やっちゃんのあぐだもぐだ
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2005/12 の記事一覧
異常気象のせい?
 年の瀬も迫ってきました。いつもは今頃から雪が降り始めるのに今年は12月初旬から毎日のように降り続いている気がします。どうやら北極圏寒気団の蛇行具合がいつになく激しく、まだ暖かい日本海の海を渡り日本列島に大雪をもたらしているのが原因のようです。全国的に大雪の影響がどのように経済に現れるのか心配です。冬の入り口の異常な寒波は身近な自然にも見受けられます。スキー場ゴンドラ山頂駅から薬師岳山頂までは200mほどの距離、安達太良連邦の全容が間近に見られるビューポイントのひとつがここです。今年は真冬が一気に来てしまったので少しおかしな景色が見られます。真っ赤なナナカマドの実が全部残ったまま周囲は真冬の積雪状態です。写真は薬師岳山頂付近のナナカマド、遠く蔵王連邦が望めます。
 それにしても二本松近辺は雪が少なくて冬にもさしたる苦労をせずに住むところ。先週の雪も郡山と福島は雪が積もったのですが二本松の市街地には積雪はほとんどありませんでした。昔からよく「雪が余り降んねからお城が在んだワィ」とか「二本松人は雪かきしねがら、のんびりなんだワィ」とか言われてきた理由がなんとなく理解できますよね。二本松人に押しなべてハングリーさが少ないのは気候のせいでしょう。奥州街道の交通要所だから人の往来は多く、何とか商売になった地域だから産業もなかなか起きず、酒、家具、菓子の特産品は江戸時代の遺産と解釈します。明治以降の新しい産業起こしはひょっとしたらスキー場開発と菊人形くらいかもしれません。新たな発想での産業興こしの必要性があると実感するこのごろです。
 さて前述の異常寒波、寒気団蛇行のせいだとすると、寒気団はいずれ動いて行くでしょう。2月頃に雪が異常に解け出すような気候にならなければいいと思います。2月には伝統のスキー大会第48回朝日杯スキー大会が開催されます。岳温泉復興100周年を記念して団体戦も復活します。スキー場コンディションもベストであって欲しいですね。
 100周年を機に、観光地作りの発想を、ゼロに戻して考えるいいチャンスだと思っています。余談ですが、異常気象のせいで新しい組み合わせの景色も見られます。白と赤のコントラストが青空に映えています。真冬にいっぱい実がついてるナナカマドは今がチャンス、是非見に来て下さい。
初すべり報告
例年より2週間も早く昨日スキー場がオープンしました。ゲレンデコンディションは真冬並です。私も役目柄テープカットに馳せ参じましたが、役職特権でテープを切る前にひと滑り、新雪と人口雪がうまく混じり圧雪車で完璧に仕上げられたバーンは最高のフィーリングでした。倉庫に眠っていたスキー板の状態も滑走面をワックスで保護してあったせいか滑り具合も上々、2本のシュプールはきれいにカービングライン、まだまだ現役スキー選手にも負けない滑りだと勝手に思い込んでいます。スキーは最高ですよ!?
さて、スキー歴史の話。日本最初のスキーは明治44年1月12日にオーストリア軍のレルヒ少佐が高田に伝えた時というのは常識。その年の3月には五色温泉でオーストリア人クラッツアーと友人らがスキーをやっており、同年12月25日には五色スキー場が開設し、その後は多くの外国人スキーヤーでにぎわったようです。それからちょうど18年後の昭和4年12月25日が岳スキー場の開設日、岳温泉のスキー文化の始まった日です。スキー場を開設した理由は、祖父(一二)が大正八年に農家から温泉宿に婿入りしたら余りにも生活が厳しく、特に冬の炭焼きには閉口したことがバネになったようです。婿入り直前まで近衛兵として宮城警護に当っていたとき、当時の皇太子様(昭和天皇)と弟君(高松宮様)が雪の積もった皇居の土手でのスキー姿が、祖父のトラウマになっていたのでしょう。オフシーズンの打開策はスキー客誘致しかないとの思いから、地元の青年有志と積極推進した結果がスキー場開設につながったのです。
その後、スキー場は上部へ延び、現在はあだたら高原スキー場になっています。経営母体も岳観光(株)から二本松市、そして昭和47年からは富士急へと移り、オールシーズンの山岳リゾートとして人気上昇中です。来年2006年は岳温泉復興100周年。一年を通じて岳温泉を挙げて色々な催しを実施します。ちなみに元旦は初日の出ゴンドラ運行です。早朝5:30から営業開始、薬師岳山頂からご来光を仰ぎましょう。風が吹かないことを祈るばかりです。写真は12月8日午前8時のスキー場全景です。