やっちゃんのあぐだもぐだ
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風の時代へ突入
「風の時代に入ったよ!」と娘に言われ、また占いの影響かと思いきや、有名なスキー選手のブログに『風の時代』について書いていた偶然もあり調べてみました。西洋占星術の約200年ごとのサイクルにより、つい3か月前の2020年12月22日、木星と土星の大接近で大きく星の配置が変わり、時代が変わったのだそうです。200年前は1820年頃、そういえば岳温泉の湯元が山崩れで温泉場ごと埋没した1824年が土の時代突入を想念させる大変事でありこれまた不思議な一致に驚きます。山崩れ事故直後、二本松藩による復活プロジェクトがあり、引き湯により6km下部に温泉場ごと移転、ここは戊辰戦争の兵火で全焼、明治時代に入り深堀に移転、火災全焼の後1906年現在の場所に再再度の引き湯と移転復興は土の時代の典型だと考えざるを得ません。その後の大量輸送の時代から今日の姿になったのは土の時代のモデルみたいな温泉地だと勝手に解釈します。
さて『風の時代』への突入現象は、1980年代の情報化社会化で見え始め、パソコンがスマホに変わり、AIの進化の中、コロナパンデミックもその典型ともいえるのかもしれません。ローマクラブが提唱した1972年の『成長の限界』説、当時は切実に考えない理論に思えたけど、その後の情報化時代への突入、同時に世界中が大交流時代に入り、ジャンボジェット機が飛び交い、次に出て来た警告が地球温暖化の問題だったとの記憶が蘇りました。10年前に東日本大震災が起き、自分の居場所が震度5強の地震、そして巨大津波による原発事故発生なども関連付けて見たくなりました。極めつけは、今年2月13日の福島県沖地震の震度6強に見舞われ事かもしれません。風の時代に入った今、私も占星術師よろしく、創造力を磨き上げ、温泉場の構想を練ってみようと思っています。 
土の時代の前は火の時代、その前は水の時代とのこと、岳温泉の歴史的記述は863年から残っており、西洋占星術による200年ごとの時代区分で当時の様相を想像できるような資料が残っているのが岳温泉です。歴史書に岳温泉が登場した時代は『火の時代』であり、その800年後の火の時代は江戸時代であり、湯元にあった温泉場の様子が、記録から鮮明に想像できます。江戸時代の火の時代から、地の時代に変わる時に、温泉場ごと埋没したこと、大事故の様相も二本松の資料に多くあり興味を引きます。山崩れ事故の犠牲者のリストから、当時の地域別顧客分析もでき、マーケティングリサーチにも使えます。
先月と10年前の地震、コロナパンデミックも洪水も、もうコリゴリですが、地球温暖化現象にブレーキがかかり、桜の開花予測や冬期間の積雪にも安定性が出てくるよう『風の時代』に期待しながら、岳温泉の花見を待ちたいと思います。桜坂の満開日は、過去の満開日より2週間早い4月6日頃になるかもしれません。写真は6年前の4月23日です。

10年目の余震
124年ぶりに節分日程が一日前倒し、吉と出ることを懇願した10日後に、震度6強の震災に見舞われ、散々な2月を迎えることになってしまいました。岳温泉地域は建物被害が大きかった割には、人身事故の報告はなく、とりあえず胸を撫でております。
福島県沖のこの地震は、10年前の東日本大震災の余震であるとのことですが、当時も仕事柄旅館内におり、揺れの違いを実感しました。東日本大震災の震源地は宮城県の三陸沖、マグニチュード9.0は日本観測史上最大であり、かなりの時間、揺すられたことを覚えております。今回は、旅館隣接の自宅におり、スゴイ揺れを感じました。10年前の記憶が突然蘇り、建物が破損すると直感し、思わず手元にあったスキーヘルメットを被り、孫たちが寝ている部屋に駆けつけ、ヘルメットを被らせ、フロントの事務所に向かい当直夜警さんとお客様の無事を確認、地元の社員が早速駆けつけてくれて、お客さまへ無事な部屋へ移動していただきました。10年間に2度も経験するとは思ってもみませんでした。
