やっちゃんのあぐだもぐだ
過去の記事
2008/05 の記事一覧
阿佐可夜マと安達太良山
『万葉の木簡 初出土』のタイトルがここ数日間、県内紙を大きく賑わしています。紫香楽宮(しがらきみや)跡(聖武天皇の造営)から出土した木簡に「安積山(あさかやま)の歌」が書かれているとの報道は文学に疎い私でも、これは何かのきっかけになるなとの勘が働きます。万葉集の現地で読まれた最北端の山がわが安達太良山であり、何とか福島県全域のイメージを万葉集最北端の地として全国にアピールできないかといつも思っている輩(こと私)にとっては格好の材料です。「木簡の裏側には難波津の歌」が記され、この2つの歌が紀貫之によって「和歌を習得する際に必ず学ぶもの」として「歌の父母」と記して種類の違う和歌のお手本となっていたとの記述には驚きです。
私は、いつも岳温泉をどうやって宣伝するかで頭がいっぱいであると言っても過言ではありません。安達太良山が万葉集北限の山であると判ってからは、必ず「万葉集北限の山・安達太良山の恵みを受けた岳温泉へ是非お越しください」とPRします。万葉集4500首の内、東歌が238首、陸奥を詠んだ歌はその内13首、福島県が12首、安達太良山がなんと3首も詠まれています。福島県のPRの材料としては『万葉集の最北端の県』であると言うのが一番適切だと訴えますが余り取り入ってもらえないのが残念です。今回の『アサカヤマ』木簡の発見が万葉集最北端の県をアピールするきっかけになるチャンスだと思います。著名な歴史家が言う「安積郡を割いて安達郡が誕生(906年)した後、安積山は安達太良山の名称になった」という説をそのまま引用すると、万葉集には4種も安達太良山が詠まれたことになります。素晴らしいことです。それも全部、愛の歌、恋の歌ばかりです。紀貫之に言わせると『父』に対する『母』、『公』にたいする『私』ということになるのでしょうか。写真は『安積山 影さえ見ゆる山の井の 浅き心をわが思わなくに』の歌碑です。郡山には『アサカヤマ』の歌碑が2箇所にあります。是非お尋ねになり、アサカヤマがどの山か、山の井がどの井戸かをご推察ください。