やっちゃんのあぐだもぐだ
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そろそろやめてもコロナ節
世界中の人々が、半年間もコロナに振り回され、ヤキモキしながら旅へ出たい気持ちが目に見える夏休みであり、また、2次流行の懸念報道が世界のニュースから流れる、いつもとは違った感覚の夏でした。
経済活動が止まらないように、アクセルとブレーキを交互に踏む自動車レースのような経済運営をどの国もやっているに違いありません。
自分もこの半年間、隣県を除いてほとんど、どこにも出かける事がありませんでした。
元々、岳の夏は下界よりは遙かに涼しく、7月〜8月は、岳温泉外に出る事を嫌うタイプの人間が多いのが我が岳温泉です。それでも今回ほど長期に亘って地域以外のことを知る機会が無く、毎日のニュースやワイドショーも、見飽きた感があります。おそらく、同じような感覚の人が多いのではないでしょうか。都会暮らしの方々も、テレワーク推進とやらで、自宅にて朝から晩までケジメも付けづらく仕事をし、同様に飽き飽きした感覚になっているに違いありません。
観光地はほとんどの夏祭りが中止となり、祭が準備されても伝統を絶やさないために神社で少人数の氏子で会合を開く程度です。そんな中、本格的地域イベントがようやく開催されることになりました。それは、『OSJ安達太良トレイル50K』です。10年前の東日本大震災直後の9月にも開催が危ぶまれ、それでも実施したイベントです。お陰で、今回で11回目の継続開催となります。但し、今回は前夜祭パーティー無し、スタートは4人ずつ5秒間隔、9月5日は10kmショートコース、2日目はロング50kmです。850人のフルエントリーであり、トレイルランナーに取ってはコロナ騒ぎの中、待ちに待った山岳レースになると思います。トレラン競技以外でも前年よりも繁栄しているイベントもあります。山に登る人が増加しているように見え、あだたら高原スキー場のイルミネーションも来場者が前年よりも上回っています。また、岳温泉観光協会が3年前から取組んで来たアクティビティの一つであるシャワーウォークが大人気、連日多くの参加者で賑わっております。スキー場に隣接した烏川の渓流を利用しての、沢登りですが、ウェットスーツを着込み、ライフジャケットとヘルメットを付け、滝壺や急流に挑みます。30℃超の気温であっても、渓流の水温は12℃、夏にしかできない非日常体験の冒険です。
連日の猛暑とコロナ騒ぎに辟易し、条件反射的に鼻歌に出てしまった歌が『小林旭の自動車ショー』。ご存じの方も多いと思いますが…「あの娘をペットにしたくって…(中略・略・略・略)…そろそろやめてもいいコロナ!」暑さとダルさにかまけて、口ずさみたくなりましたことをお許しください。
安達太良高原で免疫力アップし、コロナと共生できるようにしませんか。谷川の渓流は清々しく、ほんとの空には赤とんぼが飛び交います。是非お出かけください。
不思議感覚2020年前半
2年続きの超雪不足の懸念だけが頭の中にあったのが、昨年の12月。まさか正月明けから、新型コロナウィルス騒ぎが今のような展開になるとは誰が想像できたことでしょう。手前味噌ですが、『あぐだもぐだ』を16年間書き続けたおかげで、今までに感じた事も無いような事に気付くようになり、今年は新春から不思議感覚の日々を過ごしております。『あぐだもぐだ』なる単語は地元の山仕事の人が使ってのを、ブログ名に拝借しただけですが、岳温泉近辺では「いろいろ」とか「ごちゃらごちゃら」の意味です。山形ではモノを極限まで使った末に残った「木屑や藁くずなどのゴミ」を言うらしく、丸森には『あぐだもぐだカレー』がありこちらは「あれもこれも」のこと、どこも土地柄を表しており、縄文時代の狩猟採集生活では、何でもかんでも興味を持つことが生存本能であり人類の原点であるとの意を強くした次第です。
