やっちゃんのあぐだもぐだ
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2006/04 の記事一覧
観光開発の一考察
 中学時代の修学旅行以来、40年ぶりに江ノ島に行ってきました。仕事のついででしたが、わずか2時間の観光旅行でも江ノ島を楽しむことができました。ワケは、私の高校時代の同級生が市役所におり、連絡もなしに藤沢に行ったらバチが当ると思い、同級生のよしみで出迎えてもらったからです。弁天さんに参拝し、サムエル・コッキング苑をザーッと見学することができました。彼の説明によると、江ノ島観光も数年前まではかなり低迷していたそうです。それを何とか盛り返すことができたことを、彼が関わったコッキング苑を見学しながら語ってくれました。ちなみに、サムエル・コッキングなる人物は日露戦争時の武器商人だったそうで、江ノ島の高台はコッキング氏の邸宅跡です。今は、公営の植物園になっており、18世紀にキャプテン・クックが発見したという熱帯植物の大木やら、マイアミビーチ市、昆明市、ウィンザー市、松本市などの姉妹都市から贈られた記念碑やモニュメントが、灯台を囲んで散歩道沿いに設置されており、世界とのつながりをも感じました。また、コッキング邸にあった地下室や温室の基礎も昔のまま、説明文付で植物園に歴史の重みを感じさせるように残してあり、魅力さえも感じました。
 ここまでの説明では何の変哲もない観光地説明ですが、私の友人のお話の中に観光開発の真髄を感じたので、勝手に述べます。
昔 から有名だった場所が一度衰退して盛り返すのは、かなりの智恵者じゃないとできないのではと思うことをやってのけたようです。内外の姉妹都市提携の歴史を形にして活用していること、建築の基礎部分などの学術的価値を表現したこと、解体費などのお金のかかることは極力避けたこと、大道芸人などを呼び込み楽しさを演出していることなどが表面的なことでしょうか。松本市の記念館のそば茶屋に行ってビックリしたのは、担当責任者としてそば打ちを体得してしまい、時々手伝っているとの話に、彼の並々ならぬ決意を感じることができました。今は別の部署に移り土日を休めるようになったが、「オレは、オマエと同じで年中無休だった!」と言ったことでした。観光地を再生するのはやっぱり気違いがいないとダメみたいです。写真はコッキング苑の日時計です。姉妹都市の方向が全部記されており、観光客も自分の国があれば感動すること間違いなしです。今回は、江ノ島のお話でわが誇るべき同級生への恩返しとします。江ノ島へもお出かけ下さい。
さあ、外に出てウォーキングしよう
ウォーキングのシーズンに入りました。『100日で100kmを歩こう』という岳温泉復興100周年企画もあります。100日間で100km歩いて、記念木製メダルとニコニコ共和国通貨2,500コスモをゲットしフトコロもカラダも元気になろうという内容です。『100kmウォーカー』に貴方もなってみませんか?4月から7月までは月例ウォークが4回、5月21日は安達太良山開き、6月11日にオリエンテーリング大会、そして5月7日の陽日の郷ウォーキング大会と距離合計が62.5kmです。残り37.5kmは観光協会受付でマイレージ適用コースを数日歩けば、簡単に100kmウォーカーになれます。日頃、運動不足の方には絶対にお勧めの企画です。
 さて、久しぶりに岳温泉全体のテレビ取材がありました。ウェル・ヘルス・ウォーキングの名称で地域おこしをしている様子が日本テレビの現地取材につながったのです。女優の早見優さんと高橋雄一アナウンサーが全国各地の地域おこしを取材する『新ニッポン探検隊』という番組ですが、『歩く岳で健康』の現地ロケが行われ、岳温泉の面々もいっしょにテレビ撮影に参加することになりました。先週までは、寒暖の差が激しく天候も不順な日が続き、果たして安達太良山が晴れ渡ってくれるか不安でしたが、なんと、ロケ日の2日間のみ晴れ日になり、大変ラッキーで岳温泉関係のウォーキング参加者も気持ちよく被写体になれたようです。観光協会のウォーキングトレーナー足立周太郎君が高橋アナにパワーウォーキングを伝授する様子や、有機古代米カレーを食べるシーン、湯めぐりの風景などを、丸2日間ビッチリのロケを無事撮影完了、私も慣れぬお付き合いに少々くたびれました。妥協を許さないディレクターと高橋アナの阿吽の呼吸、スタッフの皆さんの連係プレーにはプロの迫力さえ感じました。写真は高橋アナと足立トレーナーのパワーウォーキング風景ですが、何でも吸収してしまう高橋アナの才能には何度もビックリでした。放送は日本テレビ系、4月30日午前6時30分から45分まで。岳温泉の最近のエッセンスが15分間に集約されていますので、是非、ご覧ください。
 ひとりごと…、『早見優』さんにもお会いしたかったナァー!?