偶然のことは、もう一つあります。今回も娘が帰省した時であり、前回の2011年3月11日に二人の娘が、別々の目的で帰省中であり地震発生の直前に二本松に居た時でした。当館の駅迎えバスが予定より1分遅れで、確認の電話が私の携帯の入ったと同時に、巨大地震でした。後で聞いたら、駅の看板が落ちたところにいたらしく、ジャスト・ラッキーと言っていたのを思い出しました。今回は、孫を連れてスキーに来ており、当日夕方まで滑っており、まるで天国と地獄が同日に起きるとは、だれも思えなかった震度6強の体験でした。
昨日の新聞に東日本大震災の余震はあと40年も続くとかの話もあり、いつ起きてもいいような覚悟でいなければならないのかと甚だ心配になります。
東日本大震災規模の巨大地震の記録が、1200年前にもあり貞観10年のことですが、この時も余震が40年も続くような地震があったかもしれません。因みに岳の湯のことが歴史書に登場するのは貞観5年(863年)であり、小結(こゆい)温泉神の官位を頂戴しています。この34年後に温泉神の昇格があり、この時から名称が小陽日(こゆい)温泉神となり、大きな余震があり昇格したとの説を唱える人もいますが定かではありません。昨年は安太良山噴火120周年に当り、裏磐梯噴火記念館にて120周年記念の特別記念展も併設され、特別講師による講義もあり、火山学権威である藤縄教授が安達太良連峰の東南斜面は火砕流と火山灰と地形であり、温泉湯元の後山・鉄山の柱状節理はそれを著しており、地震の揺れが増幅されるとの話があったばかりでした。
これ以上の、災害は、ご勘弁頂きたいところです。コロナも収束し、無事に東京オリンピックが無事に開催されることを祈り、鉄山直下の湯神湯付近の写真を掲載します。

二本松だけの鬼のはなし
間もなく節分、『鬼』にまつわる二本松の話です。節分豆撒きの時、二本松では「鬼は外、福は内」とは言いません。この理由は後述します。
まずは『鬼婆』の話。千三百年前から続く『安達ケ原の鬼婆伝説』が、正月明けから話題になっております。その一つが『オニババ出刃―グカレー』。安達が原ふるさと村のメニューに登場、カレーの上に出刃包丁風ハンバーグがあり、血糊ケチャップを掛けるという、オドロオドロしたカレーです。こんなものが良くぞ食えるもんだと思いきや、売れ筋だそうです。昨年は『鬼滅の刃』アニメ映画が史上空前のヒットとなり、時宜を得た先輩格の商品でもあります。
 鬼婆伝説のあらすじは、「奈良時代、都の公家に奉公していた乳母岩手が病身の姫を何とか助けたく、妊婦の生き肝を飲ませれば治るという占い師の言葉を信じ、陸奥は安達ヶ原にたどり着き岩屋に住んでいた。ある日、夫婦に一夜の宿を提供、身重の妻が産気づいた。夫の留守の隙に赤子の生き肝を取った。妊婦が着けていた御守に気付き、生き別れた娘であると乳母は知り、気がふれ、鬼と化し、次々と旅人を襲う鬼婆となった。数年後に高野山の僧により観音像の力で退治された」という、おどろおどろした話です。手塚治虫は『安達が原』の題で、宇宙時代に時空間を越えての愛が悲しみに変わる物語を描いています。夢枕獏著の『黒塚』は、義経と妻の物語として描かれており、「鬼と化す」ことの共通性を取り上げています。安達ケ原黒塚には、鬼を埋めたという太い一本杉が立ちます。白河ノ関の西側を源流とし仙台湾に注ぐ阿武隈川の中間点で東に大きく蛇行する地点に鬼婆の岩屋と黒塚があり、芭蕉も子規も立ち寄っています。『拾遺和歌集』に藤原兼盛が、『陸奥の 安達ヶ原の黒塚に 鬼こもれりと 言うはまことか』と詠んでいるところでもあります。