  正月明けに、武漢での新型コロナウィルス突然の流行と感染防止対応の素早さに驚き、春節での中国人旅行者姿が恐怖の対象となった中、そんなに恐れるほどではないけど、お互い気を付けよう的自己防衛意識が、日本の雰囲気であったと思います。2月にダイアモンドプリンセス号でのクラスター発生は、一度だけ乗船した経験もあり、船の構造も大体分かるので、心もとない対応にヤキモキもしていました。さらに騒ぎがイタリアに飛び火し都市閉鎖、ベネチアのカーニバルもマスク付き怪人や、アルプスのスキー場閉鎖の報道には大好きなところであり特にショックでした。さらに首相の自粛要請、日本国中がコロナパンデミックに巻きこまれ、オリンピックも延期決定、3月はおっかなびっくりお客様の受入、4月になり計画休館日の設定、同じ岳温泉で某ホテルの突然の倒産。ほとんど全旅館が休館のままGW突入。首都圏での感染拡大が鎮静化し、いよいよ6月からは徐行運転的お客様受入、県民割宿泊促進も感染者微減の中行われ7月突入でした。
  さて、この時に偶然に見た天気図が日本列島と相似形の弓なり前線、上海から納沙布岬への梅雨前線図、生れてはじめて見る美しさに、思わずのスマホ収録を7月2日にしてしまいました。まさか今年は梅雨前線がズーッと居座り、大きな水害を日本列島各地にもたらし続けるとは、だれがも想像できなかったと思います。さらに、中国本土の三峡ダム決壊の懸念の報道にも驚いております。
  コロナ感染症がいつ収束するのか不安の日々です。冬の雪不足から気象正義の話も出したいところですが、コロナによる行動自粛のお蔭で、少しばかり日本の古代史を学ぶ時間が取れました。その中に、倭国の女王卑弥呼のキャラクターは、祈祷師よりも、天才的気象予報士であったとの文献には納得でした。朝鮮半島にて使われていた鉄製品を携え、丸太船にて日本海を渡り切るには天気予報が最大重要事項である、との断定に納得し、7月2日18時の天気図を掲載します。梅雨明けとコロナ明けはいつになるのでしょうか?
まちづくり三遷
 【孟母三遷】とは意味が違いますが、【岳温泉三遷】について記します。
 岳温泉は、文政7年(1824)8月15日未明の山崩れで、湯元の温泉場33棟の家屋(宿7軒)が埋没、死傷者200余名の大事故となり全滅し、この湯元からの引き湯を試み、温泉場ごと引っ越しを余儀なくされた類い稀な運命の温泉です。
 【一遷目】の引越し先が十文字岳温泉です。湯元から標高差約500m、長さ6kmを引き湯し温泉場づくりをせざるを得なかったのです。当時の『岳湯再興御普請人足並諸品積立仕様帳』には「距離3084.5間(5552m)、人足合計44,521人」と記され、引き湯工事だけに、今の価格で凡そ7億円の計算が立ちます。湯樋は2本線、松材2間ものに樋を掘り、土管を入れての引き湯です。温泉町づくりには、二本松藩により、商家からは苗字帯刀付きでテナントを募る大プロジェクトとなり、2年後の1826年開業となりました。新天地に町割りをし、通り名を亀沢町、中ノ町、鶴峯町とし、数寄風総檜2階建47棟、4カ所に浴場を配した温泉型テーマパーク(写真)の開設となりました。この時に温泉分析を藩医の宇多玄微が江戸の宇田川榕庵に依頼した事もあり、『諸国温泉効能𨫝』の番付では前頭2枚目に位置し東北一番の温泉でもありましたが、42年後の戊辰戦争にて消滅することになります。
  【二遷目】は、十文字岳温泉から深堀小屋への移転、浴場の開業は1871年です。当時の『福島県鉱泉誌』には温度(深堀)摂39度(気温8度時)、浴客年1万人の表示があります。元々の一般民家に少し客室を作り、8qの距離を元湯の泉源4カ所(熱湯、鐵湯、黒湯、川端湯)を合わせて木造埋樋にて路線変更の引き湯でした。また二本松からの道中も「建石峠の峻坂は便を得ず」と記され、冬の温泉温度も低く零細な温泉場であったのでしょう。それでも案内書には「寛平9年9月より浴場を開く」「徳一大師による発見」「水戸黄門が湯治し病を全癒」と記述されており気位だけは高い温泉場であったようです。
  ここも1903年10月、宿のランプの火不始末で全焼してしまいました。
