やっちゃんのあぐだもぐだ
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2018/05 の記事一覧
3つの火山のこと
吾妻山・安達太良山・磐梯山の三つの山の火山防災会議が開かれ、初めて避難計画が策定され新聞発表となりましたので、安全対策も含めPR致します。
磐梯山の噴火口の東側15kmのところに安達太良山の噴火口沼の平があり、その北側10kmの所に吾妻山系で噴煙の時々上がる一切経山があります。それぞれが百名山でもあり特異な火山景観が目に焼き付きます。
直近の大規模噴火は、磐梯山は明治21年(1888年)7月15日水蒸気爆発、5村11集落が埋没し477名の死者を出し、多くの湖沼群を誕生させました。安達太良山は明治33年(1900年)7月17日に沼の平噴火口に隣接した硫黄精錬所の社員、死者72名負傷者10名の犠牲者が出ました。吾妻山は1893年〜1895年(明治26年から明治28年)に何度も小規模な水蒸気噴火、1893年6月27日の噴火で火口付近調査中の地質調査員2人死亡の記録が残っています。
磐梯山水蒸気爆発の遙か昔に誕生した猪苗代湖があり南側に広がります。一方、この時の爆裂口のある裏磐梯の景観は圧巻です。江戸時代の地図にはまったく湖が記されていませんので、いかに水蒸気爆発がすごいものであり、吾妻山系、安達太良山系そして磐梯山系に囲まれた深山幽谷の地に多くの湖沼群が誕生し景観が一変したかが理解できます。大爆発から130年の景観が今の状況であり、周辺には多くのスキー場もありカヌーやラフティングなどのスポーツも行なわれる森と湖の一大リゾートに変貌しています。
吾妻山系の一切経山は今でも時々噴煙があがり山麓からも遠望できます。古い噴火口はコニーデ形の吾妻小富士ですので一見して噴火口である事が分かります。この山には総延長28km山岳有料道路が走っており標高1600mの浄土平までは気軽に登れますが、山形県にかけて奥深い山ですので、じっくりと縦走することもお薦めです。山間部には湖沼があり『魔女の瞳』のニックネームをもつ魅力的な沼もあります。
沼の平こと安達太良山の噴火口は圧巻の景観があり、地球上にいることさえ忘れてしまいそうな不気味な色彩の火口が大きく口を開けています。火口の周辺部からの360度のパノラマ景観はさらに圧巻です。標高1700m程度の稜線には植物は全くなく、標高3000m以上の景観を持つと言われている所以です。沼の平噴火口の真ん中から1kmほど東側に岳温泉の湯元があり、隣接して年中無休の温泉付き山小屋『くろがね小屋』があります。今から194年前までこの地点に岳温泉(陽日温泉)があったところです。
今回の火山防災会議にて有事の際の脱出ルートとして、馬の背からくろがね小屋への直降ルートが記入され一安心しております。夏山登山シーズンに入りました。写真は立ち入り禁止の沼の平底部からワンショットです。
岳八景「遠藤が滝」のこと
 早朝散歩をしていると、若葉の微妙な芽吹きが見え季節の変わり方が毎年違って見えるようになります。昨年の秋頃からの私の感覚では寒暖の差が激しく、この極端な差が今も続いているように思えます。今朝もお客様をご案内して早朝散歩でしたが、出発時には雨が止み、温泉神社を過ぎて500mほど歩き、夏無川を渡り、深堀温泉跡に着いた途端に冷たい雨に見舞われ、急遽引き返すことになりました。しかしながら、引き返しの道すがら岳温泉の近くに戻ったら雨は降っていなく、極端に斑のある天候に今年の天候不順さを感じた次第です。
私が春から晩秋までご案内している早朝散歩の道は岳温泉の小さな歴史を45分くらいで巡る旅です。現在の岳温泉は今から112年前の明治39年(1906年)にこの地に作られたのでその当時の都市設計の考え方で旅館や商店などが配置されております。昭和29年頃までは現在のメインストリートの真ん中に2つの共同浴場が配置され、間口を八間に区切り旅館や商店が両側に並び、それぞれの建物には縁側があり、上部には温泉神社があり下部には桜坂に続く鏡ヶ池があり、中心に2つの共同浴場を挟んだ、いわば温泉コミュ二ティーのようなものでした。共同浴場を撤去して、真ん中に水路が作られたのですが基本的には建物配置は変わっておりません。
 観光地としての魅力付けをいかに計るかが大事な事であったことが岳温泉の歴史を紐解くと見えてきます。明治の末から大正時代の魅力付け施策のひとつが『岳八景』です。桜坂・見晴山・鏡が池・夏無川・遠藤が滝・高台が原・立石・錦谷で八景ですが、本日が、遠藤が滝不動尊の例大祭でしたので『遠藤が滝』の説明をします。
遠藤が滝は深山幽谷の山岳仏教修験場にぴったりの場所であり岳温泉からは約6km西側の和尚山の下部にあります。遠藤が滝の名称は、源頼朝と同じ時期に伊豆国に流配され、頼朝の知遇を得て鎌倉幕府成立に少なからず影響があったとされている遠藤盛遠こと文覚上人が、若い時期に滝に打たれて修行をしたと言われているところだからです。
遠藤盛遠は友人である源渡の妻・袈裟御前に横恋慕し、渡の寝込みを襲ったはずが、実は袈裟御前が夫の身代わりになり、誤って盛遠は刃にかけてしまいます。世の無常を感じ、仏門に入り出家した話は平家物語で有名です。その盛遠が文覚上人とし修行の地であった話が伝わっているのが『遠藤が滝』であり、嘉永3年(1171年)ことです。今も修行の地であった事が感じられ、新緑のこの時期には絶対にお薦めできるサイトです。是非お出かけください。4月30日発行のはずが5月5日になったお詫びに、お不動様の御利益がある事を祈り、遠藤が滝の写真にて「あぐだもぐだ」といたします。