やっちゃんのあぐだもぐだ
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国境争いと50kmトレランの舞台
  国境争いと言っても、尖閣諸島のことではなく会津藩と二本松藩の国境のことです。わが安達太良山の稜線を挟んで会津藩と二本松藩は昔から硫黄採掘権と温泉の利権を巡って争いがありました。それが安達太良山の稜線を巡っての境界争いです。
  1664年に幕府判定のための第一回折衝が行われ、二本松藩と会津藩から一人ずつの藩使が幕府の評定所に出頭、この第一回目は二本松藩が敗訴し、使者は責任をとり割腹自殺したとのことです。この時は二本松藩の使者が評定所の詰め所にて、先に居た会津藩使者からいきなり二本松の使者への質問「会津領岳山(安達太良山のこと)の境界の件について、上府された二本松藩の使者殿か」と問われ、使者は思わず「いかにも」と応じてしまい、幕吏が出席すると会津藩士は「会津領岳山として、二本松藩使者殿には、既に承認されている。」と申立てたので、特別の詮議も無く会津藩の勝訴となったとの挿話です。
  第2回の争いは、約百年後の1754年に幕吏の現地検分が行われ、二本松藩の家老を筆頭にして数人が立会い二本松藩勝訴となったのです。この時の有名な挿話は、藩お抱えの儒学者・岩井田咋斐が三尺弥源次を使って二本松藩の主張する境界線に、木炭を埋めておきそれを証拠として安達太良山頂の二本松領を主張し百年前の判定を覆した話です。三尺弥源次がどんな人物であったかは、塩沢二又沢出身の小柄で身軽な人物であったと伝わっており、二本松と会津を安達太良山を越え一日で往復できたそうです。また菅笠を胸に当て一日走っても地面に落ちる事がなく、また1反(約9m)のふんどしを棚引かせても端が決して地面に触れることもなく走れる忍者みたいな人物であったと想像されます。
  さて、今回の写真。9月26日に行われた第1回あだたらマウンテントレイル50kmの覇者がゴールを切るときの写真です。前置きの二本松藩と会津藩の争いとは時代も背景も違いますが、この優勝者望月選手も三尺弥源次と同様の能力を持った選手に違いありません。トレランの舞台は国境争いの場と同じ、安達太良連峰の全ピークと奥岳、石筵、沼尻、横向、塩沢の各登山口を5回も上り下りし山道44km累積標高差4058mをわずか6時間44分45秒で無傷でゴールです。奥岳から安達太良山頂まではわずか28分だそうです。国境の炭が埋まっているかもしれない尾根を飛ぶように走れ、岩を飛び、潅木と笹をかき分け走りぬく様は超人的身体能力の持ち主でしょう。ちなみに凡人の私も出場しましたが途中棄権。でも素晴らしいトレイルレースでした。来年は皆様も出場してみませんか?