やっちゃんのあぐだもぐだ
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2006/10 の記事一覧
チューリンゲンの森でウォーキング
 10月末に、パワーウォーキングの伝道者、ハートビッヒ・ガウダーさんにお誘いを受け、チューリンゲンの森のウォーキング大会に参加。日本からは全部で10人、岳温泉からは私を含め3人がドイツの森の散策をすることが出来ました。旧東ドイツ側のバード・ザルツンゲンという保養温泉地に3日間滞在し、プンパルツの小路とネーミングされたウォーキングコースをドイツの方々に混じって14kmほど歩くことができ、大変いい経験になりました。町を出て、山道に入り、牧草地を通り、木組み家屋の街並みがきれいな集落を通り、マルチン・ルターに縁のある村がゴールです。途中の村々は景観を大事にしたドイツ特有の雰囲気が味わえ、所々にプンパルツのキャラクター漫画がデザインされた標識があり、歩くことを大事にしたお国柄をうかがい知ることができます。牧草地の真ん中を走るまっすぐの道には林檎やプルーンの木が植えてあり、お腹が空き皆で実をもぎ取って食べました。小振りの林檎は、ことのほか美味しく小学生頃に食べたような懐かしい味がしました。ゴールになった村では、道端には沢山の出店が出て、色んなものを売っています。ソーセージの店、シナップス(強いお酒)やホットワインの店。村の領主と取締官や足に大きな鉄の玉をつけた囚人のパレード。ロビンフットが林檎をいるイベント。チーズとピクルスの店やドイツ風駄菓子屋など、日本の村祭とはどこか雰囲気の違った村祭です。教会では聖歌隊がジャズ演奏者と共演をするなど、楽しい雰囲気とワインに酔いしれました。
 岳温泉がウォーキングを軸とした滞在型の健康保養温泉を目指して本格的に動き出してようやく2年目です。まさか、ガウダーさんのお誘いを受け秋のシーズンまっただ中にドイツ旅行に行けるとは夢にも思っていませんでした。それでも、今回のウォーキングを始めとするスポーツツーリズムの視察は参考になることが多く、しばらくは『あぐだもぐだ』にドイツの話が登場すると思います。…ってわけで少し間が開きすみませんでした(訪独通信1)
2006年11月13日
銀河鉄道で4次元世界へ行ってきました
先日、宮澤賢治に誘われて4次元宇宙を旅してきました。実は、花巻市で『杜の賑わい』(JTBが地元自治体と共同で行なうイベント)を見るチャンスに恵まれ、宮澤賢治をテーマにした岩手県の郷土の祭が次々と登場する舞台演出に魅せられ、余韻を残しながら無事帰還いたしました。最近の舞台演出はレーザービームを巧みに使います。蒸気機関車の効果音が遠くから近づいてくるように感じた瞬間に、銀河鉄道のレーザー光線機関車が会場に浮かび上がり、また遠ざかって幕が開き、ステージ真ん中に山高帽にマントの宮澤賢治が現れ舞台は始まりました。ジョバンニに扮する妖精風バレリーナ3人が知的な旅人宮澤賢治の知性をさらに引き立たせ、いつの間にかスモーク効果がレーザービームで4次元空間を作り出し、観客を銀河の旅への誘います。セロ弾きのゴーシュが出て、聖歌隊がハレルヤを歌います。いつの間にか、風の又三郎にシーンになりユカタとランニング姿の子供達が「どっどど、どどうど、どどうど、どどう…」などの宮澤賢二特有の擬音コーラスへ展開。さらに、鬼剣舞、田植え踊り、獅子踊り、最後の場面はミスさんさ踊りの色っぽさに魅了された、あっという間の1時間半でした。宮澤賢治の想念が舞台演出に貫かれた素晴らしい感動ものでした。私の役目柄、花巻の市長、副市長、観光課長さんにもお会いでき色々とお話をさせていただけたおまけもあります。宮澤賢治記念館は整備が良くなってきたけど、今度は高村光太郎の山荘を何とかしなければならないともおっしゃられ、私が二本松の出身で、今度、安達町も二本松市に合併になったことを話したら、高村智恵子の故郷との何らかの交流もしたいとの思いもあるらしく話が弾みました。また花巻市にも東和町があり、合併でまたいっしょになったことも分かりました。先月は宮澤賢治像の除幕式があり、こちらは我が二本松名誉市民の彫刻家橋本堅太郎先生の作、少なからぬ因縁を感じて帰宅した次第です。岩代町にも三匹獅子舞があり、何らかの交流が生まれれば素晴らしいことですね。写真は杜の賑わいのフィナーレです
祭とまつりごとの一考
台風一過、ようやく秋晴れです。伝統の提灯祭も、宵祭の初日だけが天候に恵まれ、久しぶりに高校時代の同級生達と、太鼓台の出発から真夜中1時の二本松駅前広場に七台の提灯山車が到着するまで、ほろ酔い気分で祭行列といっしょに二本松提灯祭を満喫することが出来ました。ちなみに、この提灯祭は350年の伝統があるといわれています。二本松藩の石高は10万700石、江戸から仙台までの間では最も大きな藩でした。領地は現在の二本松市と安達郡と郡山市の4分の3ほどの面積で猪苗代湖の湖南村までですから、実際に大きな藩だったようです。言葉訛りは「…んだばい」が語尾に付く範囲だから今でもテリトリーは想像つきます。藩主光重公が二本松に入府されてからは二本松の地形的特性から治山治水には大変苦労されたようで、用水事業など多くの土木事業の歴史が刻まれています。二本松の町割整備は、丹羽備中貴明が座上家老の時であり、現在の提灯祭の形になったのはこの頃ともいわれています。伝統の提灯祭も一朝一夕に現在のスタイルになったのではないようです。ちなみに、10月4日の宵祭も昔は夜が明けるまで太鼓台を引き回していました。私達、旧市街の周辺部の住民は、祭の伝統を受け継ぐ若連の皆さんの気概と情熱に拍手を送りたい気持ちでいっぱいです。350年前に二本松神社例大祭としての提灯祭は年に一度の感謝の意味で町民のお祭として藩主丹羽様からのご認可で始まったものでしょう。祭は政(まつりごと)であり、その意志が伝統的に受け継がれて来ているという事実は、二本松市の町割り、字単位のコミュニティースケールが正しいことを示しているような気がします。国家政策が各地方の地域政策に有効に働いていれば、今のように地方小都市の中心街空洞化などの問題もなかったように思われます。二本松は年に一度のお祭だけは必ず燃え上がります。祭があっても「まつりごと」が戦後空洞化したためか、普段の町はゴーストタウンです。このあたりで、「政…まつりごと」が祭で燃え上がる情熱をしっかりサポートするような行政手法に大転換してもらいたいものです。久々に同級生同士で提灯祭を楽しんでの感想です。ちなみに我らは団塊の世代のトップランナー、来年は還暦でリセット『0』にしようと考えている世代です。この40年間燻っていた社会変革ののろしを再度上げる輩も出現するかもしれません。撮影は10月5日午前1時頃、撮影者は私