やっちゃんのあぐだもぐだ
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2012/07 の記事一覧
少年隊と二本松のこと
 7月29日が近づくと二本松少年隊が蘇ります。この日は落城の日であり戊辰戦争での戦死者が数多く出た日です。前日の28日から顕彰祭行事が行われ市内の小学生による剣舞や居合が披露され幼くして散った少年隊の死を弔います。少年隊と命名されたのは戊辰戦争50回忌の時。生き残りの少年隊士の一人が負け戦であったことと、少年たちを出陣させたことから口を重く閉ざしていましたがこの時、初めて悲劇の戦いのことが公言されるようになったのです。実戦に出た最少年齢は12歳ですから今の小学5年生。数え年13歳が元服の歳として、1歳入れ歳で出陣しています。
 このような少年たちを交えての戦いだったので敵軍の隊長も油断して少年兵の一突きで絶命した方もいます。実戦でほとんど力尽きていたように見え、よれよれと倒れかけた少年兵が傍を通りかかる時に家来が斬ろうとしたのを、かわいそうだからと止め、隊長が少年の突きに刺されたのです。この西軍の隊長は長州藩白井小四郎、市内竹田坂の真行寺に眠ります。西軍隊長を懇ろに二本松藩士が弔ったこのエピソードは長く語り継がれ、本年の大隣寺で墓前祭にも長州藩士の子孫の方が参列してくださっています。
 二本松城には藩政改革と藩士への綱紀粛正の指針が刻まれた大きな花崗岩が藩庁門にあります。     爾俸爾禄 民膏民脂 下民易虐 上天難欺  の四句一六文字の漢詩で戒石銘といいます。1749年(寛延2年)に刻まれたものですが、昭和10年には行政の規範として教育的価値が高いとされ国史跡の指定を受けています。この四句一六文字の漢詩はロッキード事件やリクルート事件などの政官界汚職事件の時には必ず新聞紙上に登場し綱紀粛正のモデルであった二本松を有名にしてくれます。
 最近の二本松は原発事故のお蔭でも有名になっています。コメの全量検査を原発事故直後に決定し、秋の収穫で最初に汚染米報道がされたり、生コンに混入した高濃度の放射線汚染砂利が日本で初めて判明したりで話題豊富になっています。小中学生全員に累積放射線量計をいち早く配布し冬休み前に回収したから生コン汚染が判明しただけです。全部細かく計測しているからかえって安全地帯だと自負いたします。
 さて、福島の原発事故から1年5か月経ちました。国会の原発事故調査レポートの冒頭に黒川委員長が100年前の日露戦争の後、日本の国家のありように警鐘を鳴らす書『日本の禍機』を著した二本松が生んだ偉人・朝河貫一博士のことを喩に引用し原発事故を機に社会構造や日本人の思い込みを抜本的に改革する必要性があると書かれています。
 何だか二本松人であることに誇りを感じるようになりました。いつの世でも愚直なまでに信義を重んずるのが二本松の心かもしれません。
 写真は少年隊を弔う墓前祭にての二本松藩第18代藩士丹羽長聡様のご挨拶の様子です。無断で掲載させていただきます。