やっちゃんのあぐだもぐだ
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大好き岳山の話
  安達太良山は皆に親しまれている山です。岳山、乳首山、甑岳などとも呼ばれ誰でも大好きです。好きだからこそ安達太良山にまつわるケンカの話などがあり、面白いので少し紹介します。
   その一つは、白沢村と大玉村に伝わる『岳山(だけやま)と岳山(たけやま)のけんか』の話。昔むかし、岳山(だけやま)という名の山が二つあったそうで、一つは玉ノ井村(現大玉村)の大きな岳山、もう一つは白岩村(現本宮市白沢)の小さな岳山です。ある時、岳山の名称をめぐってお互いにけんかになり、大きな岳山はそばに有った硅石を小さな岳山に投げつけ、小さな岳山はそばに有った地竹を大きな岳山へ投げ返したそうです。このけんかのお蔭で二つの山の間にある村や町には地竹と硅石が沢山採れるようになり、大きな岳山を『だけやま』と呼び、小さな岳山を『たけやま』と呼ぶようになって呼び名の件かは一件落着した話です。白沢村には硅石鉱山の廃鉱があり、間の本宮町では地竹をたくさん拾うことができ野菜を買わなくても済んだとの昔話です。原発事故の後、地竹を余り食べなくなったのが悔やまれます(放射能検査では基準値以下ですが)。
2つ目は国境争いの話。安達太良山の稜線は中通り地方と会津地方の分水嶺です。江戸時代には二本松藩と会津藩の国境でもありました。安達太良山は活火山であり、硫黄が沢山採掘されてきました。この硫黄の採掘権をめぐっての国境争いがあり、当初は会津藩が裁判に勝ち、百年後に二本松藩が勝訴した話です。勝訴の原因は、国境に昔埋められた炭が埋まっているはずだとの話が、幕府評定所で認められたとか。安達太良山の船明神山までが郡山市に入るので二本松藩の領地となったのでしょう。ちなみに沼の平付近で採掘された硫黄は馬の背に轆轤を設置し木ゾリで二本松側に運び、油井まで降ろしたようです。明治になり沼の平の硫黄採掘は猪苗代側から行われ、貨客両用の沼尻軽便鉄道で精錬された硫黄が積み出され、『高原列車は行く』の歌が生まれました。
3つ目は万葉集に因んだ話。安達郡が安積郡から分割したのは906年(延喜6)です。それまで安達太良山は安積郡に属しており、安達太良山は浅香山であったという説。万葉集の『浅香山かげさえ見ゆる山の井の浅き心をわが思わなくに』の浅香山=安積山=安達太良山であったという説で、万葉集には安達太良は三首読まれており合計四首あることになります。因みに安達郡の主峰として文字通り安達太郎のアダタラになった後は、葛城王と采女伝説の山の井から見える山が浅香山(額取山)になっています。余談ですが私の祖父は山の井=玉の井だと話していたのを思い出しました。最初の二つの岳山の話と似ていると思いませんか?
写真は、昨日行われた安達太良トレラン50Kの船明神山への登りのランナー。全国から300人以上のアスリートが参加、安達太良山を4回も登ったり下りたりするのですが、競技を忘れ景色に感動し、立ち止まって写真を撮っている場面。岳山の景色は争いも忘れてしまうようです。少し色づき始めたました。