やっちゃんのあぐだもぐだ
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2人のオリンピアンのこと
福島県出身の2人のオリンピアンの天才ぶりについて書きます。一人は渡部剛弘選手、もう一人は遠藤尚選手、二人とも福島県立猪苗代高校です。 
遠藤尚選手はフリースタイル部門のモーグル競技の選手、バンクーバー、ソチ、平昌と冬季オリンピックに3年連続で出場し、日本の男子モーグルを引っ張って来ました。ワールドカップの最高位は2位、バンクーバーオリンピックでは7位入賞の実力です。ソチオリンピックの後に背骨骨折の大事故を起こし、再起を危ぶまれたことがありますが、見事に復帰し平昌オリンピックにも出場、メダル獲得の期待がかかりました。代わりに原大智選手の銅メダル獲得が印象に残っています。遠藤尚選手の存在が男子モーグル競技のレベルを上げ、日本初のメダル獲得につながったともいわれています。モーグル競技はスタートからゴールまで22秒〜24秒の勝負です。それも、コブ斜面が続く間に2つのジャンプ台がありここで空中に飛び、宙返りなども入ります。ちょっとした着地地点のミスから、タイムにも影響します。スタート時の心拍数は170位になるようですが、平時でも脈拍数をスタート時点と同じにできるそうです。彼はあらゆる場面を想定しイメージトレーン二ングし、実行できるようなったようです。不随意筋をイメトレだけでスタート地点の状況に持っていく能力は天才的とも言えます。
渡部剛弘選手は、遠藤選手の4歳下のノルディック複合選手の日本代表として平昌オリンピックのメンバーの一人です。平昌では現地でのコンデションが悪く、団体複合の選手選考から漏れてしまいましたが、渡部暁斗選手らの日本チームの一員として、ワールドカップを転戦している大事なメンバーです。渡部剛弘選手は日本で一番ジャンプ台で練習しない選手のようです。それは、福島県の事情です。福島県にはジャンプ台の練習台が在りません。このような環境立地の中でノルディック複合の日本チームメンバーに名を連ねております。ワールドカップでは2016年トロンハイムにて9位になるなど、日本チームになくてはならない選手であり、次の北京オリンピックでの上位入賞を狙える位置にいる選手です。彼こそが天才ジャンパーかもしれません。コーチにあれこれ指示してもらうよりは、自分で何でも試してみる選手のようです。先日行われた遠藤選手とのトークショーでは、天才風トレーニングをどんなふうにやるのかを話してくれました。ジャンプのスタート台に立った時に、今回はこんな飛び方が良いかもと思うと、その通りにできるようです。イメージトレーニングだけで本番に臨むくらいの技能を持っている選手です。ノルディック複合は前半ジャンプで後半は10kmのクロスカントリー競技があり、同じ種目で別々の身体能力を駆使する競技です。ジャンプの時は少しでも体重を下げ、クロカンになると食べて体力をつけます。この競技の覇者が『King of Ski』と言われる所以です。
写真は二人のオリンピアンを岳温泉にお呼びし、「ニュースポーツを子供たちと楽しむ」イベントのワンショットです。天才ぶりを垣間見ることが出来ました。 
『天使の涙』を見に来ませんか?