 さて節分の話。今年の節分は2月2日、124年ぶりのこと、偶然にも私の祖父の生まれ年明治30年以来らしく覚えやすい歳廻りです。我が家の豆撒きは「オニィー外、フクハー内」、「お丹羽(にわ)外とは決して言ってはならぬ」との掟を守り続けています。因みに丹羽様は二本松藩着任時に、北東の鬼門にある木幡山隠岐津島神社を大修復し鬼門封じをした記録が残ります。裏鬼門に当たる西南の三穂田村(郡山)には、正月を家族仲良く迎える願いを込めて『殿様講』という風習があり、丹羽様から賜った御膳に料理を盛り、『家族円満の掟』を読み上げる正月行事があるそうです。我が岳温泉では、節分の前日に、深堀時代から続く家の青年が、入口と勝手口に柊の枝の先を焼き鰯の頭を差し、オニの侵入を防ぐ手立てをします。神棚の大神宮様、お竈、おエビス様、ヤオヨロズの神々様に、「福わー内!オニィー外!」を三回唱え、豆を撒きます。そして全館くまなく豆を撒き、各階の非常口、玄関、通用門の全てに鬼が入り込まないように願をかけます。
安達が原ふるさと村の『鬼婆カレー』は見た目怖いけど(写真)組合せが秀作です。愛が悲しみに変わらぬよう祈願しながら、ご賞味ください。(二本松だけの鬼の話)
令和を振り返り
こんなにも行動範囲が狭くなった年は初めてであり、コロナ騒ぎの影響をまともに受けている人種代表のつもりで2020年を振り返ってみます。商売上、福島県在住ながら世界の人々と接する機会が多く、マップ旅行大好き人間が三密回避の行動制限下、想像力を全開し目的地化し、旅に出ず楽しさを感じたのは私だけかもしれません。コロナ禍でじっと我慢した分、旅行欲求が高まっているようにも感じます。
まずは、元号が令和に変わった1年半前、『令和』の名称の出展が万葉集であることから、自分としては、万葉集北限の山『安達太良』を売り出すことが、福島県観光売り出しのチャンスになるとの思いから、陸奥の万葉集に焦点を当てたのが2019年5月から4か月間でした。時宜を得た話題であったと思っていた矢先に、世界最古の旅行会社トーマス・クック社破産の報道に触れたのがその翌月の9月。一方、10月には世界第3位の旅行推薦地域として『東北地方』がランクされ、11月にはスキーワールドカップ開催地の雪不足報道の話題となり、年末に氷河後退と環境正義の話から、冬の安達太良山にて上半身裸で記念撮影をしたドイツ人ヒッチハイカーの事を載せたのが昨年の今頃です。ネズミ年はこんなにも行動範囲が狭くなり、鼠算的パンデミックの年になるとは思いもよらなかった人が多いと推察します。
さて、2020年の1月は沖縄行き、首里城火災後の観光復活にかけるウチナンチューの熱気に触れ、少し話題になり始めたコロナ騒ぎでの中国人旅行者のマスク姿が気になり出したのが災厄の始まりです。2月、あっという間に大騒ぎ状態、悔しいから『安達太良にて免疫力アップ』をテーマとし、偶然にもダイヤモンドプリンセス号の乗船経験もあり、日本は何とか大丈夫であろうの認識でした。3月、オリンピック一年延期決定、朝ドラ『エール』の放映開始直後に志村けんの突然の訃報。4月、岳温泉のウォーキングの恩師であったガウダーさんが亡くなり、追悼のウォーキング記事を載せることになりました。5月は100年前のスペイン風邪流行と、岳温泉復興の大恩人の木村泰治と台湾との関連に触れ、その翌月の岳温泉三遷へとつがってます。7月は、梅雨前線が一ヶ月も居座ったことに驚き、8月は『そろそろやめてもいいコロナ』との思いからGoTo開始や県民割へ期待を膨らませ、9月は安達太良噴火120周年と福島火山三兄弟こと、磐梯、吾妻、安達太良のことでした。10月は人気の天気予報士の斎藤さんの受売り、100年前の気温より1.5℃上昇した岳温泉のこと、そして11月は観光パラダイムシフトの話で、禁足令の中、よくぞこの一年間「あぐだもぐだ」したと自画自賛のビールを飲もう、そして、いい年を迎えようと思った矢先に「GoToストップ」、本日を迎えた令和2年です。
