やっちゃんのあぐだもぐだ
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GPSに助けられた古刹探検隊
807年(大同2年)徳一開基の相応寺の寺院跡地に行く機会に恵まれましたので、その探検記を記します。徳一の小乗仏教と最澄、空海の大乗仏教論争は有名ですが、小乗仏教の説く自己の厳しい人格形成を目的とした修行の場としての相応しい場が安達太良山中標高1100m地点であったことが想像できるような場所でした。
相応寺跡については長い間、地元の歴史家の間でも論争があり、今年の5月に言い伝えをもとに相応寺に残る古文書を再解読し、場所の特定に至ったようです(馬場平老人会歴史愛好クラブ代表渡辺武郎氏)。古文書のよると十嶺が安達太良連峰の代表の山であり、@安達太良山、A剣山(矢筈森)、B船明神、C薬師峰、D眉嶽、E杉田山、F鉄山、G浄土平(弥陀ヶ原)、H箕輪山、I鬼面骨山とあり、D眉嶽とE杉田山の場所の特定が相応寺跡地特定の鍵になったようです。杉田川がありながら杉田山が特定できないのは、眉嶽と置き換えられた山(前が岳)が杉田山であり、現和尚山が眉嶽ではなかったかという点であり、現寺沢は寺に通じる沢道であったのだろうという推論が場所特定の結論です。
私も参加した岳文化協会主催の古刹探検隊は、林道と笹薮を幅1mくらい切り開いた山道を通り約1時間かけて何とか標高1,100mの尾根筋の平場・相応寺跡に辿り着くことができました。1200年前の開基であり平安末期には七堂伽藍の配置も推測される場であり、到着した時は胸が躍りました。背の高い木が多くほとんど遠望が利かず、高い位置はわずかに和尚山の嶺筋が確認できる平場でした。5月に確認したという人の手による角柱や直線で直角に配置された礎石と思しき岩石などを観察しながら、数時間が経過し持参のおにぎりを食べた後、帰路につきました。昼食を食べた場所から上部にさらに平場がありそうだということで30分ほどさらに探索し、地中に埋まった岩石に円形の石蓋が乗っているのを発見しいよいよ帰路に着きました。
しかしながらここで事件。ベテランぞろいのパーティーは下り道の方角を間違え2時間半ほど熊の出没に怯えながら山野をさまよう羽目になってしまいました。尾根の平場から急に急峻な崖になり方向を間違えたと勘違いし、西よりの崖を下山。途中で気づいたものの正規のルートからは大きく外れ、途中は熊の通り道のような沢を渡り熊の糞やブナの木の爪あとを見ながら何とか、林道に辿り着きました。脱出できたのは、GPSで位置を確認でき、緯度経度の入った地図もありオリエンテーリング用のコンパスがあったからです。
ちなみに相応寺跡の平場は北緯37度35分、東経140度17分付近です。お陰で、経緯度から位置特定と北緯37度付近の1秒が何メートルなのか勉強する事ができました。山野を迷って無事生還するのは楽しいものです。アドレナリンもいっぱい出ます。写真は無事に、林道に出た瞬間です。