9月は災害や大きな事故が多い月である事を実感します。関東大震災は1923年(大正12)9月1日、今年は9月6日未明の北海道苫東地震の映像には唯々驚くばかりです。
4年前、9月27日の御嶽山の突然の噴火にも偶然とはいえ、驚きます。自分の地域に目を転じてみても9月7日は大事故が起きた日として歴史的記憶に留めております。文政7年8月15日(新暦の9月7日)に鉄山の一角が崩れ、元岳温泉(陽日温泉)が埋没し多数の犠牲者が出た事が、温泉街そのものの移転に繋がりました。東日本大震災(2011年3月11日)の半年後の9月5日に鉄山が山崩れを起こし、幅百メートル長さ1kmもの山塊崩壊の後が生々しく今も残り岳温泉からも遠望でます。もしも現在の岳温泉があの場所にそのまま在ったらすごい犠牲者が出たであろうと恐ろしくなります。
さて災害の多い9月ですが山好き人間にとって、9月は天候さえ良ければ最高の登山シーズンではないかと思います。
登山より少しハードですが、あだたらトレイルレースが9月1日2日に行なわれました。エントリー数800名は募集開始からすぐに募集定員に達してしまったとか、近年のトレランブームを表わしていますが、安達太良山の変化のある景色と全登山コースを満喫できるコース魅力に人気があるコースだからです。50kトレランのスタート地点はあだたら高原スキー場の標高950m付近、ここからスキー場を登りロープウェイ山頂駅の薬師岳まで一気に登りさらに安達太良山山頂(標高1700m)直下を左(南)に逸れ鞍部に下り、和尚山から銚子が滝へ下り、登山口から折り返しの登りに入りしばらく針葉樹の林を石筵川に沿って登り詰めると船明神山にたどり着き、沼の平の噴火口の縁を歩き、沼尻登山口まで下ります。ここからのUターン後にしばらくすると白糸の滝を眺め沼尻温泉の源泉地を通り、胎内くぐりの名称の付く岩石のチムニーを抜け一気に鉄山から左(北側)に折れ箕輪山山頂から箕輪スキー場へ下ります。横向温泉を横目にしばらくは道路を駆け鬼面山への登り道から箕輪山をめざし、鉄山との鞍部の笹平から僧悟台を下り、一気に湯川渓谷の谷をおり塩沢スキー場へ下ります。ここからが最後の登山道である湯川渓谷を登りつめ、くろがね小屋の手前から、左に折れ、あだたら高原スキー場のゴールになります。早朝5時スタート、制限時間15時間、累積標高差4千メートルのかなりきついけど、素晴らしいコースです。
真夏日が多い夏でしたが、秋分の日を境に急激に気温が下がり紅葉が始りました。写真は9月26日の岳クラブ安達太良横断登山でのワンショット、船明神山から沼尻側に下りたところの『天使の涙』です。安達太良には下界で見られないようなスポットが沢山在りますので、是非、足をお運び下さい。
重陽の芸術祭とサン・チャイルド
夏の猛暑は、かなり異常だと感じています。熱中症の恐れから、外出を控える方が多くなり、商売柄、夏休みの旅行に猛暑がどのように影響したか気になります。
  猛暑の所為ではないでしょうが、色んな問題が噴出しています。その中でも福島市の『サン・チャイルド』像の問題は、結論の急ぎ過ぎではと思われるほどです。
 実は、二本松では3年前からサン・チャイルドの作者ヤノベケンジさんとは繋がりがあります。現代アーティストとして数々のアートを各地域で表現している方です。私もビエンナーレ開催の時、直接本人とお話したこともありました。この時のシンポジウムで『サン・チャイルド』の誕生する契機になった理由も芸術論にて語られたのを覚えています。サン・チャイルドが誕生したのは大阪万博の跡地近くに生まれ育ったヤノベケンジさんならではの思いからです。大阪万博のシンボルと言えば誰でもが岡本太郎の『太陽の塔』を目に浮かべます。大阪万博の年が、日本国中に原子力発電所が作られ始めた時期に重なります。