自分の書いたことを振り返る良きチャンスを与えてくれたのが、コロナパンデミックです。予想に反して年末年始の雪が多く、スキー場を抱える温泉場は最高の季節です。GoToドタキャンで、旅館の空きが目立ちます。岳温泉は健康増進、免疫力アップには最適観光地です。『令和3年辛丑歳』、良い歳をお迎えください。
私説・観光パラダイムシフト論
  昨年11月の降雪予測はカマキリの巣の高さによる予測でしたが見事に外れました。2年続きの暖冬異変を変えたい気持ちが降雪予測を狂わせたのかもしれません。予想だにしなかった新型コロナウィルス流行現象に覆い尽くされており、気が滅入ります。武漢でも、未だ非感染地域でも、何となく気が晴れずに過ごしているのではないでしょうか。
  西暦2020年は、将に観光パラダイムシフトの変換点にあるように感じます。以前から起きていたパラダイムシフトが、突然のコロナ禍で表面に出てきたようです。
  岳温泉は引き湯の温泉であり、源泉には1200年前の歴史的記述が見えます。標高1400m地点の湯元の絵図も残り、200年前の山崩れで、湯元と温泉街全部が埋没してしまった記録も二本松藩資料に現存し、この時の被災者リストから地域別マーケティングデータが取れます。山崩れ事故から復活の際、二本松藩第三セクターによる、場所の移転と温泉街づくり施工費も推測できます。遡って、室町時代後半、岳の湯と沼尻の湯の権利を手に入れた、初代湯守の話も残り、温泉地タイムトラベルができるのが岳温泉です。
  さらに、1100年頃の公家社会から武家社会に変わる直前、不治の病に罹った武士が27日間の湯治にて平癒の記録があります。江戸時代の温泉地形成は、英国重商主義の余波が山間の温泉場にも及んでいたかとの夢想も出来、山崩れ事故直後、二本松藩が温泉型テーマパークを開業させた理由も推察すると楽しくなります。富国強兵から近代工業化時代に入り今の岳温泉が遷り、直後にスペイン風邪流行にさらされた後に、湯樋の引き湯管になり、冬のオフ対策にスキー場が開発されました。戦後は団体客優先の観光地づくりがついこの間まで続いています。1990年代に入る頃、情報化社会論が巷に溢れ、それでも団体客はあり、少しずつ個人のお客様受入にもシフトしてきました。2011年3月東日本大震災と原発事故が起き、その9年目にコロナパンデミックに襲われたのです。この時がパラダイムシフトが現れた時であり、旅館予約がパソコンからスマホに急激シフトしました。コロナでの外出自粛、インバウンドの壊滅、従来からの受入体制の温泉観光地が無事でいるわけはありません。観光地の生き残りをかけた施策GoToトラベル効果は抜群、しかしながら団体はほぼ無くなり、三密回避現象はこれからもずーっと続くに違いありません。
 このような状況下、参加人員を伸ばした観光商品が岳温泉でも作られました。3年前から取組んだ『シャワーウォーク』がそれです。その他『ファットバイクツアー』『ヒストリア早朝ウォーク』などあり、気軽に自然に浸れる商品が価値観転換後の観光地商品になる予感があります。特に『あだたらワンダーランド・ネイチャーツアー』は、売れ筋商品に化ける予感がします。モニターツアー参加後の目の輝きが参加の前と後でこんなに違うのかとも感じました。これからも『ADATARA Activity』を充実させ、パラダイムシフトに対応できる温泉地にしたいと思います。写真は、温泉街を少し登ったところの雑木林の中です。森の動物の痕跡にも気付きます。
スキー場の垂直移動
『100年前で1.5度も上昇』とのコラム記事が目に留まりました。人気お天気キャスターの斎藤恭紀天気予報士が似顔絵付きで、100年間の気温上昇の話が出ており、地球温暖化が気になる人間にとっては、時宜を得た記事だなと思った次第です。その4日前、日経新聞日曜版に『世界が見える。日本が見える』「さんま不漁 過去最低」の記事が大きく掲載され、同じ時期に同じ思考形態になることがあるものだと感じました。さらに、今朝、斎藤さんコラムに『海水温高いと不漁に』「はらこ飯を作ろうとスーパーに行くと、ピンポン球くらいの量のイクラが600円。なぜ高値か調べると、国内の秋サケが空前の不漁……」との記事。斎藤さんのキャラクターとシャベリが面白く、福島テレビ天気予報を楽しみな一県民である事を公表いたします。