  【三遷目】の移転先が現在地です。場所選定に3年かかり、1906年に開業しました。辰已の方角に開けた国有地に、温泉神社を最上部に、通りの真ん中に共同浴場2カ所、旅館と商店、町屋が間口を8間にして散策できる温泉地形成となり、最下部の池と小山の景観を生かしながら、周辺部には散策できる小道や桜並木を作るなど、明治時代末期の都市計画に基づいて作られたのが岳温泉です。
  被災し三遷から115年。岳温泉の変遷は、『引き湯』と『まちづくり』の教科書みたいな温泉場であると考えます。こんな時に新型コロナウィルスにより、観光客の流れがストップしてしまいました。コロナ禍社会からの脱出策を『岳の湯』に浸かって考えたいと思います。温泉街ぐるみで三度も引き湯と引っ越しをしたのは、自然湧出でしか得られない薬効ある温泉であったからです。歴史の中にきっと解決策があります。
パンデミックと岳温泉
世界人口約77億人、コロナ感染者6,048,384人(0.08%)うち死亡者数368,404人(0.6%)。
100年前、世界人口約19億人の時、スペイン風邪感染者が約5億人(0.25%)、死亡者が1700万人〜5000万人(3.4%〜10%)と言われ、世界人口の26%が感染、死亡率10%、まさに歴史的大事件です。今と100年前の感染症パンデミックの状況を比較して、特異な国、台湾が気になります。人口2400万人、感染者442人、死亡7人(感染率0.002%、死亡率は1.2%)とすごい数字に見え、ちょうど100年前、岳温泉と一番関係の深かった台湾との関係もあり100年の歴史探訪をいたします。台湾での成功者である木村泰治氏に助けられた岳温泉が、スペイン風邪流行後の発展に繋がったことが判り、先行きの不安が少し解消したような気がしております。
 今の岳温泉は明治39年(1906)に作られた温泉地です。源泉地は安達太良山中の鉄山(1709m)の基部標高1450m地点にあり、約8km引き湯であり自然湧出の源泉を集めてパイプで引き標高540m地点で各浴槽まで配湯しています。そもそも引き湯の温泉場になった原因は、文政7年(1824)8月に山崩れがあり、湯元にあった岳の湯(元岳、陽日温泉)が埋没、2百数十名の死傷者を出す大惨事となった事に起因します。温泉の泉質が良く、地域からも愛されていた温泉の再興を藩で計画し、翼々年に6km下部に移転して作られたのが十文字岳温泉であり、47軒の総檜造2階建のいわば温泉テーマパーク型温泉地が作られました。この温泉地も残念ながら戊辰戦争にて焼失、 明治3年からは元々の麓の住居であった深堀にて細々と民家を改造した程度の温泉地営業でした。引き湯技術は生かされましたが、引き湯距離が8kmとなり冬期間は湯船到達温度が39度程度になり再度温めないと湯に浸かれなかったようです。この深堀温泉も明治36年9月大火で全焼、3年後に現在の地に再興となったのが岳温泉、写真は開業時の絵図面です。開業当初、内湯旅館は一軒のみ、二つの共同浴場を皆で共同利用していました。明治39年の開業から10年ほど経過したときに第一世界大戦が勃発、終戦と同時に世界景気が悪化し、スペイン風邪大流行、そして関東大震災と災厄が続き、岳温泉は地域ごと全体にかなりのテコ入れが必要な状態でした。この時の救世主が台湾土地建物(株)の木村泰治氏、台湾でのまちづくりに大いに貢献していた事業家でした。木村氏は引き湯木管の製造工作機をアメリカから輸入し、4,200本の木管に入れ替え、冬の温度の低下がなくなり、さらに二本松との道路整備にも私財を投入、観光インフラを整備しオールシーズン型の温泉地に変貌できたのです。木村泰治氏は、大館出身で当初は新聞記者として活躍、台湾併合の初期、台湾総督児玉源太郎や民政局長後藤新平、新渡戸稲造とはかなりの親交があったようです。後藤新平による台湾での阿片撲滅の功績は後世に残る語り草であり、今回のコロナパンデミック収束のモデル国台湾の公衆衛生施策『先手防疫』につながっていると推察できます。これを機に木村泰治氏との関係や、岳温泉支援への経緯などを顕彰してみたいと考えていす。台湾のコロナウィルス対応と親日的な国民性について考えるいいチャンスかもしれません。