鉄腕アトムが登場し、原子力を未来のエネルギーとして大いに喧伝された時代でもありました。その原子力発電所がその後、スリーマイル島、そしてチュルノブイリの事故へと繋がったのです。1986年のチェルノブイリ事故の後にアート作品として製作されたのが『サン・チャイルド』です。この事故の直後から更なる原発事故の出現の懸念を予知し、原発災害の再発が絶対に無いように願いを込めて作られた作品のようです。2011年3月に福島原発事故が起き、福島空港に設置されたのがこの『サン・チャイルド』なので、制作の背景を知ったかぶりでPRさせていただきます。
 今年の秋も福島ビエンナーレ『重陽の芸術祭2018』が二本松にて開催されます。9月9日重陽の乾杯ではじまり、夜は『黒塚今様』が、安達が原ふるさと村にて開催されます。安達ケ原黒塚については現代アートでは取上げ易いテーマのようです。因みに鉄腕アトムの原作者手塚治虫が黒塚のアニメを作っています。このアニメの内容も黒塚の物語と同じで、原発のように善が悪に転じてしまうお話です。10月11月と超有名なアーティストの小松美羽展、福井利佐展がロングランで開催されます。11月25日まで二本松地域のあちこちで開催され、ヤノベケンジさんの作品が展示される予定です。
  この秋も二本松においでいただきたく、ヤノベケンジ作『フローラ』の写真を掲載いたします。菊人形会場にてのワンショットですがヤノベケンジさんも写っています。今年の作品はどんなものが出るのか楽しみです。


猛暑の夏・戊辰150年
例年に比べても、遙かに猛暑なのは誰のせいなのでしょう。地球誕生から46億年。大気に蔽われた水の惑星に生物が住めるようになって40億年、人類の誕生から700万年、度々の気候変動の中、生き残ったのが現代の人類であるのでしょう。意識をこんな昔にまで遡っても、今年の気象は異常であると言い切りたくなります。
今年は、2月までは例年通りの積雪を見、素晴らしいスキーシーズンでした。3月になった途端に陽射しの強い日が続き、桜の開花が例年よりも2週間ほど早い地域も出ました。逆に5月は例年以上に低温の日が続き、6月に梅雨入りしてからの東北地方は空梅雨の様相、下旬からは各地で真夏日を超すエリアが続出でした。この7月に入り40度を超すエリアが多くなり、世界中が温暖化現象を表呈し北極圏でも30℃を超す地域が出て、山火事も発生するなど熱波の夏の様相は収まりそうにもありません。
このような中、ジョンダリこと台風12号が突然発生、小笠原諸島を北上し関東直撃かと思いきや、ブーメランの如く左に曲がり東海から瀬戸内海を西進、九州を抜け西岸を南下して屋久島付近で1回転、さらにまた発達し東シナ海から中国本土を狙うなど今までにない経路を辿るようです。台風通過の折に大潮と高潮、風向きの方向性により高い津波のように海岸を襲う状況が偶然に撮影され、最近の気候変動の影響は今までに経験したことのない大きな災害事故につながるようなので細心の注意が必要です。
福島県は台風が逸れ月末の行事はすべて滞りなく行なわれ、多くの観客を集めることになりました。相馬野馬追は7月27、28、29、30日の4日間、メインの神旗争奪戦には430騎もの相馬武士が登場し、人馬一体となった戦国絵巻が繰り広げられたようです。同じ時期の二本松藩は二本松少年隊顕彰祭などの行事がありました。特に今年は戊辰150年に当たることから、相馬藩、会津藩からも友情出演があり、相馬中村藩の砲術隊が先込銃、小銃、大筒による礼砲が戊辰戦争戦死者の霊を弔うなど、県内の諸藩は連携して戊辰150年の行事を行なっています。二本松藩は戊辰戦争時の戦死者は337名。7月29日には西軍を迎え討つ大壇口と供中口(ぐじゅうぐち)はから戦闘が始まり、午前中には二本松城が落ちました。明らかに兵力が違い、負けを承知で『信義』を貫いたのが二本松藩であった事を、記憶に留めていただきたいと思います。主力部隊が白河の守りに出ており、白河城が落ち、二本松城を守るものは少年兵と老人兵のみであったと言う事実からも推察できますが、二本松人の戊辰戦争は「城を枕に討死した唯一の藩」である事です。戊辰150年を観光的に宣伝PRする事には、二本松人としての気持ちが許せない事が真実です。二本松城が落ち、新政府軍は8月21日から会津攻めに入ります。
