そして関東大震災と災厄が続き、岳温泉は地域ごと全体にかなりのテコ入れが必要な状態でした。この時の救世主が台湾土地建物(株)の木村泰治氏、台湾でのまちづくりに大いに貢献していた事業家でした。木村氏は引き湯木管の製造工作機をアメリカから輸入し、4,200本の木管に入れ替え、冬の温度の低下がなくなり、さらに二本松との道路整備にも私財を投入、観光インフラを整備しオールシーズン型の温泉地に変貌できたのです。木村泰治氏は、大館出身で当初は新聞記者として活躍、台湾併合の初期、台湾総督児玉源太郎や民政局長後藤新平、新渡戸稲造とはかなりの親交があったようです。後藤新平による台湾での阿片撲滅の功績は後世に残る語り草であり、今回のコロナパンデミック収束のモデル国台湾の公衆衛生施策『先手防疫』につながっていると推察できます。これを機に木村泰治氏との関係や、岳温泉支援への経緯などを顕彰してみたいと考えていす。台湾のコロナウィルス対応と親日的な国民性について考えるいいチャンスかもしれません。