アウフビーダゼン ガウダーさん
  コロナ騒ぎの真っ只中、岳温泉ウォーキングの理論的バックボーンであったハートヴィッヒ・ガウダーさんがお亡くなりになりました。追悼の意味を込め、ガウダ一流ウォーキング理論の復習をしたいと思います。
  ガウダーさんが岳温泉に初めてお見えになったのは2005年2月25日の事です。福島県知事と二本松市長の表敬訪問ののち、安達太良小学校体育館にてのパワーウォーキング講習が皮きりです。当時、岳温泉では21世紀の観光地づくりをドイツ型健康保養温泉地モデルへ転換し連泊滞在型をめざし、高原全体を『日本一多様な散歩道を持つ観光地』にしようと考えてい居た矢先でした。ガウダー来訪の2年前から福島大学のサポートで高原全体に33のウォーキングコースをつくり、また、日本ウォーキング協会監修によるIVVコースの設定、ウォーキングイベントなどの開催もあり、岳温泉の一連の取り組みがガウダーさんを引き寄せたのかもしれません。2005年2月末の最初の来岳の3か月後、6月末に、日本初のパワーウォーキング講習会を三日間の福島大学と県体協の共催にて開かれパワーウォーキングインストラクターも誕生しました。この時は、体育理論とウォーキングの効用、第2の心臓である脚を使いそして心肺機能を高め健康づくりにつなぐかの講義内容でした。ガウダーさんは自己紹介にて、1980モスクワオリンピック時の競歩50kmの金メダリスト(当時は東ドイツ)、1988ソウルオリンピックで銅メダルの後に引退し建築家に転職、古いドイツ家屋の解体時にウィルス性心臓病を患いました。1年間を人工心臓、そして臓器提供者があり心臓移植手術を受けたのが1997年、術後の経過は良く自ら医者に申し出て1998年に医者には薦められないままボストンマラソンなどに出場し完走、2003年には富士登山を慣行するなど、自分の脚を第2の心臓であることを理由に循環機能を向上させ、通常の生活の戻れる状態になったのです。金メダリスト・ハートヴィッヒ・ガウダー氏は自らが心臓移植してもらい生きていることを前向きに捉え、パワーウォーキングとは積極的に体の機能を使う意味を強調しウォーキングを健康づくりつなげることを世界中に訴える活動に入りました。
 2006年秋には日本人の我々をドイツはザルツンゲンとエアフルトに招いて頂き、ゲーテの生家のある街のウォーキング大会にも参加し中部ドイツの自然や木組み家屋の残る街並みを一緒に楽しんだこともいい思い出となりました。ガウダーさんが岳温泉を気に入って何度も訪れたのは中部ドイツの地形に似ていたからかとも思います。
  週3日、一日40分を自分の最大心拍数(女226(男220)−年齢)の60%〜75%で歩くことにより健康が増進するというのがパワーウォーキング理論です。そして歩く事を続けることが大事であると強調『ゆっくり歩くことを畏れるな、立ち止まってしまう事を畏れよ!』の言葉を残し、4月22日に自宅のあるエアフルトから天国に召されました。写真はガウダーさんとのプンパルッウォーキング大会の一コマです。楽しい大会でした。
『エール』を送って下さい
 オリンピックが一年間延期になり、コロナウィルス・パンデミックに全ての国が巻き込まれてしまった30日、NHK朝ドラ『エール』が始まりました。県内紙福島民報と福島民友は多くの紙面を使って古関裕而関連の記事になっています。もしもコロナウィルス騒ぎが無かったら、ギリシャで採火され第一走者野口みずきの手で運ばれ、26日にJヴィレッジをスタートし、27日には猪苗代スキー場中央ゲレンデからスキーにて運ばれ29日は栃木県につながれていたのでしょう。そして、昨日の朝は朝ドラ『エール』の初回放映、古関裕而と奥さんが1964年10月10日の国立競技場に入るシーンで、2020オリンピックの盛り上げに一役買っていたに違いありません。ちょうど一年間をコロナウィルス・パンデミック空白期間として100年後の歴史に克明に記されているに違いありません。