写真は友情出演の相馬中村藩砲術隊です。ラストサムライの二本松城をバックに、ファーストサムライ相馬藩砲術隊の礼砲の響きを感じてください。
ラストサムライ&ファーストサムライの地・福島
FIFAワールドカップ2018日本チームの予選通過は、ブーイングがあったけど結果オーライ。孫子の兵法でのアジア地区から唯一の決勝進出に「侍ジャパン,頑張れ!」と思わず叫びたくなります。
少し話は飛びます。侍と同類の騎士の国イギリスはイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドと4チームも同じ国から予選に出ているのは不公平ではないかと思い調べてみました。理由はイギリスサッカー協会の創立が1863年でありこの4チームが圧倒的に強くFIFA創立の1904年に、イギリスサッカー協会は実力の違いと世界最古の協会である事から固辞、FIFAが強く加盟を促し『一定の自治が認められている地域のサッカー協会の国家協会である』という規定で、イギリス4チーム加盟になったとのことです。2年前のイギリスのEU離脱が国民投票可決でされ、またまたスコットランド独立の動きが出ているとかの話もあり、何となく今回のFIFAワールドカップの参加国チームの戦いぶりには興味をそそられます。『侍ジャパン』のニックネームがついた日本チームが明治の夜明けの『ラストさむらい』のように正々堂々と決勝トーナメントも勝ち進んでもらいたいものです。
さて、今年は戊辰戦争150年の節目の年でもあります。ラストサムライの地の福島の7月は各地で色んな行事が行われます。ワールドカップサッカーは15日が決勝戦、どこの国が勝ち進むのですかね?サムライジャパンの祭の一つである伝統の相馬野馬追祭は7月28日29日30日の3日間です。この野馬追も福島県のSNS発信Uチューブにはラストサムライの一シーンとして勇壮な神旗争奪戦の騎馬武者隊として登場します。相馬藩は鎌倉時代初期(1189年)以来戊辰戦争終結の1868年までの約740年間を相馬氏が所領とした日本で最長の武家です。また、今年は同じ日になってしまいましたが、二本松城の落城の日が7月29日です。落城の前夜、28日には二本松少年隊顕彰祭が行われ、29日は二本松藩主丹羽家菩提寺の大隣寺にて墓前祭が行われます。戊辰戦争の時、二本松藩は信義に基づき城を枕にして討ち死にした唯一の藩です。ラストサムライそのものが二本松藩なのです。12歳の少年兵が白兵戦に出陣し幼くして散っていったのが二本松の地ですので、記憶に留めてください。
150年前の二本松藩と会津藩はまさにラストサムライの地でもあります。相馬藩は、平安時代から武家社会になった当初から740年間も同じ地域を治めた領主であり、こちらは『ファーストサムライ』の地であると表現してもいいかと思います。
写真は国の重要文化財『阿津賀志山防塁』です。3.2qの防塁線が残り阿武隈川に接続する奥州藤原氏と源頼朝軍との奥州合戦の結節ラインです。武家社会の始まりは阿津賀志山防塁線が破られたのがキッカケであり、戊辰戦争で二本松藩、会津藩が落ちて終結しました。いわば、『ファーストサムライ』から『ラストサムライ』の現場は福島県にあることを認識いたします。
サムライジャパン頑張れ!