  さて当地のこと、あだたら高原岳温泉は、2年続きの超超超雪不足に襲われ雪不足に頭を抱える温泉地です。スキー場の開設は昭和4年、91年前のことです。岳スキー場として最初の開設は若草山第2スキー場と呼ばれていました。第1スキー場は温泉神社の裏側にあり二つ併せて岳スキー場でした。第1と第2スキー場間の距離は1.5km、昭和40年頃まではスキーで滑って温泉街まで戻れました。このスキー場の標高は神社裏が528m、若草山のボトムが700mの位置になります。現在のあだたら高原スキー場のボトムは950mであり、神社裏スキー場からは標高差420m、若草山スキー場からは標高差250m、標高による温度低下の机上計算でも、岳温泉からは2.5℃、第2スキー場からは1.5℃、上部にスキー場が移動し、かろうじて雪不足を解決できる高さになっています。昭和38年に市営あだたらスキー場として、現在の高さまで移転した発想と当時の開発意欲には感心いたします。
  安達太良山全体の植生の変化についても気になります。最近、ナラの木の立ち枯れが目立ってきました。岳温泉周辺の森はナラの木が多く、高原全体の自然景観の特徴となっています。ところが、今年は黒くなって葉っぱが付かず、立ち枯れが目立ち始めました。本州北端の白神山地でもナラ枯れが初確認されたらしく、世界自然遺産地内の立ち枯れは大きく報道されました。枯れる原因は害虫が持込んだ菌で幹の樹液の流れる管を詰まらせるのが原因のようです。ナラの木は冷温帯地域(福島から道南までの名称)の大事な景観形成の樹木です。根本的な解決が急がれます。
  100年前の気候は、緯度で100km北へ移動し、郡山市の位置が岩手県一関市の位置に移動したようです。スキー場の設置のように垂直移動だけでは、これ以上温暖化が進むと、冬もプラスノーゲレンデにするほか、無くなるかもしれません。ストップ温暖化を願って、昭和29年の若草山スキー場の写真を掲載しました。雪の降る冬の到来を、心から願っています。
 
火山三兄弟のこと
安達太良山は活火山であり、今年は噴火120周年に当たります。明治時代に磐梯山と安達太良山でどちらも噴火があり、話題として取上げてみます。
磐梯山の噴火は明治21年7月15日の水蒸気爆発で山体崩壊が起こり、小磐梯が消失し、岩屑なだれ、火砕サージによる、爆風、土砂流に村々の犠牲者は477名が死亡するという、明治以降の近代になって最大の火山被害でした。日本の火山研究が進展したのはこの噴火がキッカケになりました。
そのあと、明治33年7月17日に起きたのが、安達太良山噴火であり、沼の平にあった硫黄鉱山の作業員や家族77名が犠牲になりました。何故かちょうど12年目であり、子年に当り因縁の深さを感じます。
磐梯山噴火のことを知らしめるために作られたのが磐梯噴火記念館です。今年が安達太良山噴火120年に当たり、特別展を開催中であり、さらに現地での火山観測会なども開かれています。沼の平噴火口の500m下部にある沼尻温泉は、一カ所湯元から自然湧出する温泉としては日本一の湯量を誇ります。この源泉は1643年に二本松藩と会津藩に分れる前は、岳の湯の湯守である平近平が権利を所有していたと推測されます。馬の背の稜線で両藩に分れた時から、双方に覚え書きがあり、平近平が運上金五両を会津藩へ毎年支払っていました。岳温泉深堀村が建てていた温泉神社が湯元にあり、さらに湯小屋では小屋銭五文を取っていた記録もあります。