 世界中がコロナ騒ぎの中ですので、百年前の岳温泉を振り返ってみたいと思います。たまたま私の祖父が著した『岳に生きて』という書物があり、東北の山間地の当時の温泉場の事が詳細に記録されております。ビル・ゲイツが今回のコロナ騒ぎが100年に一度であり、マイクロソフト社で築いて来た自分の資産をすべてコロナ対策に使うと宣言したことで、自分も100年間の温泉地のおさらいをしたくなった訳です。約100年前の1918年スペイン風邪が世界的大流行、この翌年1919年3月に私の祖父一二が岳温泉の扇屋に婿入り。父の義一が1921年に生れた2年後の1923年9月1日に関東大震災。1929年に岳スキー場の開発、1934年にいよいよ鈴木一二が扇屋旅館の東隣に扇屋分館として開業、父義一が13歳の時であり、片道10qの岳下尋常高等小学校から帰るとすぐに調理場に入って卵焼きなどを焼いていたとの創業時の話も伝わっています。1940年に予定されていた東京オリンピックは中止、1941年12月が太平洋戦争開戦です。歴史の話はここまでにしますが、100年前の状況と、2020年3月31日時点での状況のスゴイ類似性がみえて、なんか怖くなっております。1919年から1940年の20年間の出来事の順番が少し違いますが、地震、感染症パンデミック、大恐慌と重なってしまいます。2020オリンピックはちょうど1年延期でありホッとしていますが、コロナウィルス・パンデミックの騒ぎが収まり、聖火台に再び火が点り、地震とコロナからの復興の祭典が行われることを願うばかりです。
 さて、再び『エール』の話。偉大なる作曲家古関裕而はオリンピック賛歌を始め作曲した歌はスゴイ数です。『高原列車は行く』は1968年に廃業になった沼尻鉱山鉄道の歌。アイヌの祭典を歌った『イヨマンテの歌』は本宮出身の歌手伊藤久男の持ち歌でずーっと紅白歌合戦にても歌われていました。早稲田大学の応援歌『紺碧の空』も、甲子園の『六甲おろし』、ロータリークラブ『おおロータリアン』、そしてJICA海外協力隊『若い力の歌』などなどです。写真はJICA二本松訓練所修了式風景です、世界に飛び立つ青年たちの訓練所ですが見学も可能ですので是非お出かけください。

あだたら高原で免疫力アップのお勧め
2月の[あぐだもぐだ]は明るい話題にしようと思っていましたが、新型コロナウィルス問題が大き過ぎ、政府発表の小中高一斉休校要請は、国家の一大事だと感じます。突然の戦争勃発により戒厳令が敷かれると、きっとこのような状況になるのでしょう。9年前の東日本大震災時の混乱した内外の様相も何故か頭の中を過ぎりました。地震発生時間には館内におり、当日の宿泊者への対応、壊れた建物のこと、水道が止まったこと、原子炉爆発による放射能汚染の事などが一瞬にして蘇った、令和2年早春です。
 ただ呆然としているよりはとの思いから『免疫力アップ』の話をしたいと思います。一般的に免疫力アップには、@腸内細菌を善玉優位にする、A身体全体の代謝を上げる、B自律神経にメリハリを付ける、の三つの方法があるそうです。さて、この三つの方法をあだたら高原岳温泉に絞って、置き換えてみます。@免疫力の60%〜70%は腸の働きから生まれ、生きた菌を腸まで届けること、発酵食品を取ることであり、ヨーグルト、漬物、味噌などを多くとることです。福島県産の日本酒は日本一の美味しさ、もちろん発酵食品も多く、旅館の食事献立には沢山登場します。A身体全体の代謝を上げるとは、血液の循環を良くするために運動と入浴を行う事。『歩く岳(だけ)で健康』のキャッチフレーズにて2006年からウォーキングに特化した観光地づくりをしております。最大心拍数の60%〜70%の運動負荷のウォーキングを週3回40分程度行うと新陳代謝が向上するというエビデンスもあり温泉街の周辺には23のウォーキングコースも設置されています。温泉入浴により代謝を良くすることは体温を上げることに直接つながり免疫力アップの最大の力です。また、生姜紅茶が体温を温める効果もあり、散歩に持参もお薦めです。フォレストセラピー『檜山コース』はフィットンチッドがいっぱいのウォーキングコースであり、好評です。B自律神経にメリハリを付ける…とは、日中は適度な緊張状態に置き交感神経を高めるため、ゴルフ場、登山コース、スキー場、さらにドリフト走行のできるエビスサーキットもあり、岳温泉を中心としたアクティブプログラムには事欠きません。夜間の副交感神経優位な状況を作るには最適の温泉場であることは言うまでもありません。入浴し体温を上げ朝までぐっすり就寝など、長期滞在して組み立てる要素が沢山あるのが岳温泉です。