3つの火山のこと
吾妻山・安達太良山・磐梯山の三つの山の火山防災会議が開かれ、初めて避難計画が策定され新聞発表となりましたので、安全対策も含めPR致します。
磐梯山の噴火口の東側15kmのところに安達太良山の噴火口沼の平があり、その北側10kmの所に吾妻山系で噴煙の時々上がる一切経山があります。それぞれが百名山でもあり特異な火山景観が目に焼き付きます。
直近の大規模噴火は、磐梯山は明治21年(1888年)7月15日水蒸気爆発、5村11集落が埋没し477名の死者を出し、多くの湖沼群を誕生させました。安達太良山は明治33年(1900年)7月17日に沼の平噴火口に隣接した硫黄精錬所の社員、死者72名負傷者10名の犠牲者が出ました。吾妻山は1893年〜1895年(明治26年から明治28年)に何度も小規模な水蒸気噴火、1893年6月27日の噴火で火口付近調査中の地質調査員2人死亡の記録が残っています。
磐梯山水蒸気爆発の遙か昔に誕生した猪苗代湖があり南側に広がります。一方、この時の爆裂口のある裏磐梯の景観は圧巻です。江戸時代の地図にはまったく湖が記されていませんので、いかに水蒸気爆発がすごいものであり、吾妻山系、安達太良山系そして磐梯山系に囲まれた深山幽谷の地に多くの湖沼群が誕生し景観が一変したかが理解できます。大爆発から130年の景観が今の状況であり、周辺には多くのスキー場もありカヌーやラフティングなどのスポーツも行なわれる森と湖の一大リゾートに変貌しています。
吾妻山系の一切経山は今でも時々噴煙があがり山麓からも遠望できます。古い噴火口はコニーデ形の吾妻小富士ですので一見して噴火口である事が分かります。この山には総延長28km山岳有料道路が走っており標高1600mの浄土平までは気軽に登れますが、山形県にかけて奥深い山ですので、じっくりと縦走することもお薦めです。山間部には湖沼があり『魔女の瞳』のニックネームをもつ魅力的な沼もあります。
沼の平こと安達太良山の噴火口は圧巻の景観があり、地球上にいることさえ忘れてしまいそうな不気味な色彩の火口が大きく口を開けています。火口の周辺部からの360度のパノラマ景観はさらに圧巻です。標高1700m程度の稜線には植物は全くなく、標高3000m以上の景観を持つと言われている所以です。沼の平噴火口の真ん中から1kmほど東側に岳温泉の湯元があり、隣接して年中無休の温泉付き山小屋『くろがね小屋』があります。今から194年前までこの地点に岳温泉(陽日温泉)があったところです。
今回の火山防災会議にて有事の際の脱出ルートとして、馬の背からくろがね小屋への直降ルートが記入され一安心しております。夏山登山シーズンに入りました。写真は立ち入り禁止の沼の平底部からワンショットです。
岳八景「遠藤が滝」のこと
 早朝散歩をしていると、若葉の微妙な芽吹きが見え季節の変わり方が毎年違って見えるようになります。昨年の秋頃からの私の感覚では寒暖の差が激しく、この極端な差が今も続いているように思えます。今朝もお客様をご案内して早朝散歩でしたが、出発時には雨が止み、温泉神社を過ぎて500mほど歩き、夏無川を渡り、深堀温泉跡に着いた途端に冷たい雨に見舞われ、急遽引き返すことになりました。しかしながら、引き返しの道すがら岳温泉の近くに戻ったら雨は降っていなく、極端に斑のある天候に今年の天候不順さを感じた次第です。
私が春から晩秋までご案内している早朝散歩の道は岳温泉の小さな歴史を45分くらいで巡る旅です。現在の岳温泉は今から112年前の明治39年(1906年)にこの地に作られたのでその当時の都市設計の考え方で旅館や商店などが配置されております。昭和29年頃までは現在のメインストリートの真ん中に2つの共同浴場が配置され、間口を八間に区切り旅館や商店が両側に並び、それぞれの建物には縁側があり、上部には温泉神社があり下部には桜坂に続く鏡ヶ池があり、中心に2つの共同浴場を挟んだ、いわば温泉コミュ二ティーのようなものでした。共同浴場を撤去して、真ん中に水路が作られたのですが基本的には建物配置は変わっておりません。
