やっちゃんのあぐだもぐだ
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岳山ミステリー『雲堂和尚の山止め祈願』
岳温泉が現在の地に復興し今年が100周年であることは、この『あぐだもぐだ』なる自己満足的文章で何度も書きましたが、どうして一旦全滅しても地域ぐるみで復活を遂げるのか私にとっては分からないことが数多くあります。そもそも温泉場ぐるみで移転を繰り返すようになった最初の原因は、今から182年前の文政7年(1824)8月15日の山崩れで死傷者を2百数十名も出した大惨事があったからです。
 ミステリーはこの大惨事の154年前の寛文10年(1670)に、予見したような歴史的記述があることです。それは雲堂和尚によってなされた山止めの祈願です。この祈願によって150年間の歌舞音曲を許されたとありますが、祈願の効力が消えて4年後の文政七年岳山変事が起きたことです。不思議ですよね。写真は2006年9月19日に撮影した梵字石です。寛文十庚戌年の字が岩肌のコケで浮き出ています。もともと、安達太良山会津越えの重要な登山ルートのすぐ脇に位置しますが、10年前の沼の平のガス事故のトバッチリでこのルートが閉鎖されたままで、昨日歩いても潅木が育ちなかなか入れない状態になっており、一日も早いルート再開が待たれます。余談ですが、閉鎖する時はパニック状態で閉鎖し、再開する時は冷静に何度も調査する手間とお金を掛けなければならないという理由で10年も放置しっぱなしは腑に落ちないですよね。雲堂和尚のように冷静に山の様子を見て、「150年間、山中でのドンチャン騒ぎを許す!」と言ってのければいいんですよネ。ちなみに雲堂和尚の山止めの祈願石はもう一つは旧岩代町にあるそうです。さらにもう一つが安達太良山中にあるといわれていますが、どこにあるか不明です。ひょっとすると文政七年の山崩れで埋没しているのかもしれません。今の岳温泉が8kmも引き湯をして繁盛する温泉場になっていることは、雲堂和尚の法力のお陰かもしれません。繁盛し、おごりが生ずると必ず天罰が下るようです。ニコニコ共和国が1982年に開国した7年後の1989年8月6日に再び同じ場所で山崩れが発生し、温泉が丸一日止まりました。このときは岳温泉総出で復旧にあたりました。文政7年から165年後のことです。150年+15年ですがこちらはこじつけですかねェー。
観光宣伝のダ・ビンチ・コード
ニコニコ共和国に幕が下ろされ、いよいよ岳温泉ぐるみで連泊滞在型の観光地づくりを目指して本格的に歩を進めることになりました。8月31日の日本国統合記念・大統領主催最後の晩餐会には、久しぶりにマスコミ各社の取材攻勢を受け、立食式パーティーでも延々3時間の大はしゃぎとなり、まるで25年前に戻った感じでした。独立当時は、私も若く怖いもの知らず、小さな温泉場が独立宣言しても役者ぞろいでした。テレビ局の脚本どおりにシローキムラ大統領や閣僚を楽しくうまく演技に乗せることが出来ました。あれから25年、独立宣言当初から閣僚だった人たちや、その頃は嫁に来たばかりで出番のなかった女将さんたちは、今回の晩餐会が最後の出番と大張り切りでした。普段は女将さんのトレードマーク的和服姿から一転、マリー・アントワネット張りの貸衣装で登場して会場の華やかさを一層引き立ててくれました。まさに最後の晩餐会でしたが、ダ・ビンチ・コードは一体何だったのでしょう。ひょっとしたら、岳温泉復興100周年とニコニコ共和国25年の割り切れる数値マジックで単純に幕引きをしたことだけなのかもしれません。思っても見なかった取材攻勢で25年前の『真夏の夜の夢』が再現されました。ニコニコ共和国の歴史年表には西暦2525年には全世界がニコニコ共和国になるとあり、この啓示がダ・ビンチ・コードかもしれません。ドイツ式ウォーキングを取り入れた『歩く岳で健康』も何かを示唆しています。人間の骨格筋の数660個、足に関する筋肉430個、手に関する筋肉170個、残りは顔の筋肉60個です。第2の心臓足をパワーウォーキングで鍛え、腕と足をノルディックウォーキングで鍛え、残りの顔はニコニコと笑って鍛えます。今はさわやかな安達太良の9月の空に、斬新なデザインのバナーが新しい時代を告げるべくひるがえっています。DAKE ONSENが100年の感謝を込めて、さらに100年先をめざして、十字架のようなDANKE ONSEN になりました。9月11日からの『復興100年の大実験』期間中に是非、連泊して安達太良高原の秋を楽しんで下さい。それぞれの皆さまのダ・ビンチ・コードを考えてみるのも楽しいですよ。今回は少し遊びすぎの文章ですみません。