 我田引水的な文章になりましたが、新型コロナウィルス騒ぎが起きるとは夢にも思わなかった2006年頃に作った『あだたら高原岳温泉だからできる【免疫力アップ!!】ヘルシーステイプラン』の宣伝チラシを載せてみました。一日でも早く新コロナウィルス騒ぎが終息し、無事に東京オリンピックが開催される事を願うばかりです。
エイサーに触発されました
この冬の暖冬傾向はスキー場を抱える観光地にとっては大きな打撃だと思っていた矢先、新型コロナウィルスの流行は大きな衝撃です。
観光業にとって影響の大きい2つの出来事の真っただ中ですが『沖縄』を訪問するチャンスに恵まれ、旅行記も兼ね観光地について少し考えてみたく思います。
岳温泉を早朝5時半に出立、郡山駅は通勤客に時折旅行者が交じるいつもと同じ雰囲気の中を1時間半後に東京駅到着。浜松町駅でモノレールに乗った途端、マスク姿が増えて来たのには驚きでした。那覇空港からはさらに目立つようになり、通常のマスクよりもさらに大きなマスクが増えたなと思い、国際通りへ到着、5年ぶりの那覇訪問に期待が高まりました。昨秋の首里城火災の復興祈願ポスターも目立ち、『杜の賑わい沖縄』もまた首里城火災を受けて琉球王朝に因んだ演出に急遽変更され、観客5000名づつ計4回『杜の賑わい』公演を演じる総勢800名の出演者の熱気には感動せずにはいられませんでした。
私の最初の沖縄訪問はパスポート持参、2度目は1978年9月、道路交通法が日本本土と同じ左ハンドルになった直後であり、慎重にレンタカーを運転し米軍から変換されたばかりのオクマリゾートにて水上スキーをした思い出があります。1983年3月の与論パナウル王国の開国式典参加がニコニコ共和国独立1年後の閣僚初海外渡航?でした。与論島の港から貨客船で那覇港に入り国際通りに閣僚の衣装のまま恥ずかしげも無く繰り出しました。その後、沖縄をハワイのようにするという観光政策や、海洋博もあり、新しく完成したビーチリゾートのホテルなどの施設見学に何度もお邪魔したこともあります。リゾート法制定によりスキーリゾートも同じように続々と誕生した同じ時期だったと思います。この時期、那覇の国際通りには多くの旅行者で賑わいを呈し、深夜を過ぎても人並みの消えない賑わい風景には驚きでした。バブルがはじけても沖縄の発展は目に見えるようでした。2000年7月に開かれた沖縄サミットにはクリントン大統領らの前で安室奈美恵が歌う場面は今でも焼き付いております。この時期に首里城が新築再建され、空港からのモノレールが走り、変貌を遂げていく沖縄の観光政策は観光地づくりの最良モデルであるとも感じました。
先日の訪問で気付いたことの一つ、昔は道路脇の亜熱帯草地と海原の景色が印象的だったのが今は草地が見えません。町中には世界チェーンのホテルが建ち並びこの数年間の変貌ぶりを感じる沖縄旅行でした。石垣島などの離島でも観光地化が進み家賃が軒並み高くなっているという話には、観光地化と住民の生活向上を同時に図ることは超難題であるとの感を強くしています。
観光地沖縄の変遷ぶりに驚き、後進国?ニコニコ共和国こと岳温泉の観光地のこれからの方向性を探りたいと思います。ビーチリゾート沖縄とスキー場山岳観光地に地域文化性を加味した発展計画はどんな風になるのでしょうか?
写真は沖縄の民族舞踏『エイサー』を踊る若い出演者です。彼らの目の輝きと琉球王国の文化性に大いに触発された『杜の賑わい』参加でした。
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