当然のことながら、稜線境界をめぐって会津藩と二本松藩の争いが勃発したのは両藩に分れた11年後でした。表向きは沼の平の硫黄と湯花の採掘権をめぐっての争いでしたが、最初は会津領岳山とする主張に会津藩に二本松藩が負け、担当者が切腹。この90年後に、石筵川の源流を二本松藩に繰り入れるために起された裁判で二本松岳山になったことも追記致します。この時の裁判には大岡越前守も登場し、決着は二転三転し1755年に裁断が下されました。安達太良山頂から北側稜線が正式に国境ラインとなったわけです。
磐梯山噴火記念館のご厚意により開かれた『安達太良噴火120年』特別展は11月8日まで開かれています。
安達太良山と磐梯山と吾妻山は噴火三兄弟みたいな活火山です。山の高さの覚え方は「娘17歳は安達太良山」―1700m、「番茶も出花の18,19歳が磐梯山」―1819m、吾妻山は単独峰ではないので記しません。山頂付近は紅葉が始まりました、是非お出かけください。写真は沼尻温泉の湯元、岳の湯の8倍の湧出量があるところです。
そろそろやめてもコロナ節
世界中の人々が、半年間もコロナに振り回され、ヤキモキしながら旅へ出たい気持ちが目に見える夏休みであり、また、2次流行の懸念報道が世界のニュースから流れる、いつもとは違った感覚の夏でした。
経済活動が止まらないように、アクセルとブレーキを交互に踏む自動車レースのような経済運営をどの国もやっているに違いありません。
自分もこの半年間、隣県を除いてほとんど、どこにも出かける事がありませんでした。
元々、岳の夏は下界よりは遙かに涼しく、7月〜8月は、岳温泉外に出る事を嫌うタイプの人間が多いのが我が岳温泉です。それでも今回ほど長期に亘って地域以外のことを知る機会が無く、毎日のニュースやワイドショーも、見飽きた感があります。おそらく、同じような感覚の人が多いのではないでしょうか。都会暮らしの方々も、テレワーク推進とやらで、自宅にて朝から晩までケジメも付けづらく仕事をし、同様に飽き飽きした感覚になっているに違いありません。
観光地はほとんどの夏祭りが中止となり、祭が準備されても伝統を絶やさないために神社で少人数の氏子で会合を開く程度です。そんな中、本格的地域イベントがようやく開催されることになりました。それは、『OSJ安達太良トレイル50K』です。10年前の東日本大震災直後の9月にも開催が危ぶまれ、それでも実施したイベントです。お陰で、今回で11回目の継続開催となります。但し、今回は前夜祭パーティー無し、スタートは4人ずつ5秒間隔、9月5日は10kmショートコース、2日目はロング50kmです。850人のフルエントリーであり、トレイルランナーに取ってはコロナ騒ぎの中、待ちに待った山岳レースになると思います。トレラン競技以外でも前年よりも繁栄しているイベントもあります。山に登る人が増加しているように見え、あだたら高原スキー場のイルミネーションも来場者が前年よりも上回っています。また、岳温泉観光協会が3年前から取組んで来たアクティビティの一つであるシャワーウォークが大人気、連日多くの参加者で賑わっております。スキー場に隣接した烏川の渓流を利用しての、沢登りですが、ウェットスーツを着込み、ライフジャケットとヘルメットを付け、滝壺や急流に挑みます。30℃超の気温であっても、渓流の水温は12℃、夏にしかできない非日常体験の冒険です。
連日の猛暑とコロナ騒ぎに辟易し、条件反射的に鼻歌に出てしまった歌が『小林旭の自動車ショー』。ご存じの方も多いと思いますが…「あの娘をペットにしたくって…(中略・略・略・略)…そろそろやめてもいいコロナ!」暑さとダルさにかまけて、口ずさみたくなりましたことをお許しください。
安達太良高原で免疫力アップし、コロナと共生できるようにしませんか。谷川の渓流は清々しく、ほんとの空には赤とんぼが飛び交います。是非お出かけください。
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