やっちゃんのあぐだもぐだ
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冬山の今昔
3月になってもこんなに雪の多いのは初めてです。お蔭で、例年以上に雪深い安達太良山に入る人が多く、湯元にある『くろがね小屋』の宿泊客がかなり増加しています。昨年暮れのBS・TBSで冬の安達太良山が全国放映されたこともあり、山岳関係の雑誌にもよく取り上げられていますが、これほど厳冬の安達太良に入山者が増えるとは驚きです。厳しい大自然の中に身を投じるような冒険心が誰にでもあって、最近はそれに火がついているのかもしれません。ちなみにスポーツ店に行くと、冬のスキーやスノーボードコーナーよりも登山用品コーナーの売り場面積が広くなり、商品品揃えが豊富なのには驚かされます。
さて、岳温泉の話を再び。岳温泉の歴史的記述は863年(貞観5)に遡りますが、約500年前の1496年(明応5)に「狩人が発見」後は畠山家の重鎮・秩父道灌平近平により所有開発されました。
畠山家が奥州管領として二本松の田地ヶ岡着任が1346年(貞和2・正平2)、3代目の国詮で復活し奥州探題に補任(1414年・応永21)され4代目満泰により二本松城として白旗峰に城が築かれちょうど今年で600年になります。畠山家に関しては、天正13年(1585)に二本松城の畠山義継が塩松城(岩代)の伊達輝宗に和睦交渉に出かけ折、隙を突いて伊達輝宗を拉致逃走し、事件を知った伊達正宗が急遽駆けつけ父輝宗と畠山義継の両人共射殺した話は粟ノ須の変として有名です。
この畠山家の重鎮・平近平が創建したのが光現寺(天文年間・1550頃)であり岳温泉の湯守の直系は今でも檀家になっています。栗が柵舘主であった平近平は伊達正宗に畠山家が滅ぼされた後も、温泉の権利を有し1617年頃(元和年間)から温泉地開発が始まっています。温泉湧出地は標高1400m地点の旧噴火口付近にあり地形が険しく、土砂崩れにも度々見舞われました。1670年(寛文10)には雲堂和尚が山止めの祈願をし、150年間の山中での歌舞音曲を許し繁栄を祈った梵字石が刻まれ残っています。しかし雲堂和尚の法力の解けた154年後の文政7年(1824)に山崩れで陽日(元岳)温泉が埋没し、その後の引き湯、移転、復興の繰り返しの温泉になっているのが岳温泉の特異なところです。
陽日温泉時代の温泉営業は八十八夜から秋分の日までと決まっており、冬期間の温泉は休業。ベースキャンプの深堀村にて炭焼き作業が中心の生活であったようです。丹羽家入府(1643年・寛永10)以降に深堀村の冷涼で良い水があることの立地と冬期間の特産品づくりとして凍り餅が製造され、二本松藩により凍餅奉行がおかれ、幕府への献上品としても使われました。
  今年、当館は創業80周年を迎えます。二本松藩での祝い事に使われていた『すあま』を創業記念として凍り餅を少しまぶしてお茶請けにお出しいたします。今なら冬山登山の携行品にもいいかもしれません。写真は今年3月の振り小沢付近のスノーシューでの登行姿。スノーボード、スキー、スノースクートを担いで歩く三人三様の装備にはびっくりします。装備がよくなり厳しい環境の中でも快適な下りができることでしょう。