やっちゃんのあぐだもぐだ
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二本松少年隊に思いを馳せて
世界各地で内戦が勃発しています。巻き込まれて民間航空機がミサイルで撃ち落とされ事故調査どころか遺体の収容までが思うようにできない状態が続いているこの頃です。兵器が発達した中で内戦は、幼い子供たちまでもが大量に殺戮されているのをみると何らかの方法で止める方法がないのかとつくづく思います。
いつもこの時期になると、戊辰戦争で戦った二本松少年隊のことに思いを馳せます。昨年はNHK大河ドラマ『八重の桜』の二本松少年隊が登場したのが6月でしたので、日本中の多くの人が、西軍が会津を攻める前に二本松城が落され、二本松少年隊に戦いぶりを認識して頂いたのではないかと思います。
  昨日7月29日は二本松城落城の日です。明け方に西軍の一隊は本宮から二本松を目指しました。そこを迎え撃ったのは砲術隊隊長の木村銃太郎に率いられた少年隊の一隊でした。西軍を迎え撃つ場所は大壇口、この場所は現在の高速道路二本松インターを出て500mほど東側に来た小高い丘です。左側手前には消防署の高い櫓が立っており二本松藩の領地を360度見渡せ場所です。
  ここが西軍を砲術隊が迎え撃った場所であると思うと「さもありなん」ですが、迎え撃つ二本松の砲門は小ぶり口径8センチ砲で射程距離は500〜800メートル程度でした。
 木村隊長は敵の進軍を見ながら「まだまだっ…、よく引き付けてから打つのだ…」。その内、相手方から攻撃がはじまり、それでもよく引き付けて「打てーっ…」と号令、敵の真ん前で砲弾が着弾…惜しくも敵に命中させることはできなかったものの隊列を乱れさせたのでしょう。
 一方、野津隊長率いる西軍は射程距離800〜1200m口径20cmの大砲も二本松には運ばれたようですし、鉄砲もスペンサー銃などの近代的銃で武装され兵力の差は歴然、月とすっぽんの差の戦いでした。
  迎え撃つ大壇口の少年隊のところにも敵の玉は確実に届き、畳床の盾は簡単に貫通、木村隊長も敵の砲弾に倒れてしまいました。「木村先生っ―!」「俺はいい、介錯してくれ…」。泣く泣く少年隊士は木村隊長の首を落し、丹羽家大隣寺まで髪を持ち泣きながら退却したそうです。
  白河の守り主力部隊に属していた青山助之丞と山岡栄治は、白河からの退路本宮まで来たがこちらも攻め落されており、山道を通りながら大壇口の支援に間に合い、木村隊長らの死で大壇口を守るべく相手陣に切り込んでいったようです。獅子奮迅の戦いで、わずか2人で敵陣を9人も倒し、野津隊長も傷を負い、一時は西軍の足を止めるまでであったといわれています。しかし、多勢に無勢、戦況は明らかに悪く、二人とも敵弾に倒れてしまいましたが、少年隊が退却するのを助けたとも言われています。この、青山、山岡の二本松藩士は大壇口決戦の働きから後世に伝えられ、大壇口には二勇士の顕彰碑が立っています。
  写真は二本松藩歴代藩主の墓所です。二本松少年隊16名の供養塔と戊辰戦争戦死者群霊塔に参拝され、合わせてご参拝をお薦めします。