やっちゃんのあぐだもぐだ
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檜枝岐と岳物語
東北一高い山は燧ヶ岳(2316m)。この山があるのは日本一人口密度の低い檜枝岐村です。日本有数の特別豪雪地帯であり、周囲を栃木県、群馬県、新潟県に囲まれた福島県南会津郡にある人口600人ほどの村です。この村の特徴は名字が星、平野、橘しかなく周囲を栃木弁、群馬弁、新潟魚沼弁と南会津弁(会津弁のさらに訛りがキツイ)に囲まれながら、なめらかな西日本言葉を今も話されている村です。先日、檜枝岐でクロスカントリースキー大会があり、村のお歴々からご馳走になったので、私だけが知っているマル秘物語の話を致します。
今を去る843年前の秋、平家が栄華を誇っていた京の都は、木曾義仲軍の攻勢による焼き討ちに遭っていました。平敦盛の恋人である麗御前も義仲軍の乱暴狼藉に危うく命を絶たれるところ、義経の指揮の下、助けには入ったのが小槻隆国と言う陸奥は安達の庄の若武者であり、救い出された麗御前は若武者のその名を心に刻みつけることになりました。元暦元年(文治元年・1185)平家一門は壇ノ浦にて滅亡します。京の戦乱の折に、身ごもっていた敦盛の子を出産した麗御前たちは従者と共に落ち延びた先は遠い陸奥の檜枝岐の地でした。檜枝岐での暮らしは厳しくも少しは慣れてきたとき、今日の戦乱の折の恩人である小槻高国のことが頭をよぎりました。夫の敦盛は戦乱で既にこの世におらず敦盛の子・小敦は5才になっていました。命の恩人の小槻高国を訪ねたいと周囲の反対を押し切り、小敦を連れ従者夫妻と共に岳山(安達太良山)の麓にたどり着き、粗末な家を建て暮らすことになりました。いつしか見目麗しき御仁が岳の地にいるという噂は、小槻高国にも伝わり岳の地での再開となり、自然の成り行きで一緒に暮らすことになりました。岳の地での小槻高国、麗御前、小敦の幸せな暮らしぶりはいつしか鎌倉方の知るところと成り追っ手の手により岳の地で3人とも果てることになります。時は文治元年(1186)6月10日、不憫に思った岳の人々が懇ろに埋葬し三人の塚が立てられました。生き残った従者はその後、檜枝岐へ戻り平野の姓を名乗り今に至るというお話です。この話は昭和4年頃に尾瀬に行き平野長英さんの山小屋に泊まり、帰り際に寄った檜枝岐村の民家の古老が、「二本松から来たのであれば、平野家に伝わる秘密の話しをして進ぜよう」と話した内容です。二本松から檜枝岐に行った旅人は竹田町の大内信祐さんです。80才過ぎてライフワークとしてペンネーム北郷隆平として著わしたのが「御前塚物語」であり、檜枝岐側には平野家が平家の落人であったらしいとの話しが伝わるだけ、星家は9世紀頃に檜枝岐に入り、橘家は織田信長に追いやられた伊勢の豪族の子孫とだけ文献にあるようです。平野家が二本松側の物語にだけ登場します。檜枝岐と岳温泉は昔からスキー仲間で仲が良く馬が合います。
8百年以上前からのお付き合いの所以かもしれません。クロスカントリーもアルペンスキーもできるバックカントリースキーには最適の場所が檜枝岐です。写真は村長の星光祥著の檜枝岐道物語の表紙です。