 観光地としての魅力付けをいかに計るかが大事な事であったことが岳温泉の歴史を紐解くと見えてきます。明治の末から大正時代の魅力付け施策のひとつが『岳八景』です。桜坂・見晴山・鏡が池・夏無川・遠藤が滝・高台が原・立石・錦谷で八景ですが、本日が、遠藤が滝不動尊の例大祭でしたので『遠藤が滝』の説明をします。
遠藤が滝は深山幽谷の山岳仏教修験場にぴったりの場所であり岳温泉からは約6km西側の和尚山の下部にあります。遠藤が滝の名称は、源頼朝と同じ時期に伊豆国に流配され、頼朝の知遇を得て鎌倉幕府成立に少なからず影響があったとされている遠藤盛遠こと文覚上人が、若い時期に滝に打たれて修行をしたと言われているところだからです。
遠藤盛遠は友人である源渡の妻・袈裟御前に横恋慕し、渡の寝込みを襲ったはずが、実は袈裟御前が夫の身代わりになり、誤って盛遠は刃にかけてしまいます。世の無常を感じ、仏門に入り出家した話は平家物語で有名です。その盛遠が文覚上人とし修行の地であった話が伝わっているのが『遠藤が滝』であり、嘉永3年(1171年)ことです。今も修行の地であった事が感じられ、新緑のこの時期には絶対にお薦めできるサイトです。是非お出かけください。4月30日発行のはずが5月5日になったお詫びに、お不動様の御利益がある事を祈り、遠藤が滝の写真にて「あぐだもぐだ」といたします。
中通りの開花前線
3月中に二本松に開花宣言が出されたのは私の記憶では初めての事です。福島県の新聞に桜前線が出始めるのが例年は4月からです。スキー場便りにはまだ滑走可能なスキー場が多くありダブル掲載も初めての現象ではないかと思います。
「暖冬だ、暖冬だ」と言われているここ数年に比べて、今年の冬は安定した積雪量でした。秋にはカメムシが多く発生、「今年は雪が多いよ!」という予言?が見事に当たったようです。天気図の冬型気圧配置が12月から2月までは続いたようですが、3月が近づき、急に春の日差しが強くなったように感じます。この辺は、例年よりもズーッと積雪量が多く、普段は余り降雪の無い本宮や大玉村の道路脇に1m以上の雪が残る風景が印象的でした。こんな風景が3月10日頃から急激に春の日差しが強くなり、東京での開花宣言が聞かれたのが3月17日。21日の秋分の日を境に急に日の出の時間が早くなった感じ始めた途端にスキー場の積雪も2月末の3分の1位になってしまいました。日差しが強く、私の感では今年の開花はめちゃくちゃ早いのではないかと思っていましたが的中でした。因みに簡易な開花予測計算方式は、『600℃の法則』出そうです。2月1日からの最高気温を累積し、600℃になる日が開花の日となるのですが、何日かの誤差は許容範囲のようです。気象予報士になったつもりで、私も東京の開花時期を計算してみると、2月1日からの最高気温累積値の593℃が3月19日、606℃が20日であり、17日の開花は、ほぼ「ご明察」です。岳温泉の予測も日別最高最低気温が分かればやってみたい気がします。
中通り地方の4月は花盛りになります。中通り桜前線の特異な点は、北から下りて来ることです。これは阿武隈川の源流が奥羽山脈の東北と関東との境にあり『北へ行く川』として239km流れて仙台湾に注ぎます。上流付近の白河市の川面は標高420m、郡山市付近で225m、二本松安達が原付近で195m、福島県庁付近で65m、宮城県との県境付近が30mとなり仙台湾に入ります。緯度による温度の低下よりも標高による温度低下が勝るのです。このような特異条件を加味しても、今年の開花は例年より約10日位早そうです。花見山の早咲きの桜は既に満開、信夫山は3分咲き、二本松市内はつぼみ膨らむですが、鏡石寺は既に咲き始めました。霞が城のライトアップは5日から、7日に霞が城の相生滝前にて観桜会が行なわれます。三春の滝桜は10日頃、合戦場の桜は15日頃、岳温泉桜坂も17日頃であって欲しい所ですが今年は読めません。岳温泉桜祭りは4月21日22日ですので、これ以上累積温度が上がらないで欲しいものです。
 毎年、この時期に浪江町の皆様に桜の手入れをして頂いており、お陰で桜坂の桜は見事な花を付けます。
 写真の高所作業車が本日の作業風景です。地元岳温泉からの感謝の意もあり、今年も良い花が咲いて貰いたいものです。

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