やっちゃんのあぐだもぐだ
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十文字岳温泉のこと
いつも今の季節になると、岳の湯の素晴らしさを再認識します。梅雨時のジメジメとした暑さ、肌にまとわり付くべとべと感などが岳の湯に入ると、スーッと消えてしまうマジックのような効果とでも言うのでしょうか。
岳の湯は太古の昔から同じ場所、安達太良山中の標高1500mの地点の15箇所の源泉から湧出しています。そこは、186年前の山崩れで温泉場ごと埋没してしまった地点です。この大事故の死傷者は2百数十名にも達しました。今の世ならば世界的ニュースです。災害救助には藩内から一千名を超える救助隊が出場したとの記録があります。かくして、元湯温泉こと陽日温泉は町ぐるみで引っ越すことになるのでした。移転先は元湯から6kmほど下った十文字岳温泉。マチぐるみ移転の大決断は一体誰が下したのでしょうか。
なぜにほとんど壊滅した温泉場を復興させたのでしょう。この事は私がいつも不思議に思っていることです。
時は文化文政時代、二本松藩座上家老の丹羽備中の指揮の下に翌年には復興工事になりました。湯元から6kmの引き湯をし、完成を見た十文字岳温泉は豪華絢爛たるもので、全体的構想は、江戸の吉原と同じようであったと言われています。十文字岳開発はラスベガス開発にも匹敵するような大プロジェクトのであったと解釈します。
十文字岳復活による税収増、農産物調達による地域経済への大きな波及効果、さらに、酸性泉としての大きな薬事効果などが復活プロジェクトのキーワードではと推測致します。抗生物質のない時代、なかなか直りにくい傷口は岳の湯に浸かることで薬効がテキメンに現われたのでしょう。酸性泉は自然湧出でしか得られないこともあり、低地に移転して通年営業できる場所での新規開業は総合的大プロジェクトでした。二本松藩が得意とする和算術により、引き湯工事設計や土木工事積算が意外と簡単であったのかもしれません。
写真は十文字岳温泉の絵図です。残念ながらこの温泉場は復興42年目の戊辰戦争兵火で原野に帰し、その後も移転復興を2度繰り返し、8kmの引き湯をし現在の岳温泉に至っています。湿度の極端に多い6月から9月には日本一サッパリする温泉が岳の温泉だと自負いたします。pH2.5の酸性泉はレモンや化粧水と同じ水素イオン濃度です。是非ともご入浴、ご体感ください。他の泉質とお比べになり感想もお聞かせください。