スキー場閉鎖に思いを込めて
 3月31日、あづまスキー場さよなら懇親会に出席して来ました。今シーズン限りで、スキー場営業を休止するとのこと、苦渋の決断であったに違いないと思います。福島市唯一のスキー場として福島市営リフトと(株)吾妻観光計画の併設で行っていた時期や、日経不動産により上部に延びていった時期もあり、その後も経済情勢の影響からかスキー場経営が吾妻観光開発に集約されていった経緯もある程度は知っているので、吾妻観光計画の菅野光信社長には、改めて長い間スキー場を守って来られた情熱と努力に敬意を表したいと思います。岳温泉とは兄弟のようなスキー場なのでスキー場がまったく閉鎖してしまうことには福島県スキー界にとってもまったく損失であり、福島市民にとっても冬期のレクリエーションの場として活用の場がなくなることは大きな損失であると思い、一日でも早く再オープン決定の報が待たれます。
 岳温泉スキー場と上部に伸びていった経緯はすごく似ていて、閉鎖はまったく残念でなりません。岳温泉のスキー場に初のリフトが誕生したのは昭和29年12月、私が小学1年生の時でした。東北陸運局第1号のリフト開業となったのはその2シーズン前に私の父、義一が高湯の菅野国広氏(菅野光信氏のお父様)らと志賀高原や野沢温泉に当時新設のスキーリフトを見に行き、猪谷六合雄氏らからスキー場開発についてご進言をいただいたことがきっかけでした。菅野氏は福島市と共同で吾妻スキー場の開発を進め、我が岳温泉は昭和29年に福島電鉄(福島交通の前身)と合弁で岳温泉観光株式会社を設立、スキー場経営に当りました。その後、リフトの増設、上部スキー場開発から二本松市による経営。そして、下部の第1、第2リフト営業の停止、岳観光(株)の解散により精算(昭和43年)、さらに二本松市も公営スキー場運営の難しさから、昭和47年からスキー場経営を富士急行に移行、あだたら高原スキー場として現在に至っています。
 今、全国の名だたるスキー場が、バブル景気によるリゾート乱開発の後、急激な経済環境の悪化により閉鎖や事業主体の交代に追い込まれています。山間の温泉場は立地条件の悪さを克服するために、経済的メリット追求だけでは割り切れない気持ちでスキー場開発などに心血を注いできています。同じような志を持つものにとっては口惜しい限りです。冬のオリンピックでメダルが1個しか取れなかった原因はスキー場やスケート場の閉鎖が大きく影響しているのは誰の眼にも明らか。宿づくり20年、リゾート作り100年、いやイタリアのコモ湖などは1000年だそうです。日本の地域開発が、ヨーロッパの山岳リゾートのように伝統的地域社会を守りながら、100年の計できちんと開発されるような社会の仕組みに変わらなければ、地域個性のある一級のリゾートはできないと思います。近視眼的な政策のあおりを受けないようなリゾートづくりができる国家に、いち早く変身してもらいたいものです。